彼が桜を集める理由

和泉ほずみ/Waizumi Hozumi

第1話


 3月下旬。


 今年は例年より早く桜の開花シーズンが訪れると聞いた。それで、特になにとはないのだけれど、私は妙に逸る気持ちに促されるまま町へと繰り出した。


 この町の風景は実に多くの花木で飾られている。

 幼少期に“女の子”を怠慢していたせいで、一面の花々の詳らかな解説を披露できないことは悔やまれるが、私の心は確かに踊っていた。年甲斐もなくだとか形容してしまえば久々のこの感慨に茶々を入れることになる。普段の卑屈で不服そうな私のことはひとまず置き去りにしてしまって、今はこの町並みの美麗なグラフィックに我を忘れて酔いしれることにしよう。


 ……そうだった。こんな風景に恋焦がれ、私は初めての一人暮らしの舞台にここを選んだんだった。


 ついでと言ってしまっては難だが、これを契機に桜関連のエピソードを思い返してみるのも一興。なんて、少しばかり白々しいかな。“都合良く”設置されていたベンチに腰を掛け、今現在のこの光景を些か惜しみつつも視界の画面設定をセピア色へ変更した。







 『桜の花びらを集めているんだ』



 バカな君にはこの楽しさが分からないんだろうけど、と、心の内でそう毒づかれたような気がしたのかもしれない。彼女の頬は分かりやすく膨れていた。


 こっちに来てよユウくん。みんなでドッヂボールしようよ。


 『……』


 彼女の不機嫌具合を察知するや否や、クラスメートのご機嫌取りは呆気なく断念して自分の作業に戻ってしまう彼。彼女は彼のことが好きだった。


 彼は今、無我夢中で花びらを拾っている。一つ、二つ、三つ、四つ……実に緩慢な仕事ぶりだ。辛抱たまらんと言わんばかりに、すかさず作業に自主参加する彼女。彼女とは過去の世界を生きる私のことだ。これが何年前の回想シーンであるかに関してはギャラリーのご想像に委ねる。


 『やらなくて、いい。君が拾うヤツはいつもダメなヤツばかりだ、ほら』


 この程度のドライな応対は慣れっこな様子だ。彼女はそれを自分への指示と解釈し、すました顔でめげずに桜集めを再開した。

 どうやら彼は彼なりの判断基準に則って、綺麗な見た目の花弁だけを収集していたようだ。着ている服の裾部分を自分の方向へ捲って、集めた花びらをそこの内に蓄えている。これではもうじき、端からタカラモノの残滓がこぼれ出てしまいそうだ。几帳面なんだかずぼらなんだか、彼のその不器用な外あそび流儀を眺めて彼女はクスクスと笑っている。つられて私も控えめに笑った。


 一つ拾ったと思えば、一つ捨てる。お気に入りの一枚を手に掴むと、その都度フレッシュな恍惚の表情を浮かべては手を止めてしまう。これでは当然一向に集まる気配はないが、彼はそれでも心底楽しいらしい。

 納得のいかない花弁に向き合うときの彼の仕草が妙に可愛らしくて、彼女は無意識にそれらを猿真似して、これまた無意識に顔を綻ばせている。その一方で私は、やけにもどかしいような、背中がこそばゆいような、そんな感覚に器用に陶酔している。

 このエモーショナルなリバイバル上映を感慨深く味わい尽くすだけの感受性が、未だに健在であったことに我ながら感心してしまった。勿論、それは愉快なことではあったが、メタ世界特有の夢うつつの世界観が野暮な考察によって損なわれるのをひどく恐れた私は、これを深追いするのを辞めた。



 『……うん。このくらいで、いい』



 ふいに、なんの脈略もなくそう宣言した彼に瞬時に目をやった。時間を忘れて夢中になっていたのは彼女も同じだった。校庭の端から端まで巡ってせっせと集めた桜の欠片たちを彼に譲渡する。そんな汚いヤツはいらないと一蹴されてしまったらいよいよ泣いてしまうかもしれないと、おっかなびっくり貢物の献上の意思表明をしたが、それは単に杞憂だったようだ。彼はすんなりと彼女の厚意を汲み取って洋服のお皿にそれらを盛り付けした。


 彼の次の行動に、一同(私と彼女)期待が高まる。一連の展開のネタバレを履修済の私ですら、来たるべきその瞬間を固唾を呑んで見守ってしまう。


 いっぱいあって綺麗だねだとか、こんなに集まってすごいねだとか、そんな無難な感想を述べる隙を与えることは端から想定していなかったようで、


 それでも彼は、彼女の目にもしっかりと映るように、しかと見せつけるかのように、あどけない両手いっぱいにタカラモノを柔く握って、そのまま両の腕を高く振りかぶった。




 はらはらと、ひらひらと、落ちていく。



 その前には数瞬のパラパラだとかポロポロだとかもあったのだろうけど。



 さくら色に、さくら色、宙に浮かぶ桜の色、隙間に彼の表情が覗く、そして足下には、しとやかに佇む花びらの絨毯。



 たかが小学校なんかで習いたての、拙くて味気のない語彙のみで表現したくなかった。

 これは私にとって大事な記憶になるんだって、心の拠り所になりうるんだって、彼女は幼いながらに先の想いまでも悟っていたのかもしれない。



 その刹那、彼女がただ一つふと望んだことを私は憶えている。




 あなたの感想をききたい。







 あなたの感想をきいてみたい。




 一体何を思ってあの光景を彼女に贈ったのか。そして、自らが演出したあの光景に何を思ったのか。寡黙な少年だった彼は、ユウくんは、あのひとときにどんな美学を見出したかな。聡明な少年だった彼なら、あの瞬間にどんな素敵な名前をつけたかな。



 まさかとは思うけど、私は今日これをここで思い出すためだけに無理言ってバイトのシフトを変更してもらったわけではないですよね。ねえ、私?


 久しぶりに順を追って丁寧に想起した初恋の記憶。桜が綺麗だとニュースキャスターが言うから、桜にまつわる思い出に浸りたくなったんだ。普段の私はこんなにも情緒的な人間じゃない。

 ……それでもこの歳になると、こういうしんみりとした時間が無性に恋しくなることが少なくないんだ。同世代の女友だちだって、口にこそしないだけでこんなノスタルジックな自慰行為をこっそりと嗜んでいるのかもしれない。それもここまで大袈裟だと、それこそ年甲斐もなくだとか形容されて小馬鹿にされてしまうのだろうな。


 それにしても私、随分と酔狂な一面があったものだ。

 あのあと彼は間もなく転校しちゃったんだ……、ってのは咄嗟の嘘です。いっそのことそこまでベタなラブストーリーだったら酒の席の肴としても需要があったかもしれない。

 本当はちゃんと一緒の小学校を卒業したし、なんなら中学まで同じだった。否、進展などは一切ない。二人の距離は特段縮みも遠ざかりもしない。あの日のことが後になってお互いに小っ恥ずかしくなってしまって、それ以降はあまり面と向かって話さなくなってしまった。

 小学生同士が紡ぐ恋物語のその顛末なんて、案外そんなもんだ。でもその、“そんなもん”とされる記憶が、この時期はなんだか妙に沁みるんだ。




 春っていうのはそういう季節だ、私にとってはそうなのだ。だから割と、嫌いじゃないのだ。




 みんなはどう?

 春が魅せるさくら色の景色が、お好きですか?



 彼の感想がきいてみたいだとか、この期に及んで少女マンガで習ったような展開を夢想している惚けた初恋バカの私は、名残惜しい気持ちを宥めながら重い腰を上げ、桜の舞う劇場の特等席を後にした。

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彼が桜を集める理由 和泉ほずみ/Waizumi Hozumi @Sapelotte08

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