第11話 SEASONS-11

 母親が様子を見にきたときには、いつもの朝のように目覚めることができた。心配そうな母親の顔を見ると、自分だけが落ち込んでもいられないと思いながら、にかっと笑ってみせた。それを見て安心した母親の顔は、自分にも安心感を生み出してくれた。

「先生が来てるわよ」

「えっ?いま何時?」

「もう5時半よ」

朝かと思っていた千春は拍子抜けした気分で起き上がった。脱ぎ散らかしっぱなしの服から適当に見繕ってもそもそと着込み、部屋を出ようとしてあわてて鏡を覗き込んで髪を整えた。

 とんとんと階段を降りてリビングに入ると、溝口先生ともう一人、知らない女性がソファに座っていた。慌てて姿勢を正し、挨拶をすると、溝口先生が、

「体調はどう?」と訊いてきた。ずる休みなのにと思い、恥じ入りながら、

「もう、大丈夫です」と答えた。

そう、と言うと、先生は一呼吸入れた後、同伴の女性を紹介した。

「こちらは、深沢さんのお母さんよ」

 千春は恐縮したままソファに座った。先生に改めて紹介されると、静かに深沢の母は口を開いた。

「昨日は寒いなか、皆さまに来ていただいて本当に感謝しております」

昨日会ったはずだったが、全く記憶になかった。恥ずかしいような気持ちのまま、深沢の母の方を見ていた。

「実は、智美の日記の中に、広瀬さんのことが書いてあったので、一度お会いしたいと思って、先生にお願いして連れてきていただきました」

そう言いながらハンドバッグから丁寧にノートを差し出した。ピンクのカバーの小さな日記帳だった。目で確認を取り、ゆっくりと手を伸ばした。そっと手に載せてみると、羅紗地の生地が手に馴染む。貴重品を扱うようにゆっくりとページを繰ると、深沢の性格を表すかのように端正な文字が整然と綴られていた。神聖な経文を目にしたようで、千春はその場で読むことができなかった。顔を上げると、暖かな目で見つめられていることに気づいた。


 「智美は…」深沢の母親は、身を崩すこともなく淡々と話し出した。


「…おとなしい子でしたから、いじめられることもないほど、おとなしい子でしたから、あまり友達もいませんでした。…それに、体が悪くて、小さいころから何回も入院して、学校もよく休みましたから、よけいおとなしくなって…。それでも、よく勉強して、緑ヶ丘に受かったときは、本当に喜んでいました…。…あんなに、感情を出して、喜んだ智美を見たのは……、あの子がまだ小さいころ以来でした。…でも、体は一向に良くならなくて、よく休みました。あの日も……、…こんなことになるとは思いませんでした」


 千春はじっと聞いていた。本当に死んだんだと、いま、ようやく実感された。昨日あれだけ泣いたのに、泣いたのは一体どうしてだったんだろう、と思いながら、また涙が出てきた。


 「だから、智美は、ほとんど友達もいませんでした。本人もそれでいいんだと、思っている風でした。無理に、この学校に入ったのが悪かったんじゃないかとも、思ったこともあったんです。それで…、転校する、って訊いたら、本人は嫌だと云って、あぁ、この子はこれでもこの学校が気に入ってるんだと思ってそのままにしていたんです。……、でも、体の調子は良くならなくて、そのまま3年生になってしまって……

 あの子が亡くなって、私、何もできなくなって…あの子の部屋の中でぼうっとしてて、日記を見つけたんです。悪いとは思いながら、見てしまって、一晩中読んで、…それで、広瀬さんの名前を見つけて、どうしてもお会いしたかったんです。それで、先生にお願いして」


 深沢の母はそこまで言うと、絶句して涙を拭っていた。千春も堪えきれなくなって、漏らした涙を袖で拭った。


「……それで、ご迷惑かもしれませんが、これを、この日記を千春さんにもらってもらえませんか?わたしの勝手な思い込みかもしれませんが、たぶん、あの子も一番喜んでくれると思います」

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