地味な県民の地味にいろいろ書き貯めた短編集
野林緑里
企画用
チャンスがあればおいかける
「来年度から“リベロ”というポジションが加わる」
先生の言葉は、私にとって胸を躍らせるような気持ちだった。
リベロとは、簡単に言えばバレーにおいてのレシーブ専門のポジションだ。
サーブもアタックもできず、ひたすらボールを拾って次へつなげることを役目としている。それが導入されることになり、小柄な人でもレギュラーになれる可能性を与えられたということだ。
そう……、私は小柄だった。
バレーをしていたら身長が伸びるかもしれないと思ってはいたのだが、中一でバレーを始めてから伸びた身長はたったの五センチ。
しかも運動神経はさほどいいほうではなかった。
サーブがネットを超える率も低いし、どんなに飛んでもネットから出るのは中指の第一関節程度。アタックは一応打てるのだが、大概が山なりのアタックで、強いものを打とうとしたら必ずといっていいほど、ネットに引っかかる。
ちなみに当時のサーブにおいてのルールというのは、必ずネットを越えなければならず、少しでもネットに触れるだけでもダメなのだ。たちまちサーブ兼が相手チームに移るってしまう。ただ点数が相手に入らない分だけいいのだが、ネットに少し触れただけで失敗になるというのは、本当にもうしわけなくて仕方がなかった。大概がネットに触れてしまう私のサーブ。ほとんどがふんわりになるスパイク。だれが私なんてコートに入れたがるのだろうか。
「サーブに関すねルールも変わる。ネットら当たっても相手チームに入りさえすればセーフだ」
それならば、私もいけるかねしれない。先生の語る新ルールの一つ一つが私の希望を見出していった。
これだ。
私がコートに入れる方法はこれしかないのだと思った。
サーブとレシーブ。
もしも、それさえ習得できたら、いままで練習試合でさえも入れてもらったことのない私でも入れる可能性が高くなる。
本当に屈辱的な日々から脱出できるかもしれない。
考えてみれば、本当につらい日々だった。
中学からはじめたバレー。チームメイトの半分は小学時代からの経験者。そのせいもあって、私がコートに入ることはなかった。それどころか、マネージャーがいなかったのでスコアブックに記録する役割を担うことさえもなった。たぶん、同級生のなかで自分だけがベンチ入りすらできないことがかわいそうだと思っての配慮だったのだろう。
スコアブック記録要因としてベンチ入りを果たし、ユニフォームを着ることができた。
でも、それはただの同情だ。
三年生で一人ユニフォームを着れないことを先生が憐れんで、そのような処置をしたにすぎないのだ。
要するに選手としてコートに入る可能性は皆無だと告げられたようなものだった。
あきらめたい気持ちとあきらめたくない気持ちがごちゃまぜになりながらも、ただひたすら記録をし、応援した。
唯一私の救いになったのが、当時のキャプテンが私の応援の声で頑張ろうという気持ちになったという一言だけ……。
そして、約束した。
そのときのチームメイトと高校になってもバレーしようねとの約束を守り、私はバレー部に入った。
けれど、同じだった。
マネージャーはいたから記録係にはならなかったけれど、やっぱりコートに入れなかった。
その可能性はだれよりも低いとしめされたのが。練習試合のとき。
私の同級生が13人。
とくに交代制限を設けていなかった練習試合にローテーションのたびに次々と同級生たちを交代でコートに入れていったのだ。同級生だけじゃない。後輩も入れていた。
けれど、私だけが入れられることはなかった。
変な期待をしてしまった私もバカだった。
結局、私だけがコートに入れられることもなく、試合は終わった。泣きたかった。
必死にそれをこらえた。
訴えたかった。
けれど、意味がないと思った。
すると、先生のほうからいった。
「今回は入れてやれなかったけれど、今度はチャンスをあたえるかもしれない」
慰めようとしたのだろう。
でも、私にはそれが先生の言い訳でしか聞こえなかった。それどころか私に「お前には才能がない。へたくそ」と遠回しに言われているような気持ちにもなり、何度ねやめようという気持ちになった。
私は泣いた。
悔しくて
悔しくて
コートに入りたくて
ただ一度でいいからコートに入りたくて
それが叶わないことに
私は何度も泣いた。
それでも、願っていた。
ひたすら、あのコートに立ってプレイすること。
そんな想いだけが私の支えだった。
そんなときにリベロという言葉の朗報。
ほかの人に比べるとまったく劣るけれど、レシーブはサーブやアタックに比べたらマシなほうだと思っている。
だったら、だれよりもたくさん練習しよう。
たくさん練習して、一度でもいい。一度でもいいから、コートに立たせてもらうんだ。
その気持ちだけでがんばった。
だれよりも早く学校へ行き、授業の始まる前には、イメージトレーニング、
放課後もホームルーム終わるとすぐに駆け出して、だれよりも早く体育館へいって、壁相手にスパイクを打ち、跳ね返ったものをアンダーで返す。
そんな感じでしているうちにチームメイトたちが姿を現し、彼女たちとともに練習を続ける。
部活が終わった。
一度部室に戻り、チームメイトとの他愛のない会話をする。
「私、最後しめておくね」
「うん。お先に」
チームメイトたちが帰ると、すぐに体育館へと向かい、再度ストレッチをして、ひたすらスライディングの練習を繰り返す。
それが何度か繰り返したのちに休憩をとり、今度はサーブの練習。
リベロはサーブをしないそうだ。
でも、リベロになるとは限らない。
もしかしたら、別のポジションをあたえられるかもしれない。
例えば、ピンチサーバーとか。
そんな妄想を抱きながら、もう張られていないネットを想像しながら打ち付けていく。
「お前、もう先生くるぞ。いつまでやってんの?」
すると、背後から声がした。
クラスメートで男子バレー部の少年だった。
少年はあきれたようにいう。
身長はさほど高くない。けれど、優れたジャンプ力と強烈なサーブでチームメイトからは一目置かれている存在だった。
「うるさいわね。あなたにはわからないわ」
私はそっぽを向くと、再びサーブの練習を始める。
ボールはネットの立つセンターラインを越えずに落ちていく。
「お前、あいかわらず下手だなあ」
「うるさいわよ。どうせわからないわよ。あんたなんかに」
彼はぶっきらぼうにいう私にあきれかえっていた。
「まあ。わからないな。一人でバカみたいに練習してどうすんだよ」
「なによ」
「一人で練習しても、うまくなるわけじゃねえ。その証拠にお前、ずっとやっているみたいだけど、まったくサーブ上達しないじゃん」
そういいながら、彼は私のもっているボールを取ると、ジャンプサーブをした。ボールはものすごい速度でコートの上を飛んでいき、強烈な音とともに地面に叩きつけられた。
すごい。
相変わらずすごいサーブだと感嘆した。
「うまくなりたいんだよな?」
「うまくなりたい。一度でもいいからコートに立ちたい」
「ならば、俺が教える」
「え?」
「俺が教えてやるよ。サーブとレシーブの仕方をな」
彼は二っと得意げな笑みを浮かべた。
*************
それから、私は彼に教わりながらの練習が始まった。
朝いちばんに学校へいき、彼とともに準備運動をしてストレッチ。
彼とともにパスを繰り返す。
そして、レシーブの練習。
彼のスパイクも強烈だ。そのことを知っているから私は思わず身構えた。
「そんな強烈なものしねえよ」
その言葉通り、最初は軽いスパイクから始めた。
最初はとりやすいもの。
それから徐々にスピードが上がり、取りにくいものへと変えていった。
だんだんと難易度が上がっていく。
取れない玉が多かった。
まったくとれないもの。ボールに触れたけれど、彼には返ることなくて別方向へ行く。
様々だった。
けれど、私はあきらめなかったし、彼もずっとつきあってくれた。
その効果もあって、彼のスパイクが取れるようになった。いくら無茶な方向へ流れていくボールもスライディングして取れるようになり、ボールが彼に返るようになった。
サーブもそうだ。サーブの仕方のコツを教えてもらって、何度も練習していった。
すると、いつの間にかネットの向こう側に届くようになり、少しスピードをつけることができるようになっていた。
けれど、ほかのメンバーに比べたら、まったく劣っていた。
それでも、万年補欠。いや、それどころか、ベンチにさえも入る見込みのなかった私は、ルールが変わった最後のインターハイ予選のころにはユニフォームを着れるまでになっていた。その時はほんとうに嬉しかった。何度もユニフォームを眺めたのはいうまでもない。
「やったじゃない。もうすごい」
「がんばったかいがあったね」
チームメイトからも喜ばれた。
そして、インターハイ予選。私が公式戦の試合でコートに入ったのはその一試合だけだった。 それでもよかった。
なにせ、リベロとしてのレギュラーだったからだ。
たった一度の公式戦。
その一回戦で負けてしまったけれど、それでもある意味目標は達成できていた、
コートに入りたい。
一度でいい。
コートでプレイしたい。
その思いが叶った。
ただもっとコートの中にいたかったという気持ちはあったけれど、それなりに満足している。
インターハイ予選一回戦敗退。
私たちは泣いた。
くやしくて
くやしくて
もっとコートにいたかったのだとだれもが泣いた。
泣いたのちに、だれもがすっきりした顔をしていた。
私たちはバレーをしたんだ。
コートに入ってバレーをした。
そういって満足できていたのかもしれない。
もしも、私がそこで諦めていたならば、私は満足しなかっただろう。
私はバレーをやったことの誇りなんてなかったではないかと思う。
あっ、でも、私はコートに立てたけれど、全国や世界には多くのバレーボールを志す人たちがいる。
バレーを経験しながら、一度もコートに立てなかった人も多くいるのだろう。
私の満足を自慢すべきではないのかもしれない。
それでもいいたい。
かんばった。
私たちはバレーをした。
ただひたすらボールを追いかけた青春は忘れない。
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それからどれくらいたったのだろうか。
高校を卒業し、地元の大学にすすみ、地元に就職した。
私はバレーとは無関係な人生を歩んでいる。
けれど、私の息子が私と同じで中学へ入るとバレー部に所属した。
ただ私と違って、主人に似たのか、運動神経のいい息子はすぐにレギュラーになっている。
しかもリベロだ。
息子にはこだわりがあり、とにかくリベロが一番かっこいいのだと言っていた。
そして、高校でもバレーを続け、やはりリベロにこだわっている。
そして、もう一つのこだわる目標が
「ぜったいにオレンジコートにいく」だった。
オレンジコートとは、全国大会で使用されるバレーコートの色だ。
息子はそのためにひたすら練習をしていた。その様子を見ていると、私が必死にやっていたことが思い出されてしまう。
そして、インターハイ予選。
おしくも全国の切符を逃した。
次が全日本バレーボール高等学校選手権大会(通称春高)と呼ばれる大会の予選。
決勝戦まで進んだ。
「勝つかしら」
「さあな。でも、あの子は君に似てあきらめ悪いからな」
「違うわよ」
「なにが?」
「あなたのおかげ。あのとき、あなたが声をかけてくれなかったら、私はあきらめていたわ。部活も途中でやめていたもの」
「俺に感謝しているのか?」
「もちろんよ」
「じゃぁ、今晩はカレーにしてくれ」
「どうして?」
「もちろん、カツカレー」
「カツカレー。いいわね」
「息子には全国にいってもらいたいからな」
そういって、私にバレーを教えるといったときのような笑顔を浮かべている主人がかわいらしく思えた。
「そうしましょぅか。明日の決勝戦勝つことを願ってつくるわ」
「よしっ」
主人はガッツポーズをした。
そして、翌日の決勝戦。
息子の所属するチームが優勝し、全国への切符を手に入れた。
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