第7話・ヴィナールの不満


「あの。糞親父っ。のほほんと今頃になって帰ってきやがった」

「お嬢さま。お言葉が過ぎますよ」


 ヴィナールには父に対し、不満があった。

執事のクルズに窘められようと、愚痴らずにはいられない。膝の上には大人しく子羊が乗っている。それだけが唯一の癒やしだ。もこもこした背を撫でながら愚痴る。


「だって仕方ないでしょう。口調だって荒くなるわよ」


 父親が帰ってきてもヴィナールのやらなくてはいけないことは変わらない。執務室を出て行った父を見送ってから、ヴィナールは目の前に置かれた書類とまた向き合った。所領から上がってきた陳情書に目を通すのは、当主として当たり前の作業だ。それは分かっている。だけど──。

 これってあの親父の仕事じゃね? と、思わずにはいられないのだ。ひょうひょうとしたヴァハグンの態度に苛つく。


 元はと言えば、ヴァハグン(くそおやじ)が当主として仕事をしないから、娘のヴィナールが尻拭いしているだけ。何故自分が? と、思うことは沢山ある。おかげで同性には敬遠されているし、異性には批難される。これというのも全て親父のせいだ。


「なぜ次期当主のわたしが忙しくて、当主であるお父さまが暇しているのよ。むかつく」

「仕方ないですよ。ヴァハグンさまですから」


 ヴィナールはおまえもか。と、言うようにジロリとクルズを睨んだ。

 帝国では英雄の加護を頂いた父、ヴァハグンは特別な存在で、彼が自称「冒険者」として、何かしでかしたとしても「彼ならば仕方ない」の言葉で笑って済ませてしまうところがある。40過ぎのおっさんなのにフットワークは軽く、全く屋敷にいつかない。そのせいで娘のヴィナールは迷惑を被ってきた。

 父に比べて非凡な彼女には、父のように柵から逸脱することは許されなかった。物心つく前から父の賜ったハイク男爵家の後継者として養育されてきた。


 なんとかやってこれたのは、ヴィナールには「前世」という加護があるからだ。この世界よりはるかに高度な文明で教育を受け、一般女性として生きた記憶がある。その前世の記憶に助けられて、今まで困難を乗り切ってきた。


「おい。ヴィヴィ」

「何よ。サイガ。ノックぐらいしてよね」

「今した」


 ノックもなく入ってきた、赤毛に緑色の瞳をした大男のサイガは、不機嫌なヴィナールに指摘されて、慌てて開けたドアをノックした。入っておきながらノックなんて意味ないだろうと、思うヴィナールの険しい目なんて気にしない。彼は豪胆だ。

 それは若気の至りでやらかしたという、頬の傷痕が示している。それをものともせずにしている彼を、ヴィナールは買っているが、やや常識に欠けるのは難点だとも思っていた。


「何の用? サイガ」

「皇帝から知らせが来た。ヴィヴィに登城しろだとさ」

「……。分かりました」


 皇帝の登城の知らせに面倒くさいものを感じる。ヴィナールは、ふと父に押し付けようと思い立った。ここに丁度良く暇を持て余す父親がいる。皇帝の呼び出しに応じるぐらい、たまにはしてもらっても罰は当たらないだろう。


「お父様はどこ? サイガ」

「ヴァハグンさまなら出かけて行った。アストヒクさまにお土産渡すのを忘れたってさ」

「あのくっそおやじぃいいいいいいい──!」


 またか。母に会いに行ったならすぐには帰って来ない。早くて10日、またはまた数年後になるだろう。苦笑するサイガの前で、ヴィナールの怒声が執務室に響いた。


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