第54話 小鳥と小百合の想い その1


 今朝は目覚めがいい。熟睡した時のような爽快感があった。


「さすがに熟睡できたか……目覚ましより早く起きたのに、体が軽いな」


 小鳥とのデートの日。悠人がそう言って大きく伸びをした。

 その時悠人の耳に、小鳥の歌声が聞こえてきた。小鳥が来てから毎日聞いていた歌であったが、三日聞かなかっただけで随分と懐かしい感じがした。




「え……小鳥?」


 こんな早い時間から、小鳥は来てるのか?


「あ、悠兄ちゃんおはよー!」


 小鳥が悠人の部屋に入ってきた。いつもの元気な笑顔だ。


「待っててね悠兄ちゃん。今、朝ごはん作ってるから……って、時間的には昼ごはんだけどね」


「え……昼……」


 悠人が時計を見る。時間は昼の12時を少し回っていた。


「……12時!俺、寝過ごしたのか!」


 悠人が慌てて飛び起きる。


 なんてこった……よりによって、小鳥とのデートに日に寝坊するなんて……目覚ましも間違いなくセットしておいたのに、無意識に切ってしまったのか……悠人が青ざめた顔で台所に向かった。


「小鳥ごめん!」


 小鳥に向かい、勢いよく頭を下げる。


「どうしたの、悠兄ちゃん?」


「いやその……寝過ごしてしまった。すまん!」


「ああ、そのこと?いいよそんなの。だって悠兄ちゃん、三日間大変だったでしょ、朝から晩まで」


「いや、でも……約束は約束だ。折角のデートの日だって言うのに俺、目覚まし止めちまって……」


「それ、小鳥だよ」


「え?」


「小鳥が止めたんだよ。今日は朝早くからここにいたんだ。ルールだから仕方なかったけど、悠兄ちゃんと三日も会えなかったんだもん、ちょっとでも早く会いたくて。

 それでね、そぉっと悠兄ちゃんの部屋に忍び込んで、目覚まし止めておいたんだ。携帯のアラームも同じく、ね」


「お前が目覚ましを……でもお前、今日は俺との」


「そう、デートの日。すっごく楽しみだったよ。でも小鳥、それより悠兄ちゃんが疲れてるだろうから、ゆっくり寝かせてあげようって思ってたんだ。悠兄ちゃんに無理させてまで小鳥、デートしたくないから」


「そんなお前……」


「悠兄ちゃん、ほんとに疲れてたんだね。小鳥、悠兄ちゃんの頭撫でながらずっと寝顔見てたんだよ。でも全然気付かないし」


 舌を出して小鳥が笑う。その無邪気な表情に嘘はなかった。小鳥は心から、今日のデートのことよりも、悠人の体を気遣っていた。悠人の胸に熱くこみ上げてくる何かが生まれ、気がつけば小鳥を抱きしめていた。


「悠……兄ちゃん?」


「小鳥……ごめんな。折角のデートだってのに、気を使わせて……それから、ありがとな」


「いいんだよ、悠兄ちゃん。小鳥にとっての一番は、悠兄ちゃんの元気な笑顔。それに小鳥、毎日悠兄ちゃんとこうしてデートしてるんだから」


 そう言って笑う小鳥が愛おしくて、悠人は小鳥を抱きしめたまま動かなかった。驚いていた小鳥も、その悠人の様子に、だんだんと胸の高鳴りが強くなっていった。


「ゆ……悠兄ちゃん、とにかく顔洗ってきて。ご飯の用意するからね」


 その言葉にはっとした悠人が、小鳥から慌てて離れた。見ると小鳥はうつむいていたが、顔が真っ赤になっているのが分かった。その姿を見て悠人もまた、赤面していくのを感じた。


「あ、ああ」


 悠人は慌てて洗面台に向かった。




 食事中、小鳥はこの三日間にどんな所に行ったのか、興味津々な様子で聞いてきた。別にたいしたことはしてないよ、そう言いながら悠人が話す。


「で……こんな時間になったけど、予定はどうとでもなるから。今からでもするか、デート」


 そう何度か小鳥に尋ねたが、その度に小鳥は、


「今日は穏やかないい日だねぇ、悠じいさんや」


 などと言ってはぐらかしていた。


 その後小鳥は洗い物、洗濯、アニメと、いつもと変わらぬ動きをしていた。逆に悠人は、何度も時計を見てはそわそわとしていた。

 小鳥は悠人を気遣い、寝かせてくれた。それは小鳥の優しさであり、理解出来る。だが今からでもデートは出来るのに、小鳥ははぐらかすばかりだ。小鳥が何を考え、何を思っているのか、悠人には読めなかった。


 いつもと変わらない笑顔、いつもと変わらない優しさ。だが、明らかにいつもの小鳥とは違う。


 目の前にいる小鳥が、悠人の知らない小鳥にさえ思えた。無邪気さ、はかなさの中に見え隠れしているもの……それが強さだと感じた時、悠人は小鳥が小百合と重なって見えた。




(そうだ、この感じ……小百合と同じだ……小百合はいつも何かを決意した時、こんな感じだった……いつもと変わらない空気の中にこう、何か一本張り詰めたものが……)




 小鳥が紅茶を入れて持ってきた。


「小鳥は飲まないのか?」


「うん、ちょっと……ね。悠兄ちゃん、一つお願いがあるんだけど、聞いてくれるかな」


「お願いって、どうしたんだ、あらたまって。デートなら勿論いいぞ」


「そのデートのことなんだけど……小鳥じゃなく、別の人とデートして……欲しいんだ」


「別の人?」


「うん。小鳥、このデートが決まってから、ずっと思ってたんだ……偶然で決まったデートだけど、このタイミングが多分、一番いいんだろうなって」


「よく分からないけど、どういうことかな、別の人とデートって。弥生ちゃんに菜々美ちゃんに沙耶に小鳥。俺とデートするなんて物好き、他にいないと思うけど」






「あと一人、いない……かな。悠兄ちゃん」


「え……」


 小鳥の憂いを帯びた大きな瞳が、悠人の口から出てくる言葉を待っていた。


「小百合……」


「そう!悠兄ちゃんの永遠の想い人、水瀬小百合さんです!」


「……って、待て待て小鳥。なんでここで小百合の名前が出てくるんだ。大体小百合は今」


「はいこれ」


 悠人の言葉を切って、小鳥が持っていたDVDを悠人に差し出した。


「まずはこれを見て。お母さんのDVD第二弾。これは小鳥の……小鳥の卒業旅行最後のイベントなんだ。お母さんが悠兄ちゃんに伝えたいことが、ここに入ってる。小鳥は見てないけど、お母さん、そう言ってたから」


「……分からない……小鳥、どういうことか分からないよ」


「小鳥、悠兄ちゃんが見ている間、外に出てるから。小鳥のお願い、聞いてくれないかな」


 小鳥が悠人の手に、そっとDVDを置いた。


「悠兄ちゃん、また後でね」


 そう言って、小鳥が悠人の頭を抱きしめた。

 小鳥の優しい抱擁。それは、自分よりも大きな存在に抱きしめられているような、不思議な感覚だった。

 そしてしばらくすると、小鳥は優しく笑い、部屋から出て行った。





「……」


 部屋に一人残された悠人が、手にしたDVDを見つめる。なんだ、この胸の高鳴りは……これは何を意味してるんだ……

 今日は小鳥とのデートの日。しかし小鳥はその一日を、小百合に譲りたいと言った。そして今、俺の手の中にあるDVD……悠人の頭はまとまらず、混乱していた。

 煙草に火をつけ、少し気持ちを落ち着かせる。そしてDVDをトレイに乗せて、こう思った。

 何が起こってるのかよく分からない。ただ言えることは、このDVDが答えになっている。そしてこの中には、自分に今、考え付かない何かが記されている。これを見なければ先には進めそうにない……




 煙草をもみ消した悠人が、意を決して再生ボタンを押した。

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