10 おはよう
10 おはよう
目が覚めた時、天井の木目が随分ぼんやりと目に映った。頭痛は随分と激しいが、我慢出来ないレベルでは無い。
頭が重いため、無理に起き上がろうとはせずに、そのまま首を軽く左右に動かす。その時、額に乗せられていたタオルがパサリと枕元に落ちた。どうやら看病されていたようだ。
昨夜の事をゆっくりと思い出そうとする。だが、結局階段を上りきったところまでしか記憶は残っていなかった。酷い頭痛はその所為だろう。周囲に頭を動かす程の力は無いが、ここが自分の部屋、いつものベッドの中だという推察は容易に出来た。
手探りで枕元にある引き出しを開き、薬を二錠取り出す。口に含んで、唾で飲み込む。本来は水で飲まなければいけないのだが、流石にこの状態で水差しを手元まで持ってくるのは危険だ。それに、緊急事態になりふり構ってはいられない。
鎮痛剤が少しずつ頭痛を脳の奥へと押しやる。本当はこの強い薬も、頭痛を引き起こす一環になっているのだが、そんな事を言っていられる程の余裕は無かった。
薬を飲んで大人しくしていた所為か、頭の重さがマシになった。後は胃に何か詰め込んで、もう一眠りすれば何とかなるだろう。
一度身体を起こし、頭を掻き毟る。昨日の父さんの言葉を思い出さないように、頭を麻痺させるように強めにガリガリと掻く。暫時そうしてから、ベッドから出ようとした時、部屋の隅で目を閉じているアワレを見つけた。
背中から伸びたコードは部屋の隅のコンセントにささっており、その瞼はしっかりと閉じられている。どうやらスリープ中のようだ。
確か説明書には、一時間の充電で20時間の稼動が可能だと書いてあった。
近くによって、傍らに座る。
眠っている様子は、宛ら幼い少女のようだった。普段の小難しく堅苦しい喋り方とは裏腹に、随分と可愛い寝顔を見せている。何も知らない人が見れば、ただの眠りこけている少女に見えるだろう。背中から伸びたコンセントと、全く呼吸をしていない事に気づかなければ、だが。
眠っているのをいい事に、その髪をそっと指で梳く。きっと俺の事が心配で、こんな部屋の隅っこで充電をしたのだろう。何だかんだで、俺はこいつが家に来てから、随分と救われている。
「アワレ、ありがとう」
相手の意識が無いのをいいことに恥ずかしい言葉を投げかけるのは、卑怯者のする事だ。だが、卑怯者と言う表現が、今の俺には酷く似つかわしいものに思えた。
――俺は、結局、卑怯者なんだな……。
頭痛薬の力が弱まるのを感じ、慌てて思考を切り替える。
その時、アワレの目が急にパチリと開き、頭からピーっと言う電子的な音を発した。その瞳からは赤い光を放ち、暫しの硬直の後に光は消え、アワレは一、二度目を瞬かせた後、目の前の俺の存在に気がついたらしい。
「おはよう、アワレ」
先手必勝で声をかけてやる。
「おはようございます、武文様」
アワレは背中のコードを自らコンセントから抜き、素早く背中にしまってから、恭しくそう言った。いつもの朝の挨拶も、部屋の中で聞くのでは随分雰囲気が違うものだ。
「武文様、体調はどうですか? ご気分は大分優れましたでしょうか?」
「ああ、昨日に比べたら大分いい」
「それはようございました。まだ体調が万全では無いのなら、朝食は軽めに、おかゆでもと思っておりましたが、そのご心配はなさそうですね」
そう微笑むアワレに、いや、おかゆでいい、どの位で出来る? と聞いた。
「そうですね、調理の者に今から伝えに行きますので、30分ほど頂ければ」
「分かった、じゃあその位に食堂に行けばいいんだな」
「はい、それでは、アワレは朝の清掃に行って参ります故、これにて失礼致します」
アワレはそうぺこりと頭を下げ、部屋を出て行こうとしたが、何か思うところがあったのか、ドアのところで一度振り向いた。
「武文様、勝手に部屋の隅を使ってしまいましたこと、申し訳ございません。それと、本当にあまり無理はなさらないようにしてくださいませ」
「心配してくれてるのか? 哀しいのが分かんないのに」
茶化して言うと、アワレは満面の笑顔で言った。
「武文様の存在が無ければ、このアワレめには、一分の価値もございません。武文様は、私の全てでございます。失う哀しみを危惧する故の心配ではなく、好意故の想いと受け取って頂ければこれ幸いと存じます。どうか、これからもご自愛下さり、このアワレめが傍でお仕えする事をお許し下さいませ。それでは、失礼いたします」
そう言い残し、一度頭を下げてから、アワレはドアの向こうへと消えた。
俺はベッドに座り、枕元に用意してあった水差しを掴み、そのままグビグビと飲んだ。飲み終わり一息付くと、不意に自嘲的な笑みが零れた。
――俺は、未だに前に進めないままか……。
時計を見ると、7時前。まだ、おはようの時間だ。
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