010 重すぎる依頼

 土曜日。

 明日で交際1週間となる今日、俺は〈よろずん〉の事務所にいた。

 デートに誘おうとしたところ、文香に依頼があると言われたのだ。


『高峯さん、ゴールデンウィークの予定は?』


『仕事、仕事、それから仕事ですね……』


『流石は国民的アイドルともなれば仕事漬けですか』


 ソファの横手にあるテレビでは、GWの特集が始まっている。

 まだ4月3週目だというのに気が早い。


「ゴールデンウィークはどうする予定?」


 ソファに座ったまま振り返り、執務机の文香に尋ねる。

 彼女は読んでいた本をバタンと閉じた。


「特に決まっていないから、たぶん本を読んでいると思う」


「だったらデートしない?」


 驚くほどさらりと言えた。

 1974回も脳内でシミュレーションしたからだろう。

 夢で誘った分も含めると1976回になる。


「いいね、どういうデートにしよっか」


「スターフォースの映画を観に行こう! 新作!」


「映画かぁ……」


 文香はなんだか乗り気ではない様子。

 表情は変わらないが、なんとなく分かるようになっていた。


「よし、映画館はパスだな」


「ごめんね」


「仕方ないさ。スターフォースは名作だが人を選ぶ」


「いや、スターフォースは万人にウケる最高の映画だけどね」


「――!」


 衝撃が走った。


「もしかして文香、スターフォースが好きなのかい?」


「特別に好きってわけじゃないけど、一応、観てるよ」


「うおおおおおおおおおおおお!」


 大興奮の俺。

 オタク特有のマシンガントークを繰り出しそうになる。

 が、しかし、先に文香が口を開いた。


「問題はスターフォースじゃなくて、映画館のほう」


「映画館が嫌なの?」


「うん。どうもあの環境が苦手でね。他の人がたくさんいるのが辛い」


「そっか……」


 間抜けな俺は映画館デートしか考えていなかった。

 スターフォースが駄目ならくだらない恋愛映画に誘うつもりだったのだ。


「代案なんだけど――」


 文香が言う。


「――祖父の所有している別荘で1日過ごすのはどう?」


「別荘!? 1日!?」


「うん。ホームシアターがあるから、それで映画を楽しめるよ。ネットに繋がっているから、動画配信サイトの作品を上映できる」


「すげぇ」


 このビルといい、文香の祖父は凄すぎる。

 何をしている人なのか気になるところだが、今はそれどころではない。


「1日過ごすってことは、別荘にお泊まりするの?」


「そうだよ」


「俺と文香だけで?」


「うん」


「マジ!?」


「嘘なんかつかないよ」


 おいおいおい、マジかよマジかよ。

 まともにデートすらしていないのに、もうお泊まりの話!?

 それってつまり、アレしてコレして、ズッコンバッコンなのか!?

 そうなのか!?


「別荘で過ごす案は気乗りしない?」


「する! するする! 気乗りする! それにしよう!」


「なら決まりだね。細かい日にちはあとで考えるってことで」


「分かった!」


 ピンポーン♪


 会話が終わると同時にチャイムがなる。

 まるで話し終えるのを待っていたかのように。


「依頼人だ」と文香。


「俺が出るよ」


「待って、祐治はコーヒーの用意をお願いしていい?」


 鈴木の時はコーヒーなんかなかったぞ。

 と思いつつ、俺は「分かった」と頷いた。


 とってつけたような形だけの小さいキッチンへ向かう。

 電気ケトルで湯を沸かし、インスタントコーヒーを作る。


 出来上がったコーヒーを持って戻ると、依頼人はソファにいた。

 20代半ばと思しき美人なお姉さんだ。


「コーヒー、どうぞ」


 お姉さんの前にカップを置き、文香の隣に座った。


「雛森ミサト様ご本人で間違いはございませんか?」


 文香が尋ねる。

 どうやらまだ始まったばかりのようだ。


「はい、あっています。失礼ですが、大人の方は……?」


「いません。私が所長で、彼は助手です」


 俺は助手らしい。

 ミサトは「えぇぇ」と狼狽している。


「我々の年齢にご不満であれば、ご依頼をキャンセルしていただいて問題ございません。いかがいたしますか?」


「い、いえ、今は藁にも縋りたい思いなので……お願いします……」


「ではお伺いいたします」


 ミサトはコーヒーを一口飲んでから話し始めた。


「メールでもお話ししました通り、嫌がらせに遭っています」


 文香は事前に依頼人とメールでやり取りしている。

 しかし、その内容は助手の俺ですら教えてもらえない。

 だから、俺が依頼内容を知るのは今が初めてだった。


「警察は実害がない限りは対応できないといって取り合ってくれません」


「ですが実害は出ているのですよね?」


「はい。郵便受けに使用済みのコンドームが入れられています。この前なんかドアノブに掛けられていました」


 思わず「うわぁ」と声が出そうになる。

 想像するだけでも鳥肌ものの酷い嫌がらせだ。


 ミサトの依頼内容はあまりにも重すぎる。

 てっきり鈴木の時みたいな可愛いものかと思っていた。

 文香がコーヒーを用意しろと言った理由が分かった。


「コンドームのことも警察には言っているのですか?」


「もちろん言いました。でも駄目なんです。痴情のもつれだろうって」


「痴情のもつれって?」と俺。


 ミサトは目に涙を浮かべてこちらを見る。


「犯人は間違いなく元彼なんです。嫌がらせが始まったのは別れてからなので。だから警察は痴情のもつれと言うんです」


「なるほど……」


「それで、我々にどのようなことをお望みですか?」


 文香が尋ねると、ミサトは前のめりになった。


「嫌がらせを終わらせて下さい。本当は私から直接ガツンと言うべきなんだとは思うのですが、会ったら殺されるかもしれません。それに、このままでもエスカレートしていってそうなるかもしれない。だから、第三者に入ってもらいたいと思っているんです」


 逆上した元彼に俺らが危害を加えられたらどうするつもりだ。

 ――と、俺は思ったのだが、文香は気にしていなかった。


「分かりました。できる限りのことはしてみます」


「本当ですか!?」


 俺も同じセリフを言いたい気持ちだった。

 本当かよ、と。


「ただ、話を伺っている限り、説得は難しいと思います。ですので、証拠を固めてお渡しする、という形でいかがでしょうか。痴情のもつれとはいえ、元彼がやったという確かな証拠があれば、警察も動かざるを得ません」


「分かりました。それで大丈夫です」


 ミサトが深々と頭を下げる。


「大丈夫なのか?」


 俺は文香に耳打ちで尋ねる。

 文香は何も言わなかった。


「では、今から雛森様のご自宅へ同行してもよろしいでしょうか? あと、できれば元彼の名前や住所など、可能な限りの情報もお教えください」


「はい、分かりました。元彼の名前は平岡ツトム、歳は私と同じ24で――」


 こうして新たな依頼が始まった。

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