黄身が熟(で)きるまで

伏見京太郎

「黄身が熟(で)きるまで」 


「--- はい、はい、わかりました。タスク終了後、そちらに向かいます。」


 ブツンと声が消えた受話器を置く。


 近くの写真立てに飾られた写真は家族三人でピクニックに行った時のものだ。

 お弁当を持ちながら、屈託のない表情で娘が笑っていた。


「ねー。お母さん、まだー?」

「はいはいー。ちょっと待ってねー。」


 冷たいフライパンに火を点す。


「ねぇあなた。冷蔵庫から卵とってくれない?」

「んっ、これな。」


 人工培養された卵を手に取り、机の平面へ一度押し付ける。


 カッ、カッ。

 卵の表皮に亀裂が走り、透明の卵白が表面へ躍り出る。


「ねー、お母さん」


「なにー?」

「いつもの定期健診? は終わったの?」


「うん、昨日、お父さんがしてくれたの」

「お父さんはすごいなー、なんでもできるもんねー?」


「本当に、何でもできるの。すごいのよ?」


 褒めても何もでないぞと小さく俯き、ホットコーヒーをすする彼。

 割れた卵はその中身を熱されたフライパンの表面に落とし、透明な卵白に色が付き始める。塩と胡椒を混ぜた調味料を適量振り掛ける。卵が焼けた匂いが食欲を加速させる。


「そういえば、あの時から今日で一年だな。」

「そうね・・・。ずっと幸せだった。あなたとこの娘と一緒に暮らせて。」


「ねぇねぇ、お母さんどうしたの?」


「ううん、なんでもないの。もうすぐできるわよ。さ、椅子に座って」

「はーい!」


 おぼつかない足取りで子供向けに調整された椅子に座る娘。その姿と成長を見ているだけで、今まで過ごした日々を思い出させ、胸が締め付けられる。


 この娘と何度、同じ床につき、こうして食事を作り与えたのだろうか。

 私はこの娘の母親として責務を果たせたのだろうか。



 パチッ!



 卵の隣にある色づいたベーコンが油をはねさせる。すっかり半熟の機を逃した目玉焼きが香ばしい香りを振りまいている。狐色に色づいた黄身が熟した頃合いを告げていた。そろそろ完成だ。お皿に盛り付けよう。食器棚にある皿を取り出そう。


「はい、これだろ?」

「ありがとう。あなた。」


 必要なサイズの白い皿を手渡される。


「もう慣れたものだろう?さすがの俺も。」

「ええ、私と住み始めたときは何もできなかったあなたがここまでしてくれるなんて。」

「それはもうやめてくれよ」


 彼は慣れた手つきで全ての食器を用意してくれていた。

 目玉焼きとベーコンをフライパンから皿へ移す。移した先にはレタスもある。

 食卓にはインスタント調理されたコンソメスープと程よく焼けた食パンが用意してある。


「そろそろ冷めちゃうな。よーし、今日もおいしく、いただきます。」


 手を合わせて彼が一日の初めを告げる。


「いただきまーす!」


「はい、頂きます。」

 ぱんっと景気の良い音が響く。


「おいしー!」

 笑顔で目玉焼きを食べる娘。この頃はよく食べる。


 コーヒーを飲みながら彼が言う。


「今まで本当にありがとう。本当に、感謝している。」


「ええ。あなたと、この娘と過ごせて幸せでした。」


「いつも君が作ってくれる目玉焼きが楽しみだった。」


「あの頃より、上手に、できるようになりましたか?」


「あぁ、本当に美味しくなったよ。」


「あなたのおかげです。」


「いや、君のひたむきなトライ&エラーの結果だ。」


「それでも・・・」



 ピンポーン。





 しばしの沈黙が流れる。が、娘は笑顔でパンにかぶりつく。


「そろそろ、だな。」


「ええ。」

 彼が席を立ち、玄関に向かう。

 扉の先にはスーツ姿の男が2人。


「お迎えにあがりました。」


「ええ、少しお待ちください。」

 彼に呼ばれ、私は玄関に向かう。


「彼女です。」


「はい。」


 腰を落とし、玄関で外靴に履き替える。立ち上がり、この家に別れを告げる。

 短い間でしたが、いままでありが



「えー??お母さんどっかいっちゃうの?」



 娘が私の足に飛びつく。


「うん、ちょっとお仕事に行くの。」

「どれくらいで帰ってくる?」

「すぐよ、すぐ。」

「えー・・・」

「うーん、そうだなぁ。そうだ!」


 私は彼にもらったネックレスをこの娘につけてあげた。

 私にぴったりなアクセサリーも、彼女には大きく、アンバランスなものとなる。

 わぁ!と目が輝く瞬間の笑顔がたまらなく愛おしい。




「これ、お母さんの大事なお守り。すぐに帰ってくるからね?」

「うん!」

「あとは、たくさん笑って、お父さんと仲良くすること?お母さんとのお約束。いい?」

「はーいっ!」

「またね。」

「はやくかえってきてねー!」

「はーい!」



 扉を開き、心地よい風がこの身を包む。


 娘の笑顔で手を振る姿を見届けながらスーツ姿の男と静かな廊下を歩く。



 ほどなくしてエレベーターが到着する。男が乗り込み、私も乗り込む。

 扉側を振り返ると、玄関から彼と娘が見送ってくれている。

 

 私もずいぶん愛してもらったものだ。

 閉まるボタンが押され、扉が空間を遮断する。

 



 その刹那。

 



 エレベーターの自動扉に大きな手が差し込まれた。

 ぐっ!と扉は反動で跳ね返る。

 

 





彼の手だった。大きく、それでいて技術者の繊細な指。

「また・・・!いや、今度は、今度こそは!」

 


 彼のいつもとは違う声で。

「私が、私が!美味しい目玉焼きを作る!」

 

 彼のいつもとは違う顔で。

「きみが作るものよりずっと美味しいものを・・・!」


 彼が見せてくれるとっておきの愛を。



 「つくるから!」

 贈ってくれた。



「私も、私もっ・・・!」


 言葉が、言葉がでてこない。

「わたしができるまでの間、一年だったけど・・・」


 あれでもない、これでもない、今まで過ごしてきたこと

「それでも、あなたと過ごせて」


 全部、全部、全部。365日全部。

「あの娘と過ごせて」


 笑ったときも泣いたときも、怒ったときも愛したときも。



「幸せでした。」



 鉄の無機質な扉が彼の前に立ちふさがり、エレベーターは地上へ降りる。

 刹那に見えた彼の初めての泣き顔がとても愛おしかった。


 本当にありがとう。


 私とあの娘、そして彼。この三人で過ごした日々を私は忘れることはできない。


 唯一の心残りは、三人で過ごした写真を残すことができなかったこと。


 私が彼に言えなかった最初で最後のわがままだ。



 記憶が消えても、また思い出せるように。


 あの娘が笑った笑顔を、彼が抱きしめてくれたことを。

 この幸せを、わたしができるまで過ごした日々を。



 どうか、どうか、忘れないように。

 他に何も望まない。


 それだけで。それだけでいいから。

 

-------------------------------



 きみと過ごせるのは、きみができるまでの間だったんだ。


 本当に、ずっと完成させなければ良かった。


 ずっと、ずっと回り道していればよかった。


 ずっとこの娘と一緒に、私と一緒に生きて欲しかった。


 私はきっと忘れることはないだろう。



 きみができるまで過ごした日々を。







 テレビモニターにメールアプリのポップアップが飛び込む。


『この譲渡をもちまして。弊社と貴殿の家政婦型アンドロイドの試験運用・業務委託契約は終了しました。残りのギャランティと請求していただいた研究開発費は指定口座にお振込みいたします。この度は誠にありがとうございました。』











 「きみができるまで」了


 著:伏見京太郎(@Kyotaro_Fushimi)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黄身が熟(で)きるまで 伏見京太郎 @kyotaro_fushimi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説