枠と境界線
たくひあい
枠と境界線
枠と境界線 1
※別サイトにての初掲載は2015年09月10日
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――なんか知らないけど、厄介なことになってしまった。
只今、クラスメイトの、梅ちゃん(って呼ばれていた)に、捕まって、帰宅中だ。
彼女は気さくで可愛らしいのだが、ぼくは目立たない上に、口が上手くない方だし、普段は人とあまり話したりしないので、なんというか、どうしていいかわからない。
町を歩いていて、そこで彼女が一目惚れしたとかいう、ぼくと歩いていた知り合い(おっかないやつ)のことを聞かれ、適当に逃げていたのだが(おっかないから)、お願い助けて、と言われて、教室で、クラスの注目まで集めてしまうと、さすがに不利だったのだ。
関わるのは一度きりにして、もうこんな状況にならないようにと、対策を考えねばならない。
事情を聞いても、ぼくには正直、心理が理解出来なかったけれど。
◆◇
『あいつ』のことは誰にも言わないという約束を取り付けて、気乗りしないだろうなあと思いつつ、まずは連絡を取ってみると、案の定「やだ」だった。
『そんなの、どーしろってんだよぉ。だいたい、知らないし。話してみたいって、何を? わけわかんない。趣味とか言っちゃう? ドン引き確定じゃん。っていうかさー、歩きながら電話してないよね?』
遠くからコトコトと、なんだか癒されるような、鍋の音が聞こえた。
あいつが、料理っていうか、包丁を持つのも、実をいうと切り刻む癖(何をかは知らない方がいい)の延長だ。
家庭的な面があるという話とは、ちょっと違っている。機嫌が悪いと肉料理(丸焼き系)が増え、サラダの量が倍になったりする。野菜が超細かくなって。
ついでにコップの口元を持たない、とか畳の模様のある部分を踏まない、とか、音をたててドアを閉めない、とか~しながら電話をしない、には、特に厳しいやつだ。ぼくも、家族によく言われまくってきたことなので、不便はないのだが。
「してないよ。途中にある、公園のブランコに座ってるよ。今は、ぼくら以外誰もいない」
『……ならいいけど──』
ちょっとヒステリックになりかけていたのが、落ち着いたように、そいつ、佳ノ宮まつりは言った。
想像しただけでも、許せない部分なのかもしれない。習慣は、どこか強迫観念みたいになっている。
「……こっちも、それが、なんていうか……その……」
『わかった。さっぱりわかんないけど、止むを得ないなら』
口ごもっていただけだが、なにかを察してくれたのか、それだけ言って乱暴に通話を切られてしまう。
ちなみに、この辺りに関しては、ぼくに対する、わざとだ。
公園の場所は知っているだろうし、ここで待っておくしかないだろう。
帰り道の途中だが、自宅からはそんなに遠くない。
「なんか……来てくれるんだってさ。だけど本当に」
「大丈夫大丈夫! 秘密は言わないから。厳守ばっちし! うんうん!」
今どき、あまり見ないタイプの(ぼくが興味がないからかもしれない)切るのに失敗したのかなと思いそうな、中途半端な前髪。
そして後ろがなぜかみつあみ。
──そして、このテンションのセリフ。ぼくと並ぶと違和感しかない。
制服のスカートは膝くらいだったり、靴下も規定のものだったり、ところどころでは、真面目さ(?)が滲んでいる。
「……緊張してきた」
潤みがちの目で呟かれたが、ぼくはなんだか、帰りたい気分だった。人が怖いとかそういう話ではなく、こういう───空気感?
微妙に甘いような、それが、苦手だった。
5分くらいして、特に何も言わずに、そいつは現れた。普通に、適当な上着(袖があまりまくり)で、膝が曲げにくいって言ってたのにジーンズ姿だ。(たぶん、その辺にあったとか、目についたって、感じだろう)
「帰っていい?」
そして来て早々のセリフが、これだった。
「ひゃー、ほつれてますよう! 穴が開いてますよう! 私、ソーイングセットあるんですけど」
彼女も彼女で、なんか服装に反応している。近所のおばちゃんみたいな対応だな、なんか。
「あたまいたい……」
まつりが憂鬱そうに嘆いている。なんだか、カオスの一歩手前くらいだった。
誰も、こういう仕様がどうとかは言わなかった。
互いに説明しても議論しても、虚しくなるだけだ。
「本題に入ってよ!」
とりあえず、そう叫ぶ。
叫ぶ、っていうか、ぼくは肺活量がないので、大きめの声、くらいなんだろうが。
「……あの、えっと、言いにくいんですが」
急に、彼女の口調が落ち着いた。二人にする方がいいかなと、そろそろ後退していたのに、梅ちゃん(名字なのか名前なのかさえ不明)に、袖を掴まれる。
なんだ?
「私、その、夏々都さんの同級生で、それで、その──」
「うんうん。まつりに用事?」
「えっと……」
沈黙。空間が固まってしまった。なんだこれ、どうするんだ。まつりは数秒して、きょとんとしてから、「ああ」と言った。
「そいつならあげるよ」
「おい!」
彼女が慌てたように手足をバタバタさせる。
「ちちちち違うんです! そじゃなくて!」
「あはは、知ってるよー。なんか、夏々都そんな感じの顔してるし」
どうやら知っていて遊んでみただけらしい。
こういう冗談が好きだという、こいつの癖は抜けない。その後どこか飄々とした感じで、ぼくと彼女を交互に見てから『で?』 と、まつりは聞いた。
「あ、あの、まつりさんって、その──好きなかたとか」
「え? うん。生き物は好きだよ。まつりは重度の生き物好きです。だからもちろん人間も好きだし、人間好きが一番深刻かなー。詳しいことは特には問いません。可愛ければなんでも好きです」
自分と、他の生き物を分ける言い方を、あえてまつりは使った。なんとなく、それは違和感があった。
なんだか余計なことまで言っている。
「帰っていいかな……」
ぼくはどうして巻き込まれているのだかわからない。ぼんやり呟いていたら、梅ちゃんがやっぱり慌てたように、まつりに聞いた。
「あ、あの。夏々都さんと、この前、どうして一緒に歩いておられたんですか?」
「えーと。いつのなんのことかわかんないけど、理由はないよ?」
「……まつりさん、その、私──」
「あー。誰かに付けられてるんだね」
──突然、話が跳んだ。 梅ちゃんはそう言われたとたんに、動揺して、小さく身体を震わせた。大きな瞳が潤む。どこでわかったのだろう。
「……困ったな。でも、夏々都なんかでも、まだ、ここに来るまでの間少しは役に立ったんだ」
「……つまり、一人で帰るのに不都合があったから──」
だから、ちょうど話題があったぼくを、頼ってみたのか?──そんな、まさか。でも、そういえば『助けて』と、やけに真剣に言われた気がする。あれはそういう意味だったのだろうか。
「彼女は鞄に付けてる鏡、ずっと見てるし。その角度じゃ、自分の顔、映んないよね? それに──」
疑問でいっぱいになっていると、まつりは小さく、ぼくに耳打ちするように答えてくれた。彼女はどうしてわかったのかとあわてている。すぐ、彼女に同じように近づいて、まつりは言った。
「さっきからずっと、誰か付いてきてるのは確かだから」
変なことはしちゃだめですよ、と。
そもそもの話は、彼女が先週の放課後、家の近くで落とし物の手帳を拾い、交番に届けて家に帰ってからのことらしい。
「黒い、皮の手帳でした。特徴もない……それ届けた次の日の朝から、学校に着くまでなんか視線を感じてて──最初は気のせいかなと思ったんですよ!」
それは、かれこれ一週間続いているようだ。放課後と、朝に。今日もそうで、だんだん怖くなっているのだという。
「ふむ、持ち主については、なにか知らない?」
まつりが聞くと、彼女は大げさなくらいに腕を上下にばたつかせた。
「心当たりの話でしたら、私はまったくそんな!」
「視線を感じてる以外になにか変わったことは?」
「──あ……これ、美味しい」
思わず、ぼくが、飲んでいたカフェラテから口を離して呟いたら、靴を足で軽くつつかれた。ぼくの正面に座ったまつりが、睨んでくる。
「いたっ」
「黙ってくれる」
そういってから、ぼくの飲みかけていたカフェラテを奪って、代わりに一気に飲み干した。
「ああ……」
残念ながら、全部空になるのは早かった。どうして、こんなに早く飲めるのだろう? 気管かなにかが違うのか?
「ごちそうさま。ちょっと少なかったかな」
まつりは少し不満そうに空のカップをトレーに乗せる。
「当たり前だろ、ぼくが飲んでたんだよ……」
ため息をつく。
ちなみに、ここは公園から少し歩いた場所にある、ファミリーレストランだ。こういう話は、人目に付く場所の方が安全だろうという判断でのことだったが、よくよく考えたら、ここで張られている可能性もあるし、と思っていたら「まあ栄養補給も兼ねてね」とかまつりに言われた。そっちがメインだろう。
まつりはその後も平然とケーキだとか、胃もたれしそうなパフェを頼んでいた。ぼくもついでに、さっき全部飲みそびれたカフェラテを注文しなおす。
届くのを待つ間、まつりの横に座る女子高生に、ふと目がいった。
後にわかった彼女の名前は梅原さんで、その梅原さんはまつりの横(通路側)の席で、少しおどおどしながら、豪快にロコモコ丼を食べている。よくわからないが、テーブルにあるタバスコを、かけまくっていた。
少し面白いので見ていたら、彼女は、はっと気付いた顔になる。
「何を見てるんですか訴えますよ!?」
噛みつくように言われてしまった。
「きみを見てたんだよ。それ美味しい?」
「お……、お、美味しいですけれど! ごほ、ごほごほ。タバスコ入っ……がはっ」
「タバスコ入ったの?」
……むせさせてしまった。彼女はそれからしばらく、顔が赤くなって、必死に口の中のなにかと戦い始める。
少し落ち着いてから大丈夫か聞くと『うんうんうんうんうん』と、高速で頷きながら、手をつけていなかったグラスから、水をぐいぐい飲んだ。挙動が面白い子のようだ。
「……人をつけるパターンとしては、その人に用事がある、その人に興味がある、またはその人に関する何らかを知りたい、とかかな?」
まつりは、そんなやりとりには興味がないらしく、いつの間にか手早くケーキを食べ終えて、おしぼりで丁寧に手を拭き、フォークのそばに置きながら呟いていた。退屈そうに。
「私が思うには、手帳の中身を見てしまったか心配してるんだと!」
ぼくがカフェラテを飲み終えたくらいで、さっきロコモコ丼(どんぶり鉢に入っている)を食べ終えた梅原さんがそう言った。彼女はいかにも秘密の話をしますという、口に手を当てたポーズで、彼女なりに潜めた声だった。まつりは微妙な顔で周囲を見て呟く。
「……んー、そう思うのなら、まず内容を話してくれないかなーと本当は言いたいんだけどね、どっかで聞いてるかもしれないからさ。それを思うと危ないかなと」
どうやら、あえて避けて話していた部分に触れられてしまったらしい。
「でも、このままってわけには……」
ぼくが口を挟むと、梅原さんが提案した。
「そだ、私の家! 私の家いきます?」
「それは、やめといた方が……頭のおかしいやつに、女の子の部屋を──」
「彼が支払ってくれるそうだから、行こうか」
「わかりました、ありがとう! 夏々都くん、入り口で待ってるから!」
「……え、ええっ、あの、待って!」
言うが早く二人で共同して席を立ち、さっさと行ってしまった。人混みで、姿がうまく見えない。泣きそう。
とりあえず支払いはしなくてはと、会計で値段を見たら、4桁だった。高い。特に、スイーツ系ばかり食べてた方の合計金額が酷い。あいつぼくに支払わせるつもりで暴食してやがったのかと思いそうだった。
もしかしたら、最初から何かしら理由をつけるつもりだったのかもしれない。
店から出てくると、入り口の辺りに待ってくれていた。本当に置き去りで帰ったのかなと思っていたが、そんなことはなかったらしい。
「お疲れさまでした! やっぱり私のぶんは返すね」
梅原さんはいい人のようだ。申し訳なさそうに、自分のスクールバッグからがま口財布(カエルの顔?)を出して、お金を数え、いくらだったか聞いた。
「あ、いいよ、きみのは、そんなに高くなかったし」
ぼくは咄嗟に断る。
いや、実際そんなこともなかったが、その隣の悪びれないやつへの当て付けも入っている。
ちら、とまつりの方を見たら、何かを数え終えたらしい。ぼくに内容を突きつけた。
「テレビ、冷蔵庫、クーラー、乾燥機、電話、あ、電子レンジでしょ、それから……」
「なんのこと? 三どころか多種の神器みたいな?」
梅原さんがわくわくした顔で、ぼくらに聞いてくるが、さすがにぼくは答えない。想像にお任せします。
「まだあったかなー」
まつりは楽しそうだった。なんだか悔しくて舌打ちして、睨み付けてみたが、効果はない。ちなみに、家電を唱えるのはぼくには効果ばつぐんな呪文だった。
「二人とも奢りだから気にしなくていいよ……」
力なく言うと「本当!? 優しいねありがとう!」 と梅原さんが言ってくれた。
ぼくらはそれから、道の途中でタクシーを拾って、近所だという彼女の家ではなく、隣町まで行った。ちなみに、タクシー代は彼女が「私の頼み事だし、ご飯おいしかったし!」と払ってくれた。
「──なんでわざわざ隣町に?」
車内から出て歩きながら、ぼくが聞いてみると「……いや、だってそいつ、待ち伏せ出来るんだよ?」と呆れたようにまつりは言った。
ファミレスから出て歩いている間、気配を感じなかったらしいし、ぼくらも感じなかったが、もしかしたら先ほどまでの会話も聞かれており、現在は彼女の家のそばに先回りして、待ち伏せてくれているのだろうか……想像してみると、いやな計算だった。
そのせいか、まつりはどこか愉快そうにしている。
「……さてと、どこ行こうか」
「考えてなかったんだ」
「まつりさんは面白いですね」
梅原さんが最初の緊張はどこへやら、にこにこしてまつりを眺めていた。
まつりは不思議そうに、きょとんと彼女を見たが、すぐに興味が逸れたらしい。
彼女の方は、機嫌が良さそうに、うっとり呟いた。
「うわあ、本当に妖精さんだー、ほわほわしてる」
「妖精さん?」
……聞きなれない単語だ。
抜けた乳歯を、寝てる間に小さなコインかなんかと、引き換えてくれるんだろうか、となんとなく思いながら思わず聞き返す。
もしかしたら靴屋さんを──あれ? 小人さんとごっちゃになってる?
「私たちのクラス女子の間で、夏々都くんがたまに『妖精さん』と歩いてるって噂だったんだー!」
「へぇ、そりゃ、ファンタジーだな」
前方をさっさと歩き始めたまつりを眺める。羽根こそ無いが、確かにどこか現実から離れたような不思議な雰囲気はあるかもしれない。
「で、妖精さんに会うと良いことあるわけ」
「うん、妖精さんと歩く夏々都くんを見かけたら、幸せになるんだって! レア!」
複雑な扱いだった。不幸になるとか言われるよりはましだし、嬉しい方だろうから、ここは喜んでおくしかなさそうだ。
はしゃぐ梅原さんを見ていたら、前方で、くだらないな、と小さく聞こえたような気がしたが、ぼくは聞かなかったことにした。
「ちょっと会ってみたいなってのもあったんだけど、まさか、本当に会えるなんて! びっくりびっくり!」
「……そうですか」
「あっ、ごめんなさい! 二人の邪魔しちゃってるかな、って今更だけど」
「はい?」
言われたことの意味がわからずに聞き返すと、梅原さんはやっぱりぱたぱたと腕を広げて、彼女なりに潜めた声でぼくに言う。申し訳なさそうだった。
「だってすごい、仲が良さそうだから……その──もしかしたらと」
「あー。あいつは幼なじみだよ」
「……そして?」
「たびたび、そういう期待をする人に会うんだけどさ、残念ながら何もないよ」
「そっか、二人で仲良く飲み物とか分けてたから、てっきり」
「はあ……」
話せば話すぼとにいらない誤解が増えそうで、なんだか答えるのが面倒になってきたので遠くの空を眺めていたら、話を聞いてよと言われた。聞かなかった。 もしも、どういう幼なじみかとか聞かれ、あの破滅的な幼少期の話などしたら、それこそ大変なことになるだろう。
もともとぼくが、人が苦手な方だったから、信じる人は居ないだろうし、まつりと異常に仲が良い人物らにも話したことはないのだが──かつて、ちょっといろいろあって、あらゆる大体の、あまり言えないことを(大体が一方的にだったが)二人で試してみたことがある。
それこそ、破滅とか、関係の終着点とか、何かの刺激とか、探していたことが、実はある。
依存は、どんなものであれ、あまり良くないと知っていた。だから、割り切れれば、終わらせることが出来ると期待したのだ。
もう少し、適当な距離が、適度な拒絶が、互いに必要だとその頃のぼくらは考えた。
──だけどぼくらの関係はなにも変わらなかった。
何があっても、何をしたところで、やっぱり意味なんて持たなかったことを知るだけだった。
互いに、今まで感じてきた以上のものは感じなかったし、何にも求めたり新たに思うことはなかったから。それは、どこまでも不毛で、だからこそ安定している関係だった。まあ。まつりはもう、覚えていないはずだけど。
「──なんかどっか行くのも面倒だから、今から歩きながら話してくれる?」
突然、まつりが会話に割って入ってきた。行き先を考えてくれていたようだが、あんまりピンと来る場所がないのでやめたらしい。ちょっと助かった。
……でも、あれ?
「──そういえば、待ち伏せ出来るんだとしても、ぼくらが一緒にいる間は大丈夫なんじゃない? 結果的に帰りに一人になるところを待ち伏せてれば、充分に狙えるんじゃないかな……」
ふと気付いて言ってみると、まつりは表情を変えることなく答えた。
「うん。そうだね。《相手に危害を加えるつもりがある》場合なら、夏々都が言う通りなのかもね。
目撃者は減らしましょー。──じゃなくて、彼は学校の帰り道の時点で、彼女に付きまとってるし、《今現在》も、監視していたいかもしれないでしょ? とってもとっても大事な理由があるかもしれない。それがいい意味ならいいんだけど……わざわざ、こそこそと、隠れるように付けてくるくらいだしね。正体を知られたくない人が──あれ、なんの話してたっけ?」
「……今、この状況の意味」
「ああ、両手に花、みたいな? 楽しいね」
幸せなやつだなあと思ったが、言わなかった。ぼくが何も言わない代わりに、梅原さんが言う。
「普通は知られてはいけない機密文章だった可能性があるんですね!?」
……一気にスパイ映画みたいだ。
冗談みたいに陳腐な日常に触れていたぼくには、あまり笑えないが。
「まあ、それか手帳自体のなにかが大切だったのかもしれないけどね。ああ、そんな話だっけ。説明って作業、苦手なんだよー。わかりやすく説明するって難しいしね、説明の途中で疲れちゃってた」
まつりがだるそうに言った。今のこいつを例えるなら『考えれば、感じられる』だろうか。概念やら論理やらをいちいち説明するよりも、なんとなーくこなしているタイプだ。
だからあまり説明出来ない。
うん……ぼくのことでもある。というか、ぼくの方がその傾向が強いだろう。まつりはまだ、ぼくよりも伝えようと出来る。
「で、内容ですが──私、人の物を勝手に読み込むようなことは悪いかなって思うので、そんな全部は把握してはないです。ただ、後ろのページに住所とかないかなーって、そこはしっかり見ましたよ! えーと、でも、特に書いてなかったですね」
「全部じゃなくとも、なにかなかった?」
「最初の数ページは、実はちょっとだけ──見てしまいましたが、真っ白でした」
「うーん、真っ白かー。でも、それなら『中身を見てしまったか心配』してるんだと思ったのはなにか理由があるの?」
「いえ……私、全部見たわけではないので、もしかしたら何か書いてあったのかなと。ちなみにほとんど区切りがない、なんていうか、メモ重視の手帳でした」
「なるほど……」
まつりと梅原さんが話している間、ぼくはぼやーっと雲を眺めていた――ら、突然軽く耳を引っ張られた。いたい。
「はーい、ちなみにー、『待ち伏せは出来る』けれど、隣町には付いてくるでしょうか!? ななとくーん、聞こえますか」
音声を捩じ込むかのように、まつりがぼくに問う。やはり、耳が痛い。
「あの……聞いてなくてすみません耳から手を離してください」
「えー? ……ふふふふー」
しかし聞いていない。
変な笑いかたをしながらなんだか楽しそうに、余計に耳の辺りを撫でてくる。ぼくはなんとなくイラッとしたので無理矢理引き剥がした。
「離れろ、邪魔だ!」
「──んで、どう思う?」
引き剥がされたまつりは、ダメージを受けるどころか、ぼくが呆れているにも関わらず、楽しそうだ。どう、とはさっきの質問について聞かれたらしい。
「さあ……? それは、何かに関係するのか?」
「んー、どうかなあ。まだ絞れないかなー。あっ、ねぇ梅原さん──」
まつりがふと梅原さんに声をかける。梅原さんは、なぜかぼーっと頬を染めていた。
そして、声をかけられたことに気付くと慌てたようにぱたぱたと手足を動かして奇怪な躍りを披露しながら──「あっ、はいい!? なんですかっ!」と慌てている。
「拾ったのは厳密には、どこで、かな? 放っておこうとかは思わなかったの?」
「拾ったのは、帰り道の──えーと……うまく言えません」
しょんぼりする梅原さん。まつりは、表情を変えることなく、のんびりとさらに質問をした。
「じゃ、質問を変えるよー。──その辺りの、すぐ近くに交番があって、さらにすぐそばに落とし物が《あったから》行こうかなって思ったんじゃないかな?」
「──それは《わざと》ってことですか?」
「んー、どうだろう。それより、交番ではどこで見つけたかって、聞かれなかったのかなあ? いや、もう忘れちゃったかな。……まあ質問ばっかりしてもあれだね──うん。ただ、まつりは思ったんだよ」
まつりはそこまで言って、言葉を切る。特に何もない長い道を抜け、ずーっと進むうちに、海岸の方に来ていた。
塩のにおいがする。白い砂浜に、ちらほらと、流れ着いたのか落とし物なのかわからないものが見える。ボランティアの人だろうか、若い大学生くらいの男の人が、二、三人、袋を持って、海辺でごみを拾っていた。ぼくらはせめて邪魔をしないようにと、隅っこの方を歩く。
「『今日』わざわざまつりを呼び出したのは、なんでかな。都合とか、予定とか、考えるよね? まさか、近くに住んでるはずだからとか、今日来られる確信があったわけじゃないでしょ?」
まつりは、にこにこと、他人に向ける笑顔で、結局質問攻めをしている。
「……まつり、落ち着けよ。だいたいそれはぼくが、電話して──」
梅原さんが震えている。泣かれたりしたら、ぼくは、まずどう説明しようか考えていた。
──泣いてしまうのかと思ったのだが……よく見てみるとむしろ、恥ずかしそうにしているだけだった。
……なぜだ?
「だ、だって……同棲してるのかなって思ってて。夏々都くん、誰にも家とか教えてくれないし。たまに持ってくるお弁当、どうみても夏々都くんの技術っぽくないもん! お母さんっていうよりも、なんかこう、恋人みたいなやつ!」
わー、と喚くように言われてしまった。
……海辺で叫ぶ内容ではない。
「あー、なるほどね……ずっと不思議だったんだ」
まつりは何かに納得したらしい。実はたまにお弁当を作ってくれたりする。そんなところまで、意外と見られているものらしい。
っていうか、これはただ聞きたかっただけらしい。──事件には関係なさそうだ。びっくりした。
とりあえずさっさと本題の話し合いを再開しようとしたせっかちなぼくの横で、まつりは何気ない仕草で、すぐ近くに転がっていた空き缶を拾って立ち上がると、ポーンと手前の砂に落として(拾ってもらえるように前に出したのかもしれないが、加減によっては人に当たりそうでよろしくないポーズだ)から、改めて聞いた。にっこりと微笑んで。
「──じゃ、なんで、こんな頼り無さそうな夏々都を頼ったのかな?」
「……スミマセン」
返す言葉が見つからずになんとなく申し訳なくなる。
梅原さんは、少し怯えたように、目をそらし、両指を組んだ。その形は、心理テストの「どちらの親指が上~」を思い出す。
……もしかしたら、動揺しているのだろうか。
「……だって、夏々都くんは頭いいし、頼れるかなって。ピンと来たんです」
目をそらしながらも、梅原さんは、特に照れる風でもなく、誉めるような理由を言ってくれた。 ぼくは褒められ慣れないので、つい戸惑ってしまう。
「そう……かな? いや、そう思ってくれるのは、嬉しいんだけれど」
自分ではわからない。
いっそ堂々と胸を張って「ありがとう」などと言えればいいのにと考えているうちに、梅原さんはまた話し出す。
「そうだよー。だって数学と歴史以外では、全く赤点取らないじゃん。黒板に優秀回答って貼られたりしてたし!」
……実は、その、特に数学の方が突き抜けて致命的すぎるので、むしろ卒業が危ういことを言えないぼくは、曖昧に笑っておく。
なんで赤点とかの個人情報がバレてるのかなと考えて、そういえば赤点だと教室で居残り補習があるのだと思い当たった。
「私の情報網は凄いんだよ! 驚いたか!」
「……」
どやっと梅原さんが言うのを、特に反応せずに眺めていたら、ちょっとなんか言ってよ! と怒られる。
「……ああ──なるほどね」
しばらく興味無さそうにやりとりを見ていたまつりは、それにも飽きたのか、流れをぶち切るように、ぽつりと呟いた。
それから続けて、独り言を呟くと、考える顔をする。人によっては無表情に見えるだろうあの表情だ。
辺りがやや、何か騒がしくなり、まつりの向こうに見える砂浜をちらりと見ると、20歳くらいの体格の良い男子が蛍光イエローのシャツを着て、何か名前らしきものを砂に描き『大好きだー!』と叫んでいたのが目に映った。周りの、同じようなシャツの三人が笑っている。
「……推測だけど、それを拾ったとき、きみはいくらか暗い時間に帰っているのかな。──夏々都がよく補習になると知っているくらいの時間だ。つまり、放課後も学校に居る。──なにか、部活か委員会をやっているんじゃないかなと思ったんだけど」
ぼくが彼らに見とれていた間に、ぶつぶつと、呟くまつりに、梅原さんは、少し、さっきから警戒気味だったのを忘れたように、当たりです! と明るく言った。
彼女ももしかしたらなにか補習だったんじゃ、とか、その日は先生に用があったんじゃないかとか、考えてみたが、それでもそもそもぼくが赤点を取って補習をしているかどうかなど、放課後になるか、ぼくの点数を何らかの形で知るかしないとわからないだろう。遅く帰っていたのは確からしい。
「それがどうかしたのか?」
ぼくが聞くと、顎に左手を《あら困ったわ》みたいな感じに乗せたままでまつりは答える。
「──暗いところで、たぶん……持ち帰らずに、灯りになるものを使って、手帳の中身を見たんじゃないかな。それから、届けに行った。あの辺りは電灯がない。町の中心の方とは違って、道も暗い」
「そう……ですけど」
何が言いたいのかという顔で、彼女が首を傾げる。
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