第7話 お隣さん・弥生 その2


「BMB……?」


「はい、サークル名です。ボーイ・ミーツ・ボーイの略でBMB。そこで絵師をしております。窯本やおいはペンネームであります」


「ボーイ・ミーツ・ボーイと言うことは……」


「はい、BLであります!びしっ!」


 にんまりと笑った弥生が敬礼をした。


「びしって擬音、普通は口にしないと思うけど……」


「私は中学の頃から、世間で言うヲタ道を日々修練してまいりました」


(いやいや、世間にヲタ道なんて言葉はないぞ……)


「そして高校でBMBと出会い、その本拠地のある大学に入った次第であります。

 我々の目的はただ一つ、いつかこのヲタ道を、この混迷の闇をさまよう日本再生の柱にすること。BMBはそのために日々戦う武闘派集団なのであります、びしっ!」


 弥生のマシンガントークに、悠人が呆気にとられる。


「そして思うに悠人さん、あなたにもヲタとしての血が脈々と流れているとお見受けいたしました。ゴッドゴーレムの自作とは、かなりレベルの高いヲタ道……言わばそう、正しくあなたこそ、ヲタ道の純血派なのです!」


「じゅ……純血派?」


「はい、悠人さんは今の時代をさかのぼること数十年、まだヲタたちが市民権を得ておらず、社会から孤立し、なおかつ活動できる場が少ない草創の時代よりヲタ道を歩まれてきた正に勇者様。あなたのような勇者様がいなければ、今私たちがこうしてかっ歩しているこの世界は存在しなかったのであります!」


「まぁ確かに……俺がこの世界に入った頃には、まだ同人誌なんて物もほとんどなかったし、ヲタクの凶悪事件なんかもあったりして、結構冷たい目で見られていたからね」


「だしょだしょ!」


「いやここは普通に『でしょ』でいいから」


「私も、悠人さんたちの世代の方に比べれば生ぬるいかも知れませんが、それなりに世間の疎外感なるものを感じながらこれまで生きてまいりました。

 その孤高の戦いの中、いつか出会えるであろう真の理解者、勇者様をずっと心に思い描いていたのです。それがまさか、こんな近くにおられたとは……これは運命です。きっと私は今日この日のために、これまで世間の冷たい視線と戦い続けてきたのです!」


「いやいや運命って、かわし……」


「弥生です」


「や……弥生ちゃんの周りにも、男のヲタなんて山ほどいるでしょ」


「社会人として立派に生活をしながらヲタ臭を感じさせず、なおかつディープなヲタ道を歩み続ける。そんな人を私は捜し求めていたのです」


「いやいや、だからそんな人、大学にもいっぱいいるでしょ」


「いえ、私こう見えてヲタ感知には自信があるんです。大学のメンバーも含めて、一般人のふりをしてても私はすぐに感じるんです、ヲタの遺伝子を。その私が一年かかっても悠人さんをヲタと認識できませんでした。悠人さんのような方は初めてです」


「なんっつーか、褒められてるのかどうかも分からなくなってきたけど……」


「ちなみに!」


(だめだこの子、全く俺の話聞いちゃいねえ……)


「今期一のお勧めは何ですか、悠人さん」


「え、あ……ああそうだな、ジェルイヴかな」


「ジェルイヴ……」


 またしても弥生の目が鈍く光った。


魔法天使マジックエンジェルイヴ!ここでそれが出てくる悠人さんはやっぱり最強のヲタ神様です!」


「ヲタ神様って……ついに神ですか」





「ふうぅっ……」


 3杯目の紅茶を飲み干した弥生が大きく息を吐いた。あれから小一時間ほど、弥生のトークは止まる気配を見せずに続いていた。


 悠人自身も初めは躊躇していたが、これほど深くアニメの話をするのは久しぶりだったこともあり、気がつけば一緒に大いに盛り上がっていた。いつの間にかお互いに、すっかり意気投合していた。


「もう一杯入れようか」


 そう言って立ち上がろうとした時、弥生が、


「いえ、私ばっかり入れてもらって申し訳ないです、次は私が」


 そう言って立ち上がろうとした。

 その瞬間、弥生の目の前が真っ暗になり、そのまま床にへたり込んでしまった。


「ど……どうしたの弥生ちゃん、大丈夫?」


 悠人が驚いて傍に行く。弥生は笑いながら手を振っていった。


「大丈夫です、あはははっ……なんか興奮しすぎたみたいで……私貧血気味なんです。ちょっと興奮しすぎたから、体がびっくりしちゃったみたいです」


「本当に大丈夫?」


「はい問題ありません。サークルでもよくこんな風になっちゃうんです。どれ、ちょっと薬をば」


 そう言ってカバンの中から、薬が入っている袋を取り出した。


「な……なんだこれは……」


 陳列していく薬の面々に悠人が面食らった。ビタミンやらなんやら、続々と出てくるサプリの数々。


「これ……まさか全部飲んでるの?」


「はい。私、子供の頃からあまり体が強くなかったからか、両親が色々とサプリを探してくれてたんです。中学ぐらいから自分でも勉強していくうちにはまっていって、いつの間にかこんなになっちゃいました」


「いやいやいやいや、これだけ飲んでたらそれはそれで駄目だろうって」


「よければお分けしましょうか」


「いやいや、俺も薬は好きだけど、流石にその量は」


 悠人から渡された水で、弥生が何錠ものサプリを一気に飲み干す。


「それと……貧血のお薬はと……」


 まだ飲むのか……悠人がそう思いながら水を継ぎ足す。弥生がジーパンのポケットに手を入れる。


「え……」


「どうしたの?」


「まさかこれは……」


 弥生が非常用の貧血の薬と共に、ポケットから鍵を出した。


「あ」

「あ」


「これがオチ……ですか……」


「はい、どうもそのようです。鍵、ありました」


 二人が顔を見つめあう。


「ぷっ……」


 そしてどちらからともなく笑い出した。


「あはははははっ」


「ははははははっ、まさかこんな、こんなベタなオチ実際に見るなんて、はははははははっ」


 二人が夜遅くにも関わらず大声で笑いあう。


「どこまで鉄板に忠実なんだよ、弥生ちゃんは。玄関での店開きといい、実は違うポケットに入ってましたなんてオチ……まさかこんなシチュエーション、リアルに体験できるとは」


「ほんとですよね、あはははははっ」


 しばらく笑いあった後、遅くまでお騒がせしてすいませんでした、そう言って深々と頭を下げ、弥生は自分の家に戻っていった。





 その夜、一人布団の中で体を丸めている弥生は、自分の胸の高鳴りを抑えられずにいた。


 目を閉じると悠人の顔が浮かんでくる。自分の話を聞いている時の顔、自分に向けて熱く語っている時の顔。どの顔を思い出しても、胸の鼓動が高鳴っていく。こんな気持ちは初めてだった。


 あの人はこのままの私を受け入れてくれる。そしてあの人も、ありのままの自分を見せてくれる。それが嬉しかった。ただのヲタク仲間としてでなく、確実に弥生は、年が倍ほど離れてるのにも関わらず、悠人を一人の男性として意識している自分を感じていた。


(私って、おじさま系だったっけ……いやでも悠人さん童顔だし、黙っていれば30台前半、もしかしたら20台後半と言ってもいけそうな感じだし……)


 お気に入りのアニメ『ナイト・シド』のシド抱き枕を抱きしめながら、弥生は何度も寝返りをうちながらそう思った。そしてしばらくして勢いよく起き上がると、ベランダに向かっていった。


 ベランダに設置してある瓶にロケット花火を挿す。そして導火線に火をつけた。火薬に火がつくと同時に、発射される方向に向かって指差し、弥生が叫んだ。


「祝砲ーっ!」


 その声と同時に花火が、向かいの川に向かって勢いよく発射された。




(えらい一日だったな……)


 弥生が祝砲をあげていた頃、録画しておいたアニメをチェックしながら、悠人も弥生のことを考えていた。


 あれだけエネルギッシュに自分の世界を語る人と出会ったのは、小百合以来のことだった。元々人付き合いが苦手な彼は、たとえ同じヲタクであっても深く付き合うことをしなかった。だが弥生の強引な押しの強さに圧倒され、気がつけば自分も一緒になって熱く語っていた。

 しかし不思議と疲れは感じていなかった。それどころか、楽しい時間だったとさえ思っていた。こんなことは初めてだった。


「いいお隣さんだったんだな……」


 ひょっとしたら小百合以外で初めての「友人」に出会えたのかもしれない、そんな風に思っていた。





 翌日の夜、悠人が帰宅すると同時にインターホンがなった。モニターを見るとそこには弥生が立っていた。


「こんばんは」


 悠人が慌てて玄関を開けると、満面の笑みを浮かべた弥生が、


「昨日はどうも、お騒がせしてすいませんでした」


 そう言って頭を下げてきた。


「ああ、いや、俺の方こそ話しこんじゃってすいませんでした。で、どうしました?」


 弥生が手に持った鍋を突き出して言った。


「あの実は……肉じゃがを作ったんですけど、作りすぎちゃって……よかったら食べてもらえませんか」


「は……」


 悠人の頭に、またよからぬ無駄な知識が巡り巡った。


「鉄板って思いましたね、今」


 意地悪そうな笑みを浮かべて弥生が言った。


「……あ、いや……え?……鉄板って、やっぱ狙いじゃないか」


「そうです、これも悠人さんのヲタ度を測るイベントです。狙い通りのリアクション、ご馳走様です」


 そう言って弥生は中に入ってきた。




 鍋をコンロに置いて温める。そしてテーブルの上のコンビニ弁当を見て、


「やっぱり……悠人さん、いつもこんなのばかり食べてるんですね。こんなのばかりだと栄養が偏ります……ちょっと待っててくださいね」


 そう言って弥生は自分の部屋に戻っていった。肉じゃがが温まり火を消した頃に、トレイにご飯、味噌汁に漬物を乗せて戻ってきた。


「さあ、食べましょう!」


 弥生の味噌汁は絶品だった。これまで食べてきたどの味噌汁よりも美味しかった。


「この味噌汁……」


「あ、はいっ。これ合わせ味噌なんです。実家から持ってきた味噌をメインに、市販の味噌を色々ブレンドして作り上げた弥生オリジナルです」


「うまい……うまいよ、弥生ちゃん」


「お口にあって何よりです」


 そう言って弥生が嬉しそう笑った。


 その後弥生は、自分が書いたというBL本を一冊悠人に渡した。ヲタ話は好きだが、流石にBLは……と思った悠人だったが、思っていた以上に弥生の絵は自分好みのもので、話も面白く一気に読んでしまった。その反応に満足した弥生が、


「また持ってきますね」


 そう嬉しそうに言った。


「でも流石にそっちの世界には行けないから、変な期待はしないでね」


 そう悠人が突っ込むと声を出して笑った。


「ところでさっきから気になっていたんだけど、そのリボン……」


 と悠人が、ポニーテールにくくっている紫色のリボンを指差して言った。


「シドが右手にしてるやつだよね」


「がーっ!」


 弥生が声にならない声をあげた。


「これが分かるとはやはり、やはり悠人さんはヲタ神様ですーっ!」




 それから弥生は、週に2、3回のペースで悠人に食事を持ってきて、一緒に食べるようになった。そして会って話をする度に、悠人への思いを募らせていった。

 悠人の方も気楽に話せる友人が出来たことを素直に喜び、弥生と話すことが楽しくなっていた。そうした関係が、もう一年ほど続いていた。

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