第4話 マスター(1)
民宿『アネモネ』に入ると、バーカウンターとテーブルが出迎えてくれた。
椅子は並べられているが、テーブルの上に置かれているために座ることは出来ない。
というか、電気も付いていないために、ひっそりと佇んでいるような感覚すらあった。
「……休憩中なのかな?」
「そうだろ。だって、ランチタイムはとっくに終わっているし、今はもう夕方になりつつある時間帯だ。大方、裏のキッチンで仕込みとかしているんだろうけれど……」
「帰ってきたのかい、ケンスケ」
キッチンの奥から、嗄れた声が聞こえてきた。
「帰ってきたよ、マスター」
「……その声はユウトかい。ユウトも、今日は遅くまでかかるはずだったんじゃなかったかね」
「それがちょっと問題は起きてさ……。ちょっと出てきてくれないか、マスター。マスターの意見も聞いておきたいんだよ」
「意見?」
「――ガスを吸っても何の問題もない人間を連れてきた、って言ったらどうする?」
ぬっ、とキッチンの奥から大きな身体が出てきた。
二メートルはありそうな身長、アタッシェケースほどありそうな屈強な肉体、それに似つかわしくないピンクのエプロンを着けている――男だった。
「……詳しく聞かせてもらいたいところね」
「え……えっと……?」
「まー、言いたいことは分かる。どっちなんだよ、って」
「ケンスケ、後で覚えとけよ」
「何も言っていませんよ、何も! ……ただ、一般的な問題じゃないですか、初めて見た日とからしたら、混乱するのは当然だと思いますけれど」
「ほうほう、そんなにアタシの鉄拳を喰らいたいと……」
バキバキと指を鳴らしながら、ケンスケに近づいてくる大男。何故だか少し煙が出ているような気がしないでもない。
「ええと……、貴女がマスター、ですか?」
「まあ、そう言われているね。この安宿『アネモネ』のマスターだよ。名前は特に公開していないけれど、皆からはただ単純にマスターと呼ばれているよ。ただ、それだけの話さ」
「マスター……ですか。確かに貫禄はありますけれど」
「で、さっきの話はどういうことなんだい、ユウト。ガスを吸っても問題のない人間? まさか、それが彼女だって言いたいのかい」
「それがその通りなんだよ。……彼女の名前はルサルカ。何でも家族を探しているらしいんだ。……マスター、何かその辺り心当たりがないか?」
「心当たり……って、もしかしてハンター連盟でそういう依頼が来ていないか、って話? それなら、自分で掲示板を見に行けば良いものを」
「出来るなら最初からやっているよ。けれど、マスターだって分かっているだろ、俺のランクはシルバーだ。精々遺物の発掘とその移動の依頼が関の山。けれど、ダイヤモンドランクのハンターだったマスターなら、」
「――何か変わった依頼がないか突き止められるんじゃないか、って? 全く、人使いの荒いハンターだよねえ。誰に似たんだか」
マスターはつまらなそうな表情を浮かべて、何かメモに書き留める。
「取り敢えず、調べといてやるよ。話はそれから。……で、彼女がガスを吸っても平気だということをどうやって突き止めたんだい?」
「遺跡に居たんだよ、彼女が。マスクをしないで、ドレスを着た格好でな。まるで舞踏会にこれから出向くような、そんなスタンスにも見えた。……けれど、周りは完全に遺跡だ。旧文明の遺跡に、不釣り合いな格好の女性――はっきり言って、普通なら銃を構えてもおかしくはなかったよ。ハンターの罠なんじゃないか、或いは旧時代の文明の装置による不具合が齎した結果か……そればっかりは分からないけれどな」
「でも……、アンタは連れてきた。それに何の意味があると言うんだい?」
「……分からねえよ」
ユウトはぽつりと呟いて、カウンターを離れる。
「……ちょっと、何処に行くんだい」
「少し休憩する。……マスター、ルサルカは好きに使ってやって構わない。確か、女性の従業員が欲しいって言っていたよな。だったら、彼女は良いかもしれない。口調とか、所作は悪くないだろうし」
奥の階段へと向かい、マスターの意見を聞くこともなく、そのまま階段を登っていった。
「……あいつ、結局面倒ゴトを押しつけたかっただけなのか?」
ケンスケの問いに、マスターは叱責する。
「こら。目の前に彼女が居るのに、何を言っているの。……ルサルカちゃん、ごめんねえ。ここに居る人間ってさ、どうも常識知らずな人間ばっかりでね。仕方ないと言えば仕方ないのだけれど、こればっかりは最初に出会った人には納得してもらうしかないのよね」
「いえ……別に、気にしていないです。だから、安心してください」
ルサルカからしてみれば、ユウトはここまで彼女を連れ出してくれた存在だ。
だから、ルサルカは感謝の気持ちこそあれど、それを伝えることが出来なかった。
恥ずかしいから――或いは、気難しいと思ってしまったからか。ユウトが無愛想に対応していたからかもしれない。とはいえ、彼女に水を分け与える辺り、最低限の思いやりは思っているはずだった。
「……まあ、良いわ。貴女がそう思うなら、ね。とにかく、部屋用意してあげないと。ケンスケ、アンタ手伝いなさい」
「え? 俺?」
ケンスケはタイミングを見計らって、一緒に上に上がろうとしているようだったが、運悪くそれをマスターに発見されてしまった。
「アタシはこれから夕食の仕込みで忙しいから。……そこの扉開けたら、使っていない部屋がある。今は物置として使ってしまっているけれど、ベッドもあるはずだから。仕込みが終わったら直ぐに戻るから、荷物の整理だけはしておいてくれ」
「何で俺が……」
「代わりにアンタが食事の準備をしてくれても構わないが?」
「……それは遠慮しておきます」
マスターの料理は根強いファンが居るぐらいには人気だ。そんな料理を求めて毎日ファンが訪れているぐらいなのに、それが急に料理のド素人が作った物になってしまったら、非難囂々の嵐が待ち構えている。或いは、それだけでは済まないかもしれない。
「だったら、後は任せたよ。とにかく、荷物の整理をしておくれ」
「分かりましたよっと。……ほら、行くぞ、ルサルカ」
そうして、ケンスケの先導で、二人は物置となっていた部屋の片付けをすることになるのだった。
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