第2話 義眼の少女2
ある朝高見澤が刑事部屋に出勤してきた時、楓はもう来ていて窓際で外を見ていた。朝の陽光が差し込んで、楓の姿がシルエットのようになっている。光に透けて金色に煌めいている髪が美しい。朝の光は変哲の無い景色を美しい一幅の絵に変えてくれる。
清々(すがすが)しい朝。
「お早う」
高見澤は楓のシルエットに声を掛けた。
「お早うございます」
外を眺めていた楓が高見澤に振り向いた。
「うわーっ!」
思わず高見澤はのけぞった。
––––––振り向いた楓の顔には眼が無かった。
顔に暗く底知れない洞窟のような穴が空いていて妖魔のようだ。暗い眼窩がぐるぐる渦巻いていて吸い込まれるように感じる。
「こ、怖過ぎる!」
眼が無い楓は高見澤を見てにっこり笑った。それがますます怖かった。
「それ、やめてくれよ!悪夢に出てくる化け物みたいだ」
「今ちょっと眼をはずしてます」
「眼がないのに外を見てたのか?」
「眼は見てます」
窓の桟に丸いものが二つ置いてある。
「わっ!な、何をやってるんだ?気持ち悪過ぎる!」
「眼の日光浴です。ソーラーパワーなので、時々日に当てないと––––––でももういいかな」
そう言って楓は眼を手でつかんで眼窩の穴に当てた。
ポンッポンッ
と音がして眼は吸い込まれるように眼窩にはまり、水色の瞳が眩(まばゆ)く輝いた。
「おお、よく輝いている。日に当てると眼に元気が出るな」
「一杯充電しましたから。このごろ忙しくて眼のパワーも消耗するんです」
そう言って楓はいつものようにサングラスをかけた。
「ソーラーパワーならサングラスをしないほうがいいんじゃないか」
「そうなんですけれど、見た目もありますので」
「サングラスでなくてコンタクトレンズじゃ駄目なのか?」
「ええっ!」
楓は高見澤の言葉に思わずぎくっとした。
「この頃カラーコンタクトっていうのもあるじゃないか。キラキラし過ぎる瞳だけ隠せばいいんじゃないのかな」
「そ、そ、そ、それ凄くい、い、い、いいかもです!」
興奮した楓は呂(ろ)律(れつ)が回らなかった。
「思い付きで言ってみただけなんだけど」
「義眼にコンタクトを装着することは、今まで考えてみたことがありませんでした。マサさんとは思えない発想力です」
「うまくフィットするのかな」
「きっと大丈夫です。この眼は普通の眼と変わらないですから」
「全然普通じゃないと思うけれど」
「コンタクトレンズにすれば仕事もやりやすくなりそうです」
「サングラスをしていないとイメージが大きく変わるかもな」
「マサさん、私行ってきます!」
楓はそう言うと一目散に部屋を飛び出していった。
「おおっ!」
黒い瞳の楓を見た時、高見澤は思わず声を上げた––––––急に人間らしくなっただけでなく、凄い美人に見えた。今までは、サングラスをしていないと、輝く眼が目立ち過ぎてじっくり顔を見られなかったのだが、黒い瞳になると落ち着いて眺めることができて、初めてその美しさに気づいたのだ。
「イメージ変わりました?」
「いやーかなり人間らしくなったな」
––––––高見澤は楓のことを綺麗だと思ってもそういう言い方しかしない。
「よかった。これなら人とも話がしやすいですね。光も入りやすくて日光浴させなくても自然に充電できそうです」
「黒い瞳がけっこう良く似合ってるよ」
––––––高見澤としては最大の賛辞のつもりだ。
「眼は口ほどにものを言うな」
「何だか新しい自分になったようです」
楓はうきうきした口調で言った。
その日も夜遅くなり、パトカーで送りになった。
派手派手しいネオンの通りを、高見澤はいつものように片手運転で走っていた。一人の時は右手で煙草を吸うときもあるが、楓と一緒の時は喫煙を控えていた。柄にもなく、楓に受動喫煙させないように気を使っている。例によって空いている右手はガンホルダーの上にあった。
パトカーも慣れればタクシーと変わりはない。エンジンはチューンアップされているが、市街地でそろそろ走っている限りは、ただの乗用車だ。ただ時として緊急車両に早変わりすることがある。
「新港で警官と密入国者の銃撃戦。近隣のパトカーは現場に急行願います」
突然、無線から緊急連絡が入った。
高見澤はハンドルを右手に持ちかえ、左手で無線のマイクを握った。
「ボウギー1、了解」
––––––コードネームだ。
高見澤は交差点で強引にUターンした。楓を乗せたまま、サイレンを鳴らして港に突っ走しる。
タイヤの軋み音とともに急カーブの連続。
赤信号もすっ飛ばして、急ブレーキをかけて止まる一般車両の間をすり抜ける。
ジェットコースターさながらで、楓はシートベルトはしていたものの、右に左に振り回された。
「マサさん、まるで暴走したくてしてるみたいじゃないですか」
「そうだとも!こういうチャンスは逃さない」
「私も乗ってることを忘れないでください」
「シートベルトをしてれば、滅多に死にはしない」
「人命尊重!」
「俺のドライビング・テクを信じろ」
「これじゃ二次災害を起こしますよ」
「近道する」
高見澤は狭い通りにカーブを切った。
急ブレーキで転倒したバイクが、後方にすっ飛んでいく。
「ほら」
「あのバイク、スピード違反だ。後で逮捕する」
「スピード違反はマサさんでしょう」
「もう近い」
「ま、前!」
岸壁の向こうは暗闇だった。
「おおっ!」
勢い余って海に飛び込みそうになったが、パトカーはテールを振って、なんとかすれすれで止まった。
パーンパーンという破裂音のような銃声。
高見澤は後部座席にあったヘルメットを楓の頭に押し込み、懐のホルダーから愛用のフルオートの拳銃を抜いた––––––反動が強くて扱いは難しいが、短機関銃のような連射機能があって、制服の警官や普通の刑事が持っている拳銃とはものが違う。
シャキーン
高見澤は弾丸のカートリッジを、弾数の多いロングのものに差し替えた。
「ここで伏せてろ」
そういうと自分はドアを盾にして外に出た。
前方に警官が一人倒れている。
やられたか––––––
サイレンの音が遠くから近づいてくる。
他のパトカーもじきに到着するだろうが、高見澤が一番乗りだった。
ガントリークレーンの傍のコンテナの陰に、拳銃を手にした警官が二人いた。
「怪奇事件捜査のボウギー1だ。犯人はどこにいる?」
高見澤は自分のコードネームで警官達に呼び掛けた。
「前方の倉庫の中に逃げ込みました」
コンテナでカバーを取り、拳銃を拝むように両手で握った警官が答えた。
倉庫の前に犯人のものらしきバンが止まっている。
「前方のバンまで走るから援護しろ!」
そう叫んで高見澤は身をかがめて走った。
警官達はそれぞれ単射の拳銃で、半開きになっている倉庫の扉に向かって数発援護射撃した。
高見澤がバンのボディを盾にした時、銃声とともに窓ガラスが砕け散って、破片がばらばらと落ちてきた。犯人は高見澤に向かって撃ってきた。
倉庫までもう十メートルもない。
素人の射撃でも当てられる至近距離だ。
狙い撃ちされないようにバンの陰から慎重に片目で覗(のぞ)いた。
「あんまり力まなくても、相手は怖がっていますよ」
急に背後で声がしたので、鍛え込んだ反射神経で振り向きざま引き金を引きそうになった。
「お、お前、こんなとこで何やってるんだ!」
高見澤は唖然とした。
同じバンの陰にヘルメットをかぶった楓がうずくまっていた。
楓は高見澤を上目遣いに見上げて言った。
「犯人をあまり追い詰めないほうがいいです。追い詰められるとかえって必死になって抵抗しますから」
「馬鹿言うんじゃない。もう既に警官が一人殺されてるんだ。警官殺しに裁判は不要だ。俺のフルオートで蜂の巣にしてやる」
「早まらないでください。倒れている人は気絶しているだけですから」
そう言って、楓はおもむろにハンドマイクを構えた。
「心配しないでも警察は貴方達のことを撃たないですよ。武器を捨てて手を上げて出てきてください。何にもしませんから大丈夫です」
可愛い感じで呼び掛けてから、ハンドマイクをオフにして舌を出した。
「こんな感じで」
「お前ねぇ」
高見澤は呆れた。
「きっとうまくいきますよ」
楓はあっけらかんとしていた。
高見澤の予想に反して、犯人達は楓の呼び掛けに反応した。
「本当に撃たないんだな?絶対に撃たないと約束するなら出て行く」
倉庫の中から男の声が喚(わめ)いた。少し訛(なま)りのある外人かあるいは半妖みたいな日本語だった。
「ほらねっ」
楓は高見澤にウインクしてみせた。
「はい、お約束します。警察は手荒なことはしませんよ。まず武器を外に投げて捨ててください。それから安心して両手を上げて出てきてくださ〜い」
楓の可愛げのある声は安心感を与えるので、確かにこういう時には効果的だった。
犯人達は、言われた通り、拳銃を投げ捨てて、両手を高く上げて倉庫の扉から恐る恐る出てきた。
コンテナの陰にいた警官達が走り寄り、犯人達が捨てた拳銃を遠くへ蹴飛ばし、素早く後ろ手にして手錠を掛けた。
折しもけたたましいサイレンの音とともに現場に到着した多数のパトカーから、ばらばらと警官が走り出てきた。救急車も来ている。
「マサさん、もう犯人はいいですから、あの撃たれて倒れている人を助けて。弾は急所を外れています。急げば命は助かりますから」
高見澤は倒れている警官に駆け寄った。まだ息があった。
「おーい。担架だ」
救急車からパラメディカルが担架を持って走ってきた。高見澤は救急隊員とともに撃たれた警官を抱き上げて担架にのせた。救急隊員はすぐに酸素吸入のマスクをあてがった。救急車もすぐ傍に寄せてきた。
犯人達は他のパトカーで連行されていった。
救急車がサイレンを鳴らして負傷した警官を救急病院に運び去った時、楓は一人岸壁の際(きわ)に立っていた。
「マサさん、こっち」
楓はハンドマイクで高見澤に呼び掛けて手を振った。
くるくる回るパトカーの赤いライトが、暗い岸壁と海を照らしていた。
「お前さあ」
高見澤は呆れた顔で楓の傍に立った。
「マサさん、あれ」
楓は波に揺られている球体のブイの一つを指さした。楓の瞳はコンタクトをしていても青く輝いていた。
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