第13話 家出少女・沙耶 その1
小鳥が来て一週間になろうとしていた水曜の夜。この日は弥生から、サークルの打ち上げで帰ってこないと小鳥にメールがきていた。
『でも小鳥さん……抜け駆けは許しませぬぞ……』
そして小鳥も、今日は遅番で10時までの勤務になっていた。久しぶりに悠人は、家で一人の時間を過ごしていた。
小鳥の用意していたカレーを食べ、入浴を済ませジャージ姿になった悠人は、居間でコーラを飲みながらアニメを見ていた。
まだ小鳥が来てから一週間にもならないのに、部屋がやけに広く感じた。仕事の後、一人でこうしてアニメを見ている生活をずっと続けていたのに、今はそのことに違和感すら感じられた。それが不思議だった。
小さくあくびをした後で煙草に火をつけた時、メールの着信音がなった。
『我、到着せしめたり カーネル』
「カーネル……来たか……」
そうつぶやいて、悠人が白い息を吐いた。
ネットで知り合った友人、カーネル。
出会いはゲームのレビューだった。ある恋愛シミュレーションゲームのレビューを読んでいる時に、過激な発言をしている男がいた。それがカーネルだった。その切り口や毒舌に興味を持った悠人は『カーネル』を検索、彼のブログにたどりついた。
ブログ名は「カーネルの
そこには自称19歳のカーネルと名乗る男が、あらゆるアニメやゲームに関するレビューを書き連ねていた。その内容はやはり過激なものだったが、悠人は不思議と好感を持ち、そこの読者になっていった。そして時に、カーネルにコメントするようになった。
悠人のハンドルネームは『
煙草を消し、紅茶の用意を始める。今夜も冷える。せっかくだから温かい紅茶でも入れて迎えてやろう。そう思っていたとき、再びメールがきた。
『着』
同時にインターホンがなった。
悠人がモニターを覗く。しかし誰の姿も見えない。
「……」
いぶかしげに思っていると、再びインターホンがなった。
「カーネルか?」
ドアを開けて外を見渡す。しかし人影が見当たらない。
「ん……?」
胸の辺りにつんつんと感触がある。悠人が視線を下ろすと、金色の髪が見えた。
「え……」
金髪の主が顔を上げる。そして意地悪そうな笑みを浮かべながら、その主が口を開いた。
「遊兎!カーネルここに参上!」
「え……ええっ!」
そこには、グレーのミンクのコートを身にまとい、旅行バッグを手にした、青い瞳に金髪ツインテールの美少女が立っていた。
ヲタクが泣いて喜びそうなその容姿に、悠人の頭が真っ白になった。
(え……カーネル……カーネルが今日ここに来るんだよな……カーネルは男で……気のいい連れみたいで……勿論やつも自分のことを男と言ってて……じゃあ今、俺の目の前にいるこの金髪美少女は誰なんだ……?)
「ふっふっふっふっ……」
少女が不敵に笑う。
「驚いているな、遊兎よ。驚くのも無理はない、それでこそ我が戦略の勝利というものだ」
「お……お前がカーネルだと言うのか?」
「然り」
「……ならカーネル」
「なんだ遊兎」
「質問だ。『地獄の黙示録』でカーツ大佐の夢に出てきた物は」
「かたつむりだ」
「シェフの前に現れた動物は」
「トラだ」
「全編を通じて流れた曲は」
「ドアーズの『THE END』だ」
「む……むむっ……こ、この問いにそこまで間髪いれずに即答出来るとは……お前、本当にカーネルなのか」
「驚くのも無理はない、私はネットの中でずっと男を演じ続けていたからな。だがリアルに会うとなれば、最早隠し立ても必要もない。私がカーネル、おまえの親友、
コートの上からでも容易に想像出来る、残念無念な胸を突き出してどや顔になる美少女は、頬を赤らめながら嬉しそうに笑った。
「ふうう……」
紅茶を一口飲んだ沙耶が大きく息を吐いた。
「これはまた……不思議な味だな」
「ん……ティーパックのことか?」
「ティーパック……なるほど、言葉通りなら、紅茶の葉を詰め合わせたものか……お手軽だな」
「どこのお嬢様だよ」
「しかし気に入った。これなら私にでも作れそうだな」
「作るってそんなたいそうな……お前ん家じゃ、ティーパックで紅茶を飲んだりしないのか」
「うむ、いつもメイドが茶葉で作るからな」
「メイド?」
「そうだ。私はさっきお前が言った通り、れっきとしたお嬢様なのだ」
「リアルお嬢様ってか……確かにそのコートと言い雰囲気と言い、確かにお嬢様って感じだけどな」
「うむ。これでもその筋では、結構名前の通った一族なのだ。まあしかし、私とお前の間では何の意味も持たないただの記号だ」
「苗字が記号ってか……まぁいい。それより聞かせて欲しいことがあるぞ、カーネル」
「私がなぜ男として振舞っていたか」
「そうだ。まずそこから説明してもらわないと、色々とややこしくなるんだ」
悠人が時計を見る。もうすぐ小鳥が帰ってくる時間だ。小鳥に説明するためにも、まずは自分が納得しないとどうにもならない。
「カーネル、お前と個人的にメールをしだして2年になる。俺たちは近況を報告しあい、バカ話で盛り上がったりした。実は女だってことを話すタイミングは、何度もあったはずだ。しかもこうして直接会うってことになったのに、なんで教えてくれなかったんだ」
「まず最初に」
沙耶が目を閉じ、右手をかざして言った。
「ここはネットの中ではない。私のことはカーネルではなく沙耶と呼ぶのだ」
「カ……」
「沙・耶・だ」
「わ……分かった、沙耶……」
「うむ、それでいい」
子供っぽい笑みを浮かべ、満足そうに沙耶がうなずいた。
「私は確かに、ネットの中で男として存在してきた。ネット世界に入ったのは3年前。私は北條沙耶としての19年の人生と共に、カーネルとして生きてきた3年の人生がある。一度しかない人生において、二つの人生を歩めるなど、楽しいとは思わないか?」
「なんか……すごい理屈だな」
「そうでもあるまい。遊兎、お前もそうだろう。本名は工藤悠人だったな。だがネットの中でのお前は、親から与えられた名前ではなく、自らが名付けた名前で生きている。それはつまり、たとえ僅かではあっても、違う存在として生きることを望んだ結果ではないのか?私の場合はそれが高じて、結果的に性別まで変えることになっただけなのだ」
「……言わんとすることは分からんでもないが、だがカーネル」
「沙耶だ」
「……沙耶、お前は要するに人生のリセットなるものを望んでいたのか?」
「これはまた異なことを。私はリセットなど望んではいない。単に私は、人から与えられた環境ではなく、自らの力をもって自分の世界を作ろうとしていただけなのだ。
私の生まれ育った環境は、ほとんどと言っていいほど、周りから与えられた世界だ。おそらくその世界は、下々の者たちにとってはかなり恵まれた世界だ。このまま生きていっても特に問題もないだろう。だが私はずっと、自分一人でどこまでやっていけるか、それを試したいと思っていた。自分の力を、存在を確かめたかった。それには匿名で存在出来るネットが最適だったのだ」
「自分の力か……なるほどな。そのお前の思いが結果として、カーネルという男を生み出したと言うことか……ん、分かった。いや誤解して欲しくはないんだが、俺は別にお前を否定している訳じゃないんだ。男と偽っていたことも怒っているわけじゃない。ただ理由を聞きたかっただけなんだ」
悠人が小さく笑った。
「でも沙耶、お前、やっぱりカーネルだよ。これまでずっと話してきて、お前の風貌を色々想像してみた。それが実は、こんな女の子でびっくりしたけど、俺が初めて友達だと思ったカーネルそのものだよ。沙耶、会えて嬉しいぞ」
そう言って悠人が沙耶の頭に手をやった。
「ひゃ……」
沙耶が赤面してうなった。
「おっと、すまんすまん、いつもの癖で……軽々しく女の子の頭を撫でちゃいかんよな」
悠人が慌てて手を引っ込めた。
「いや……」
沙耶が照れながら、悠人の顔を上目使いで見つめる。
「遊兎、やはりお前は遊兎だ。お前は今、私のことを初めて出来た友だと言った。それは私も同じだ。私にとっても遊兎、お前は大切な友人だ。お前に会える日を、これまでずっと心待ちにしていた。今その願いは叶った。しかも遊兎、お前は私が想像していた通りの男だった。嬉しいぞ遊兎」
沙耶が紅茶のカップを掲げた。悠人も笑い、カップを掲げる。
「友に……乾杯」
二人がカップを重ねた。
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