四十一 流酔の鼠

 未明、浅い眠りから果心は目覚めた。

 果心の掌の半分にも満たない鼠が、周囲を走り回っている。

 例の如く板壁に背を傾けていた果心は、すぐに立ち上がった。

 それで目覚めたのか、

「果心」

 呼びかけ、

流酔るすい殿か」

 かずが問うた。

つかいが参りました」

 その言葉が終わらぬうちに、もう鼠は走り出していた。

 左京大夫を連れて多聞山城を果心が去って、一年が経っていた。

 京都は何渡かわたれ流酔の屋敷に、かずとともに果心は身を寄せていた。

 ただ、切れ目なく陰陽おんみょうの依頼を受ける流酔が邸内に落ちついていることは少なかった。

 三日前も、

「行って参ります」

 いつもの笑顔で出かけていた。

 しかし、何の知らせもないまま、まだ流酔はもどっていなかった。

 果心とかずが身を寄せてから、こんなことはなかった。

 だから、

「流酔殿の身に何かあったのではないか」

 かずは案じていた。

 闇の中を一条から三条辺りへ走った鼠が、公家くげの屋敷とおぼしき門前で動きを止めた刹那、針のような髪を何本も逆立てた水干すいかん姿の男に掴まれた。

 式神しきがみである。

 向こうからもう一柱ひとはしら、一尺はあろう長い爪を持った式神がやってきた。それに目をくれることなく、握った拳を針の髪の式神が開くと、鼠の姿はなく、乾いた砂がさらさらこぼれた。

 もうそれで、何事もなかったかのように、式神たちは左右に分かれて歩き始めた。

 対面する屋敷の土塀を背に、気配を消してこれを見ていた果真には気づかない。

 鼠が、流酔の遣う式神の放ったものなら、それを握りつぶした針頭の式神は、流酔に敵する何者かに遣われているに違いない。その式神が、こうして屋敷の周りをろつき回っているのは、流酔が結界を張り巡らせているからである。

 気配を断ったまま、その屋敷の周囲を果心は回った。

 針の頭と長い爪の式神の他に、二柱ふたはしらの式神がいた。

 しかし、それらとは違う気配を、果心は感得した。気配、と言うより、においと言ったほうがいいかもしれない。

 同じ、幻術遣いの臭いである。

 式神を遣うばかりの呪禁師じゅごんしだけなら、束になっても流酔にはかなうまい。だが、それに幻術遣いが一枚噛んでいるとなれば話は変わる。

 流酔の屋敷にもどって、

「かず様にお願いがあります」

 改まって述べた果心に、

「力になれるのじゃやな」

 黒いその瞳を、かずは輝かせた。

 左京大夫とは違う女を、果心は見たようだった。

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