6 機械の身体
6 機械の身体
時計の長針が一周した。
目の前のロイドは、依然としてピンとした姿勢を保ったままだ。だけど、その目は嬉々と輝いているように見えた。でももしかしたら、それは俺の目にだけ、そう映っているのかもしれない。
俺はこの一時間、自分でも驚く程雄弁に語っていた。
自分の好きな物、嫌いな物。食べ物や趣味だけでは無く、好きな映画、感動した景色、自分の考えてる事、日々思っている事、次から次へと言葉が口から零れた。自分が普段意識している事など僅かなのだと思い知るほど、俺は無意識下で感じていたであろう沢山の想いを言葉として紡いでいた。
屋敷の柱時計が9時を知らせる為に鳴らした鐘に、俺はハッとした。時間を失念するなど、久々だった。
「もう、9時か」
「そうですね、とても楽しいお時間でした。武文様は、そろそろお休みになられますか?」
ロイドが小首を傾げる。
「いや、まだ休みはしないが、流石に少し疲れた……」
「武文様、夢中でしたものね。それでは、喉も渇いたでしょうし、ホットミルクでもお持ちいたしましょうか?」
「ああ、頼もうかな」
「畏まりました、では、少々お待ちくださいませ」
ロイドはそうぺこりと頭を下げると、背筋を折り曲げないまま部屋を出て行った。
その背中を見送ってから、俺はソファの背もたれに身体を沈めて天井を眺めた。脳の奥底で定期的に脈動を続ける頭痛をしかと感じながら、頭痛が止まらなくなった日からこっち、やはり自分は誰かと話す事に飢えていたのだと理解した。
人の顔を見る度に頭痛が増し、いつしか人間を避ける事が当たり前になっていた。父さんが用意してくれた機械人形達が全てを賄ってくれたお陰で、日常生活を送る事は出来ているが、父さんの顔ですら、まともに見る事が出来ない……。
結局あの頃から、父さんは権力と言う力を行使しては、新型のロボット達を家に送ってくるようになった。だがそのおかげで、俺は誰の顔を見ることもせず、必要以上の頭痛に悩まされずに生きていけている。だけど、父さんがそうなってしまったのは……。
ズキンッ、と血管が爆ぜるような痛みが脳の奥底でビートを刻む。
自己嫌悪さえも出来ず、常に襲う痛みから少しでも逃れる為、俺は今日もこうやって、身近な誰かの所為にして日々を怠惰に流している。どうしようも無いろくでなしだが、それでも父さんには可愛い一人息子らしい。親子と言うのは、厄介なカルマだ……。
ドアが開き、再びメイドが入ってきた。
「お待たせいたしました。ご一緒に蜂蜜もお持ちしましたので、宜しければお好みでお召し上がり下さいませ」
そう笑顔を見せるこいつの顔が、俺には眩しく思えた。
「また、腰をおろさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
そう尋ねてくるので、首肯を返す。ロイドは、ニコニコしたまま、先程と同じポーズで座る。
「なぁ、お前本当に、機械なんだよな?」
「はい、そうでございます。何かご質問でもおありですか?」
「いや、何だか、誰かと話をするのは久々だからな……、人間と話しているような錯覚になっちまって……」
「このアワレめが、人間かと思われたのですか?」
「まぁ、そう言うことだ」
「それはそれは、ありがとうございます」
ロイドは恭しく頭を下げる。
「どうして礼を言う」
「武文様が私を人間とお間違いになられる位、私とのお話に夢中になって頂いたのですもの。とても嬉しく思います」
そう言った後で、ささ、冷めない内にどうぞ、とミルクの入ったティーカップを渡された。傍にあった蜂蜜を一掬注ぐ。啜ると、口全体に優しさが広がる。
「俺は、お前が人間かもしれないと、疑ってると言ってるんだ。礼なんて必要ない」
「いえ、武文様の真意がどうであろうと、私は武文様の言葉でとても心が温かくなりました。お礼を言わせて頂きますのが、筋では無いかと存じます」
馬鹿にする様子も皮肉を言っている素振りも無く、目の前の機械の口はそう動く。
「もし、私が機械か人間かで疑っているのでしたら……」
そう言うと、ロイドは自分の首をグリグリと手で押し始めた。何をするのか、容易に想像がついた。
「止めろ、そこまでしなくていい」
「どうしてですか?」
「俺が見たくないんだ、そんなの……」
機械だって人間だって何だっていい。話し相手がいる事が嬉しかった。なのに、俺はどうでも良いことばかり気にして、つまらない虚勢を張っている。こいつが人間かもしれない。俺は人間の顔を見ると、頭痛が増す。だけど、こいつとなら普通に話しが出来る。
俺は自分でも分からなかった。こいつが人間かもしれないと思いたい気もする。だから、目の前で首が離れれば、こいつは正真正銘の機械だと認めざるを得ない。
それが何だ?
それで何になる。俺は結局、こいつの事をどう扱いたいんだ……。
後頭部に、一つ強い脈動が走る。
迷走した思考の行き着く先は、いつも決まって痛みによる思考停止だ。
頭と首とが、心臓と結託したかのように、同時に俺の神経を責め立てる。
「武文様! 武文様!」
俺は頭を抱えて蹲った。遠くから聞こえる声に、必死で言葉を返した。
「く、薬……。枕、元に……」
絨毯を擦る音が一度遠のき、すぐに近づいてくる。
「武文様、こちらですか! お水もお持ちしました、どうぞ」
枕元に一緒に置いてあった水も持ってきてくれたのだろう。受け取り、口に放り込んで、流し込む。薬が水に乗って少しずつ体内に入っていくのが分かる。
その時、俺は不意に頭に柔らかさを感じた。
「武文様、大丈夫ですよ。きっとすぐに収まりますから、ご安心下さい」
そう優しく言いながら、メイドは俺の頭を抱きしめていた。皮膚の感触の下には、多少なりとも硬質な何かを感じる。だけど、今の俺には、そのささやかな温もりが、たまらなく心地よかった。
ビートが少しずつスロウになっていく……。
どれだけの時間が過ぎたかは分からない。だけど、痛みが徐々に収まって来たので、俺は顔を上げた。メイドの笑顔が目の前にあった。
「武文様、ご気分はどうですか?」
そう笑顔で聞いてくる。
「お前、哀しいのはわかんないんじゃなかったっけ? どうして俺を心配する?」
痛みで気が立っていたのか、俺はやり場の無いモヤモヤを晴らすため、メイドに毒づいていた。
「確かに、私は怒りと哀しみは感じません。ですが、ロボット三原則は体内のメモリーに埋め込まれてますので」
ガックリするような答えが返ってきた。
「じゃあ、何か? 本能のまま、思わず俺を助けたのか?」
「いえ、武文様のお役に立てなければ、この身に価値などありませんから」
笑顔のこいつを見ていると、自分の苦しみや辛さもどうでもよくなって行くような気がした。
肩の力が、抜けた。
「まぁ、何にしても助かったよ。ありがとうアワレ」
アワレ、と出た俺の言葉に反応したのか、さっきまでの笑顔を更に綻ばせた。
「はい、あなたのアワレでございますもの」
本当に嬉しそうなその顔を、いつも見ていたいと思ってしまったのは、秘密だ。
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