carve -おとなになってからスノーボードをはじめたはなし。

みずかみ 捷

端緒 -1


 未だ、日が陰るには早い十六時頃、藤沢は史也がハンドルを握るBMWの助手席から窓外を見ていた。

「まだ早いから駅前もすいてるな。」

 藤沢は何とはなしに口にした。

「当たり前だろ。今日は土曜だからな。」

 史也は目だけは行き交う人々の流れに向けたまま、彼独特の口の片側だけをあげる笑い方で言った。

「だいたいおまえは仕事がフリーだから、曜日の感覚なんかないんだろ。」

 史也は思ったままを言ったのだろうが、藤沢には婉曲的な忠告にも聞こえた。なにしろフリーランスになって仕事を始めてから受ける仕事の量にも質にも波がある。この稼業にまわりの人間は忠告とも助言とも取れるようなことをよく言ってくれるが、いかんせん小言に聞こえて仕方が無い。そう言われるたびに「確かに収入は不安定だが、俺には自由がある。」と思い続けてきた。だが、それも単なる強がりかも知れない。

 藤沢は六校舎を構える地域ではそれなりのパソコンスクールのエリアマネージャ兼メインインストラクターを辞め、今ではフリーインストラクター兼Webクリエイタとして仕事をしている。パソコンスクールの会社を辞めた直後は実に順調だったのだが、その後は良いときもあれば悪いときもあるといった、会社勤めから比べると波のある生活となった。

「おっ、来たみたいだな。」

 史也はそう言うと駅ロータリーに無秩序に並ぶ車の中からこの車を探している靖之に向かって、開けた窓から手を出し小刻みに振り始めた。靖之はこちらを見つけるまでに暫時視線をさまよわせたように見えたが、すぐにこちらに手を振り返してきた。

「いやいや、遅れてすまん。ところで今日はどんな子が来るんだ?」

 靖之はリアシートに腰を落ち着けるなり聞いてきた。

「今日は俺の友達呼んでるんだけど、運が悪ければその子だけかな?」

 史也は複雑そうな表情で答えると車を出した。

「運が悪いとってどういうことだよ。」

 靖之が言うと、藤沢がそれにかぶせるように、

「結局女の子一人だけかい?」

 と聞いた。史也は首を少しかしげると、

「沙耶がほかの子連れて来るって話なんだが、まだはっきりしないんだよな。」

 と言った。

 藤沢は沙耶という子を見知っているが、よく考えるとまだ数度しか会ったことはなかった。以前、史也の友人が集まる会でいつも来ている麻子が友人として連れてきたのだった。靖之は沙耶とは面識がほとんどないが、藤沢と史也は何度か飲みに行っている。

「ま、合コンってわけでもないし、ただの飲み会だから楽しければいいよな。」

 靖之は達観したようなことを言って、もうすぐシーズンを迎えるスキーの話へと話題を移していった。


 待ち合わせの駅前までは小一時間のドライブになる。道々、靖之と史也はスキーとスノーボードシーズン到来への期待感からその話で持ちきりだ。藤沢はウィンタースポーツはからきしなので、なんとなく相槌を打っているだけだった。こんなことは日常茶飯事だし、聞いていて退屈になるような話ではないので特に苦痛ではない。

 駅ロータリーにつけると史也は携帯で沙耶に連絡をしている。

「遅れそうなのか?」「そうか」「ともかく終わったら連絡な」

 断片的な史也の会話からも、史也の表情からもあまり良くない展開だというのがわかって靖之と目を合わせて苦笑した。

「沙耶、用事があるってさ。来れても十九時過ぎで、友達も連れて来れないらしい。」

 史也が明らかに不機嫌な調子で言うと、

「ま、近くの居酒屋にでも入って飲み始めよう。」

 という話になり、なじみの運転代行社最寄の駐車場へ停めた。史也の車はマニュアルトランスミッションの左ハンドルときていて、今となっては絶滅危惧種とも言えるのだろう。その辺の代行運転手では断られることも多く、凄腕の運転手の居るいつもの代行社に頼り切っている。



「ZEN」という名の創作居酒屋に腰を落ち着けた男三人は、北欧デザイン風のしつらえに少し肩身の狭い思いをしながらもビールを頼んだ。

 藤沢はオーダーを取りにきた子が、この合コン御用達風な創作居酒屋と不釣合いな三人組をどんな風に見るのか気になったので、その表情を盗み見たのだが、それは杞憂だった。彼女は思いもかけない程の笑顔でオーダーを復唱していった。

 普段鷹揚に構えているように見える藤沢だが、自らを全くの他者として外部から見た場合の見え方、振る舞いを気にするうちに他者そのものが気になってしまうといった矛盾した面も持っていた。

 ほどなく、史也が小洒落たグラスに注がれたビールを前にして、

「ま、とりあえず飲むか。」

 とグラスを掲げた。靖之も腕まくりをするような格好をしてグッと一口飲んで、

「まぁ、しかしあれだな。男三人で飲むのも悪くない。」

 少々自虐的な意味合いを漂わせながら言うと、小鉢に箸を向けた。

 程よい落ち着きのある照明の店内では、客の声もさざめく程度だ。


「二十日過ぎには狭山が開くし、十一月に入れば軽井沢・丸沼も開くだろう?」

「さすがに狭山まではなあ。春先並みのぐだぐだの雪だし。」

 二人の会話には不明な点も多いがゲレンデの名称であるということはわかる。少ない知識で藤沢も相槌を打つ。

「狭山ってのは人工降雪なんだろ?」

 枝豆の鞘から豆を丁寧に一粒ずつ取り出しながら靖之がうなずくと、着信に気付いた史也が携帯に出る。

 それに構わず靖之が続ける。

「正確には降雪じゃなくて、砕いた氷を人工芝の上に撒いてあるって感じだけどな。」

 そう言って手のひらに取り出した枝豆を口に入れた。

 史也は電話口でしばし軽口をたたくと、

「沙耶そろそろ着くってさ。」

 二人の顔をなんとなく見渡すようにして史也は笑って言った。

 藤沢は遊びの約束に間に合わなかったり遊びの約束を破る人間が大嫌いだが、そこは付き合いは短いものの気心の知れている沙耶だから仕方ないか。と思う。しかも、普段の沙耶は遅刻しそうになると気の毒なくらい急いで来るようだ。

 史也の話では、ある時などは、姿が見えたと思ったら傍目にもかわいそうなぐらい狼狽して走り始めたらしい。あとで聞くと、皆が待ち合わせ場所にそろっているのが見えて、遅刻したかと勘違いしたようだ。

 そんな普段の沙耶を知らなければ、今頃激怒して愚痴をもらしていただろう。もう少し寛大な気持ちを持つべきかともたびたび思うが、遊びにかけては譲れない思いが強い。

 男三人の会話もバカバカしさもあり、特に気遣うこともなくなかなか楽しかったが、花があるとないとでは気分がかなり違う。靖之などは明らかにうれしそうに顔をほころばせながら口の動きも滑らかだ。先ほどの達観したような素振りはどこにいったのかと思えるほどだ。藤沢がそんな様子に笑いを堪えながらビールを飲み干すと、靖之も、

「やっぱり同じペースで飲まないとな。」

 とグラスをグッとあおると、高めのテンションで店員を呼びとめた。靖之の面白いのはこういったところだ。悪く言えば単純だが良く言えば人が良い。優柔不断だが付き合いはすこぶる良く、酒もイケる口なので藤沢としては助かっている。史也もなかなかヤルが、酒量としては若干の物足りなさもある。いつも冷たいの熱いのヤッツケて五軒・六軒とはしごしては、酒場を練り歩く。その癖、三人とも生意気にも安酒が嫌いだから一晩でいくら使うかわからないこともよくある。翌朝の財布を見るのがいつも怖い。


「ひさしぶり~。遅れちゃってごめんね。」

 先ほどオーダーを取った店員に連れられて、沙耶がすまなそうな顔をして入ってきた。ついさっきまで無駄に口数の多かった靖之が若干緊張の面持ちになったのは傍から見ていて面白い。史也がそんな様子を横目で見ながら沙耶にドリンクを勧めた。

「カシスオレンジにする。」

 なんとなく遠慮がちに言ったが、小さく息をつくとこちらに向き直った。

 沙耶は小柄だがなかなかに眼が大きい。大きい瞳の所以なのか、眼で訴えるような訴えられているような感覚になることも多い。ジッと人の眼を見る癖のある子は多いようで、ちょっとした男はこれでよく勘違いする。

「これが靖之で、スキーやってるんだよ。」

 史也は思い出したように沙耶に靖之を紹介した。

「フリースタイルで、モーグルが得意なんだよな?」

 勝手知ったる仲だ。うまいこと話を振る。

「すごーい、ジャンプとかもできるんだ。」

 藤沢は言葉としては知っているが“フリースタイル”が厳密に何を指して言われているのかわからぬまま、冬季オリンピックで有名女性モーグル選手がぐるぐると難易度の高いジャンプ技を繰り出しているのを脳裏に描き出した。


「じゃあ今度連れてくよ。」

 幾分調子の良い声で沙耶が言う。時間ももう二十一時をまわったところで程よく皆酔ってきた。当初は落ち着いた店内であったが、今はざわめきと時折一際大きな笑い声が聞こえる。店員もせわしなく立ち回り活気がある。沙耶が言ったのは、今シーズンには友人を連れてゲレンデに行くとのことだった。

 史也と靖之はウィンターシーズンにはゲレンデから1kmほどにあるコテージをほぼ借り切って、週末や年末年始は必ずそこに篭ってスキー・スノーボードを楽しんでいる。

「じゃあコテージで鍋やろうよ。オーナーが来れば鹿のロースト・ぼたん鍋、運が良ければ熊鍋も食べられるよ。」

 靖之は機嫌良くうれしそうに言ったが、藤沢は沙耶がいわゆるジビエと言うか獣肉系に興味を持つか心配で沙耶の方を軽く伺った。

「鹿のロースト? おいしそう!」

 意外なことに沙耶は身を乗り出して聞いている。史也も同じ気持ちだったらしく、こちらを見て例の笑顔をつくってみせて言った。

「ぜんぜんイケるよ。新鮮だからむしろ臭みは全くなくて淡白でおいしいよ。あっさりした赤身って感じかな?」

「熊もちゃんと下処理して煮てやれば、冷めても固くならないし臭みもないよ。」

 靖之が続けて言うのを聞いていると、藤沢もなにやらそういったものが食べたくなってきた。

「すごい、めちゃめちゃ食べたい。」

 沙耶は言うと、

「いつごろ行ったら食べられるかな?」

 とかなりの乗り気だ。

「年末年始は忙しくてオーナーが手伝いに来るだろうから、それに合わせて持ってきてもらえるように聞いてみるよ。」

 史也もうれしそうに言った。


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