第21話 深夜の邂逅 その1
その日は、朝から冷たい雨が降っていた。
「今日は早めに帰るからな。明日は沙耶の引越しで忙しいだろうし、今日は三人でゆっくりしよう」
「悠兄ちゃん、何時ごろに帰れそうなの」
「明日出荷するやつも昼頃には片付きそうだし、うまく行けば久しぶりに5時あがりになると思う」
「そうなんだ。私も5時あがりだから、ゆっくりできるね」
「沙耶はどうするんだ、今日」
「今日は一日ネット三昧だな。こっちに来てからブログの更新も出来ていないしな……それはそうと遊兎、お前は一体何の仕事をしておるのだ」
「金型工。色んな部品を作るための型を作るって言えば分かるかな。言ってみれば、たい焼きを作る金属の型みたいなやつ」
「ほぉ、遊兎の仕事はたい焼きの製造か」
「お前、耳に残った言葉だけで理解するな。これでもうちの会社は、小さいけど世界で認められてるんだからな。明日納品するやつも、アメリカの航空会社の部品なんだぞ」
「へぇー、難しいことは分からないけどすごいんだね」
「あそこが満足できる精度の物を作れるのは、日本でも数えるほどしかないんだからな」
「よく分からぬが、すごいと言うことは理解出来た。遊兎、仕事に励むがよい」
「褒められた気が全くしないんだが……ま、いいか。とにかく今日は早く帰るから」
昼休み。食後にコーヒーを飲みながら菜々美と話していると、工場長が血相を変えて食堂に入ってきた。そう言えば午前中、工場長が慌しく電話でやりとりしていたが、何かトラブルでもあったのか……そう思いながら悠人が尋ねた。
「どうしました、工場長?」
「工藤、ややこしい話なんだが」
話はこうだった。明日納品する商品の中で、先方が発注漏れしていた部品があったらしい。先方のミスなのだが、無理を承知で頼み込んできた。何とか明日の納品に間に合わせてもらえないか、と言うことだった。
「で、その部品ってのは?」
工場長が図面を持ってきて説明する。通常なら一日はかかりそうなものだった。
「何とかなりそうか」
「今から削り出して研削にかけたら……でも今からかかってもそうですね、半日はかかりますね」
「ぎりぎり間に合うか……頼めるか」
「分かりました。なんとかしてみます」
「すまんな工藤」
「いえ、何とかなりそうでよかったですよ」
「じゃあ先方には、やってみると連絡はしておくから。他のやつらに手伝わせることがあったら言ってくれ」
「分かりました。とりあえず削り出してきます」
「悠人さん……」
菜々美が少し心配そうな視線を悠人に投げかけた。
「と言うことで菜々美ちゃん、ちょっと頑張って仕事してくるね」
そう言って悠人が工場に向かって行った。
「いつものことだけど……小鳥ちゃん、今日はまた随分ご機嫌だね」
カウンターの中でコンビニのおばちゃん、山本が小鳥に話しかけた。
「はい、今日は悠兄ちゃんが早く帰ってくるんで」
「そうかい。明日は休みだし、今日は悠人くんとゆっくりできるね」
「サーヤもいてるし、ひょっとしたら弥生さんも来るかもしれないし。今夜も旅行の夜みたいに楽しくなりそうで」
「じゃあ今夜はご馳走だね」
「そう思って、何がいいかずっと考えてるんですけど、中々決まらなくて」
「そうかいそうかい……でも折角のいい日なのに、お天気が悪くて残念だね」
その時携帯にメールが入った。
「……」
「悠人くんからかい?」
一瞬表情が曇った小鳥を見て、山本が聞いた。
「はい、悠兄ちゃん、今夜は徹夜になるかもしれないって」
メールに返信をうちながら小鳥が言った。
「あらまぁ。今夜は早いって言ってたのに」
「よく分からないけど、会社でトラブルがあったみたいです」
メールを打ち終わると顔をあげ、にっこりと笑った。
「仕方ないですよね、お仕事なんだから」
その笑顔の中に様々な感情が入っていることを、山本は感じた。寂しさや失望感も混ざっている。しかしそれ以上に、悠人のことを応援したいという思いが強くあるように思えた。
「いい子だね、小鳥ちゃんは。悠人くんも幸せ者だね」
「へへへ」
『がんばれ悠兄ちゃん♪』
『委細承知、勤労に勤しむ男の姿は美しい 沙耶』
「……すまんな、二人とも」
携帯をポケットに入れ、悠人は再び作業に戻った。
夜九時。
他の作業員はすでに帰っていた。工場長にも、完成したら連絡を入れるからと、一旦帰宅してもらっていた。
一人工場で研削機に向かっている悠人に、菜々美が声をかけた。
「悠人さん、ちょっと休憩しませんか」
手にはコーヒーが持たれていた。
「お、サンキュー菜々美ちゃん」
悠人がカップを受け取り一口飲んだ。
「ふうぅっ……生き返るね」
「悠人さんずっと根詰めてたから、いつもより砂糖多めに入れてますよ」
「だね、絶妙だよ。こういう気のつき方って本当、菜々美ちゃん出来る子なんだよね」
「そんな……でも、気がきいているとしたら、それは悠人さんだからですよ」
菜々美はそう言って小さく笑った。
菜々美が悠人に告白したのは二年前にさかのぼる。
就職してから一年、職場にも馴染んでそれなりに仕事も楽しくなっていた。
何より悠人の存在が大きかった。悠人のことを意識しだし、少しでも共通の話題を持ちたいと見始めた深夜アニメは撃沈したが、そのおかげで悠人と新しい関係を作ることが出来た。
今は数あるアニメの中で、悠人が勧めてくれた『魔法天使イヴ』だけを見ている。相変わらずよく分からない世界観や展開、絵柄に苦労していたが、それでも悠人との唯一の接点になるかもしれないといった思いから、毎週かかさずに見ていた。おかげで悠人とは、これまで以上に親しく接していけるようになっていた。
その日、菜々美は大学の友人たちとの飲み会に来ていた。
久しぶりに会った友人たちから出てくる話は、どれもこれも恋愛話ばかりだった。町工場に就職した自分と違って、銀行や商社で働く彼女たちには出会いも多く、声をかけられた、ドライブに行った、告白されたと、出てくる言葉は菜々美の現状とはほど遠いものだった。
「で、菜々美は?運命の相手はいた?」
少し酔いがまわっている友人が、菜々美に抱きついて聞いてきた。
「え?」
「え、じゃないでしょ。ずっと言ってたじゃない、運命の相手はこの空の下、どこかにいてる。会える日を楽しみにしてるから、まだ見ぬその人の幸せを毎日祈ってるって」
「菜々美のその妄想癖、私は好きだったな」
「菜々美にならそんな人、ほんとにいるかもって思ったもんだよ。だって菜々美、ほんっといい子だし。私の嫁にしたいぐらいだよ」
そう言って菜々美に抱きつく力をこめてくる。
「……くすぐったいって」
「おお、昔よりいい反応だねぇ菜々美。その様子ならほんと、運命の人に出会えたのかい」
「だからちょっと……なんかその手、いやらしいから……きゃっ!」
「おおっこの胸、まだ育ってるのかね。これは間違いなく恋をしてる胸だね」
「ちょ……やめ……」
「おおっ、その運命の人は、この胸の発育に貢献しているのかね」
「いい加減に……しなさい!」
菜々美のゲンコツが頭を直撃した。
「てへへへ、やりすぎ?」
「全く……運命の人は……確かに」
「なになに、本当に出会ったの!」
「よく分からないけど……意識してる人はいるんだ。会社の上司でちょっと年上なんだけど、優しくていい人……」
「おお、ついに菜々美にも春が来たのか」
「まだそんなんじゃ……」
「キスぐらいしたの?」
その言葉に、菜々美が顔を真っ赤にしてうつむいた。
「あー」
友人たちが揃って声を上げた。
「こりゃまだだな……」
「と言うか、キスの話題で赤くなる成人女子がいることがすごいわ」
「菜々美には悪いけど、なんか菜々美にはずっとこのままでいて欲しいよねー」
「ほんとほんと」
「人ごとだと思って……」
「で、その人とどんな感じ?脈あり?」
「脈は……どうなんだろうな。すごくいい人なんだ。ちょっと変わった趣味とかあるんだけど……その人と一緒にいると、いつも暖かい気持ちになって……たまに映画とか一緒に行ったりしてるんだけど……でもその人、私のことを妹みたいにしか見てくれてないような感じなの」
「それは押し倒すしかないね」
「うん、既成事実だね」
「ええ?」
「女に迫られて理性を保てる男なんて、そうそういない。既成事実さえ作ってしまえばこっちのもんよ。菜々美がほんとにその人のことを思ってるなら、彼の背中を押すためにも実力行使に出るしかないね」
「菜々美はスペック高いし大丈夫」
また菜々美の顔が赤くなった。
「菜々美かわいいー!」
「もぉ……すぐそうやって、みんなでからかうんだから……」
菜々美が照れながらビールを口にした。
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