第40話 億り人3
「あの人を殺さないでいただきたいのです」
家の外から電話してきた主婦は、意外なことを言って楓を驚かせた。
「どうしてですか。再生人であることは間違いないので、放ってはおけません」
楓は主婦の真意を測りかねた。
「私は気持ちが動転していて、これからどうしたらいいのかご相談したかったのですが、別に殺して欲しいとは思っていないのです」
「ご主人そっくりの男は、亡くなったご主人の体を生前に金で買い取った金持ちの死霊です。死霊界から金の力で蘇った赤の他人が、ご主人の体を許可もなく使っていて、しかも、あなたの家にあたかも自分の家であるかのように住み着いているのを許せるのですか?」
楓は主婦が怒っているに違いないと思っていた。
しかし––––––
「確かに私も、あの人がいったい何なのかわからなかったので、気持ちが悪いと思いました。でも、本人でもなく、幽霊でもなく、クローンやロボットでもなく、再生人だとはっきりすれば、それはそれとして付き合っていけると思うんです。
魂は違う人でも、私はあの主人そっくりな人が家にいるだけで、心が安らぐのです。似て非なるものであれ、亡くなった主人を彷彿とさせてくれますし、昔の生活に戻ったような気がします。
あの人は、家に来てから何一つ害になるようなことはしていません。一度死んでいるので、角(かど)がとれて人柄が丸くなっているのかも知れません。
私は長年一人ぼっちで暮らしてきました。老人になって一人暮しは心許ないので、再婚を考えることもあります。もし私が誰か他の人と再婚するとすれば、外見も中身も前の夫とは全く違った人になります。
でもこの人であれば、少なくとも外見は亡くなった主人そのものですから、それだけでも親しみやすいです。この人の大人しい性格は、亡くなった主人には悪いですが、むしろ私には扱いやすいです。それにこの人はもう私の家に住んでいるんです。面倒な再婚のプロセスを経る必要もなく、このまま自然に生活していければ、それ以上のことはないと思います」
––––––どうやら、主婦は再生人を自分の伴侶として受け入れたいようなのだ。
高見澤は再生人を殺したがっていたし、楓も金で第二の人生を買うことが許されるようなら、この社会の根幹が崩れてしまうと思っていたが、当事者の本人の希望を聞かされると、その気持ちも理解できた。初老の女性が残りの人生を一人で生きていくことを思えば、再生人はその空隙を埋める最適な相手だったのだ。
それが遺族の本意なら、無理に「処理」することは逆効果になる––––––
楓は複雑かつデリケートな個別の問題の結論を急がず、再生人問題の大元を絶つほうを先行させることにした。
楓は黒いワンピースに黒い靴、遺族に紛れる服装で、美濃妖吉の火葬場を訪れた。
火葬炉が十機ほど並んでいて、そのいくつかから煙が立ち上っている。
楓は、火葬の匂い以外に、妖怪の匂いに感づいた。どうやら火葬場の主は、名前からも想像されるように妖怪のようだった。妖怪が死霊界の主の夜摩に死体売っているなら、話しはとてもわかりやすい。妖怪なら手加減する必要もない。
火葬の間の遺族の待合室は、匂いがしないように少し離れたところにある。遺族は火葬炉の裏側に入ることはない。死体の入った棺は表側から台車で火葬炉に入れ、焼却後灰になって台車とともにやはり表側に出てくる。
死体の売買がされているとすれば、当然火葬炉の裏側だ。中に入る扉は鍵が掛かっていたが、楓は鍵を降魔の杭で壊して、火葬炉の裏に入っていった。
ちょうどその時、妖吉は人の死体と犬の死骸を入れ替えようとしているところだった。
「ご遺族の方は、どうぞ外へお回りください。ペットの火葬でしたらお電話で受け付けております」
驚いた妖吉はその場を取り繕って、犯罪の現場に紛れ込んだ遺族を追い返そうとした。
買い手の夜摩の妖気が周囲に漂っていたが、姿は見えなかった。
「お生憎様。私は遺族ではなくて死神よ」
楓の手にはもう降魔の杭が握られていた。
「死神?」
「死体売買で巨額の富を築いた億り人美濃妖吉、この水神楓が死神に成り変わって成敗する!」
「うっ」
美濃妖吉は、言葉に詰まった。死神と称する相手には、既に全てを見抜かれていると悟った。
「お、俺じゃない。夜摩の巫女に頼まれたんだ。全ては夜摩のせいなんだ」
妖吉は何とか言い逃れをしようとした––––––夜摩の巫女には絶対他言無用と言われていたが、背に腹は代えられなかった。
「売り手がいなければ買い手もいない。夜摩のせいにはできない」
楓は火葬師ににじりよった。
「死体の再生利用は社会貢献なんだ。社会のためだ。資源の有効活用なんだ」
妖吉は喚きながら、手に抱えていた犬の死骸を投げ出して後ずさった。
「言い訳無用!」
楓は素早く妖吉に走り寄った。
妖吉は走って逃げようとしたが、間に合わなかった。
楓は降魔の杭を背後から妖吉のうなじに突き立てた。
クエーッ
妖吉は奇妙な叫び声を上げて呆気なく死んだ。
億り人の死は突然やってきた––––––妖吉は自分の死がこういう形で訪れようとは思いもよらなかった。
死体になると妖吉は本性を顕わし、人間の皮が剥がれて妖怪そのものになった。
楓は、一部始終を見守っていた夜摩の妖気が、黙って何処かへ消え去ったのを霊感で感じた––––––真の黒幕の夜摩は楓の前には姿を現さなかった。
楓は、棺の上に妖吉の屍を載せて火葬炉に押し込み、裏側の扉を閉めた。
「美濃妖吉、成仏しなさい」
そう言い置いて、楓は遺族が待っている表側に回った。
「お待たせいたしました。準備が整いましたので、ご遺族のどなた様かに点火をお願いいたします」
故人の長男らしき青年が、遺族を代表して火葬炉のスイッチを入れた。一時間ほどの待ち時間。遺族は待合室のほうに去っていった。
億り人の送り人、死神水神楓は火葬師美濃妖吉を火葬に付した。
火葬炉から煙が立ち上り、妖吉の体は焼かれて灰になった。
美濃妖吉は多くの他人の死体を売り飛ばしたが、自分の死体だけは売ることはできなかった。
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