薔薇の魔女

あきわ

第1話

 アシュヘルク国の西側の国境は広大なダリテの森によって隣国マラネアとの線引きがなされている。鬱蒼と生い茂る緑の木々の森は広大で、不用意な密入国者達をかたくなに拒絶するための砦となっていた。セザ村は、そのダリテの森のすぐ近くにある、地図にも記載されていない小さな小さな村だった。

 人口三十にも満たない小さな村は、近年過疎化に拍車をかけ、今では村人の多くが老人ばかりとなってしまった。若者の多くが少しでも職のある町へと出稼ぎに出てしまい、その地に定住してしまうのだ。

 セザの村はダリテの森に半ば埋もれるようにしてあった。広くもない土地に、身を寄せ合うようにして古い家々が立ち並んでいる。ほとんどの村人が農業で生計を立てているのだが、ダリテの森一帯は痩せた貧しい土地だ。土壌の栄養分をほとんど森の木々が吸い取ってしまうからだろうといわれていた。本当のところはわからない。ただろくに作物は育たないくせに、森の木々は決して枯れることも勢いを衰えさせることもなく、まるで膨張するかのように年々勢力を広げている。セザの村も、昔はもう少し広くて大きかった。しかし、今は半分以上が森に侵食されてしまっている。

 少女は、ずいぶん昔に森に飲み込まれた村はずれの家に住んでいた。家と呼ぶのもおこがましいようなその建物は、木々の根に大きく絡みつかれて屋根の一部が崩れ落ち、壁が半分傾いていた。人が生活できる領域は、家の面積に対して三分の一もあるかないかだ。森は家のすぐ傍まで迫っている。窓を開けても、茶色い幹か、葉の緑以外に見えるものはない。

 日中、彼女は森の中の畑で過ごす。畑といっても、猫の額にも満たない小さなものだ。時間をかけて木を切り倒し根を引き抜いて作った彼女の手製の畑は、しかし取れる作物は微々たる物だったが、森には獣や木の実があったので食うには困らなかった。

 また森の中には珍しい薬草も生えているので、それを町で売れば多少の現金収入が得られた。

 彼女はそうやって、ずっと一人で暮らしていた。来る日も来る日も。―――――約束の日まで。

 その日、ノアは朝早くから村を出て、半日ほど歩いた所にあるキシルの町へ来ていた。半月に一度開かれる市場で、薬草を売るためだった。小さな町ではあるが、隣国マラネアから、王都であるルーヴェへと続く街道がすぐ近くを通っているため人や物の流通は思いのほか多い。

 昼前にはすでに広場は多くの露店で埋まっている。ノアはいつも、一番隅の建物の影になった場所を定位置にしていた。茣蓙を広げ、持ってきた薬草を束にして並べる。時折立ち止まる客もいるが、大概はみな素通りしてしまう。

 他の店のように大声で客寄せもしなければ、見栄え良く商品を並べるわけでもない。売り子は、顔を隠すようにすっぽりと灰色の外套を被り始終俯いているため、ひどく陰気で声をかけにくい。売る気が最初からないのではないかと、誰もが一度は思うだろう。

 目の前を老夫婦が通り過ぎたが、こちらへは一度も視線をよこさない。

 時々やってくる馴染みの客は、せめてその薄汚れた外套を外し笑顔の一つでも浮かべてみてはどうかというのだが、ノアにはそんなことをする気はまったくない。

 緩く波打つ黒髪を腰の辺りまで伸ばし、日の差さぬ森の奥で暮らしているせいか、肌は青味を帯びたように白い。人によっては透き通ったような肌と表現するものもいるだろうが、一般的には不健康そうにしか見えないだろう。猫のように尖った目尻が包み込む瞳は、夏の太陽のように濃い金色をしている。しかし、その虹彩の部分だけ柘榴のように赤い。まるで黄金の中に真紅の宝石をちりばめたような彼女の瞳は、多民族国家であるアシュヘルクでも、滅多にない色彩だった。そのため、時には人の注意と関心、嫌悪の対象となった。

 高くもなく低くもない鼻は少しばかり上向きでいつもむすりと引き結ばれた唇はお世辞にも愛らしいという印象は与えない。むしろ気難しげで偏屈そうだ。事実、彼女の声は抑揚が乏しく、つっけんどんな物言いが多く、性格も勝気だった。

 彼女の薬草を買いに来る客の中には、面と向かって扱いにくい娘だと言って来る者もいる。

 誉められたことなど滅多にない。おおよそ欠点しか浮かばない容姿だと、ノア自身自覚している。この顔を愛らしいなどと誉めてくれる奇特な人物など知っている限り一人だけだ。

 しかし、自分の容姿に自信がないからという理由だけで、彼女が外套を被っているわけではなかった。

 と、そのとき、広場の入り口がざわりと騒がしくなった。太鼓や金を打ち鳴らす音が響き渡る。いっせいに人々がそちらの方へ顔を向けた。

(そういえばそろそろ薔薇祭りの時期だわ)

 薔薇祭りは、毎年春の終わりに十日間かけて行われる、アシュヘルクでもっとも盛大な祭りのことだ。国内全土で祝われるこの祭りは、国民はもとより王侯貴族も参加する。祭りの時期が近づくと、国王の使者が国中を回って、太鼓や笛をかき鳴らしながら祭りの開催を知らせるのだ。

 アシュヘルクは、建国以来薔薇の紋章を国花に掲げ、さらには王家の紋章としている。薔薇の花はこの国でもっとも愛され親しまれ尊まれている花なのだ。そのため国の至る所で薔薇の花を目にすることが出来た。それは街道の沿いに、町の出入り口に、畑の片隅に、民家の庭に、色も品種も様々な薔薇が植えられた。アシュヘルクを訪れた旅人は、一年を通して決して途絶えることのない薔薇の姿に、まず驚くことになる。

 薔薇の花には幸福の象徴と、魔を払う強い力があるとされている。そのため玄関の軒下に薔薇の花をつるせば幸運が舞い込んでくると信じられていたし、薔薇を窓辺に飾っておけば、空き巣や強盗を鋭い棘で追い払ってくれると言われている。若い恋人たちにとっては薔薇は愛の象徴であり、真紅の薔薇の花の傍で交わした愛の約束は決して破られることがない。

 また国を挙げて薔薇の品種改良や新種の発見にも力を入れている。王城には広大な薔薇園があり、貴族達はお抱えの薔薇学者を一人は持っている。

 薔薇の花びらの砂糖付けや薔薇酒はアシュヘルクでも人気の土産物の一つだ。

 この薔薇祭りの季節になると、国中にはいつも以上に薔薇の花が溢れる。

 そういえばと、ノアは今日はいつにもまして市場で薔薇の花や小物を売っている店が多かったことを思い出した。

「今年はめでたい。ついに皇太子様が薔薇妃(ばらきさき)をお決めになるんだそうだ」

 風に乗って、そんな呟きがノアの耳にとど置いた。

 薔薇妃。

 薔薇祭りの最大の山場は、薔薇姫の選定会だ。国中から選ばれた美しい娘たちの中からたった一人を選び出し、薔薇姫として一年間、国の祭事などに参加することが義務つけられている。いわば薔薇姫は国民の代表者であり、国の象徴なのだ。

 国の祭事には常に王侯貴族も参加する。美貌の薔薇姫が、貴族の子弟に見初められ伯爵夫人や公爵夫人になることも珍しくない。

 そもそも薔薇姫に選ばれれば、国王から多額の報奨金が与えられる。それだけでも十分魅力的であり、少しでも容姿に自身があるものは、こぞってその薔薇姫の選定会に出たがった。

 が、その薔薇姫たちの選定会が数十年に一度の割合で、がらりと重要度を変えることがあった。それが薔薇妃だ。

 王家の第一王子は、その婚姻相手を薔薇乙女の中から選ばなくてはならない。薔薇乙女とは、国中から集められた選りすぐりの美女たちを指す。通常はその中から薔薇姫を選び出し、一年の任期で交代する。しかし、薔薇妃に任期は存在せず、一度選ばれればそれは生涯をもって全うしなくてはならない。――――――アシュヘルクの王妃として。

 アシュヘルクでは第一王子の花嫁は、血統や身分では選ばれない。その選定基準がどこにあるのかは、一般市民の知るところではないが、薔薇乙女たちの中から選ばれた薔薇姫は、王子と婚姻することで薔薇妃となり、アシュヘルクの花嫁になる。

 現国王のお妃も、先代国王のお妃も、そうやって選ばれた。それは古くからこの国にある決まり事だ。

 どうやら今年は、その数十年に一度の選定会になるらしい。薔薇祭りはいつも以上に盛り上がることになるだろう。

「あたしには関係ないことだけど・・・・・」

 ノアは独り言を呟く。森の奥で一人ひっそりと暮らすノアには、薔薇祭りも薔薇妃のことも、どうでもいいことだ。祭りも参加する気もない。毎年毎年、一人きりで木々に囲まれて過ごしてきた。そう、去年までは。

 ――――――彼女はまさか自分がその祭りの一番の華やぎの中に放り込まれることになるとは、このときまでまったく思いもしていなかったのである。

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