〈3〉

 森の奥、少し行ったところに小さな洞穴ほらあながあって、なのでそこをキャンプ地とした。


 休憩だ。具体的には食事と、あとそろそろ日が暮れるので睡眠と、そして明日の作戦会議。目的は、復讐。いくら相手がドラゴンなろうと、舐められっぱなしのままでは引き下がれない。

 あんなのはトカゲだ。たまたまちょっとでかいだけの空飛ぶトカゲ。姫の方が偉いし、馬の方が速いし、魔剣士の方が気が利くし料理上手だ。

 即席のポトフ風雑炊に、なんと貴重な干し肉のおまけ付き。口では文句を言っていても体は正直というか、なんだかんだ要望を叶えてくれるあたり、この従者も結局はお人好しなのだと思う。

「そんなんじゃないです。っていうか、そんなんはどうでもいいんですよ。明日のことです」

 そう。目下最大の問題は明日のこと、どうやってあのクソデカ黒トカゲに一泡吹かせるか。

 逃げる、という選択肢は初めからなかった。そもこんなヤバい生き物の棲む湿地帯に、いや最初からヤバい生き物がいると思っていたわけではないのだけれど、でもわざわざこうしてやってきたのは、相応の用事があったからだ。

 話せば長くなるのだけれど、無理矢理ひとことに縮めるなら、ちょっとしたおつかい。

「なんだっけ。ほらあの、狐の婆さんが言ってた、ええと」

「マンドラゴラ。その群生地って話でしたよね。あの沼地」

「それ。確か『腰痛にはその粉末から作った秘薬が最ッ高に効くのじゃー』って、なんかそんな話だったよね」

 この湿地帯からそう遠くない村落、つい先日お世話になったのが狐の婆さんだ。なんでもああ見えてひどい腰痛持ちだとかで、そして腰痛は私にとっても悩ましい問題だったから、お礼も兼ねてその材料を採ってきてあげることにした。マンドラゴラの採取は命懸けだ。彼女から聞いた穴場の採取スポット、沼地の中央に私たちを待ち受けていたのは、しかしどう見ても立派な黒竜だった。

「パリエ。ぶっちゃけ、どう思う?」

「その〝ぶっちゃけ〟って、つまりアレですよね、要はあのばーさん、ボケてたんじゃ、っていう」

 マンドラゴラ。よく魔剤の原料として使われる、強い魔力を持った特別な植物。しかしそういう意味なら、ドラゴンの鱗や爪だって同様だ。加工して余った端っこの部分、粉末にされて売られているのをよく見かける。マンドラゴラと、ドラゴン。音も似ている。採取が命懸けなのも同様だ。どっちだ。あの婆さん、もう認知機能に限界が来ているのか、それともあれでまだ案外しっかりしているのか——。

「脳にいいのってなんだっけ。目玉とか? なんか魚の目玉がいいって聞いたことある」

「まあ遅かれ早かれですもんね、ああいうのって……僕達にできることは、もう話を合わせてあげるくらいしか……」

 しばしの沈黙。木々のざわめきと、焚き火の爆ぜる音だけが周囲を支配し、でもそのしんみりとした空気を振り払わんと、私はことさらに明るい声を出す。

「大丈夫? おっぱい揉む?」

「脈絡なく急にどうかしちゃうのやめてもらえません?」

 揉みませんよ? と律儀にも、質問部分には明瞭な答えを返してくれるパリエ。私は慌ててかぶりを振る。ううんごめん、いまのはそうじゃなくて、ちょっと考え事してたら間が飛んじゃったっていうか——嘘は一切ついていないのだけれど、でもさすがに恥ずかしくて変な汗が出た。おっぱいて。いやおっぱいのひとつやふたつで動揺するような身でもないのだけれど、でも無意識に口走るにはなかなか勇気のいる単語だ。いま知った。

「いやほんと申し訳ない……あのクソデカゲボトカゲをいわす﹅﹅﹅方法考えてたらつい……」

「だからボはやめてくださいよ。あとなんですか〝いわす〟って。ていうか、その考えのどこをどう飛ばしたら話が胸に——」

 そこではたと止まる彼。気まずそうに身をすくめるのは、彼にも思い当たるものがあったからだろう。「……確かに、黒刀のない僕では厳しいですけど」という悔恨の呟きに、まさか「いやお前その黒刀背負しょいながら私置いて逃げたやん?」とも言えない。

 代わりに、というわけでもないのだけれど、私はため息混じりに己の不甲斐なさを嘆く。

「私にも、パリエみたいに魔法が使えたらいいのに」

 その才がない、というのはさっきも言った。でも実のところ、本当にからっきしというわけでもないのが神様の意地悪なところだ。私は自分の服の胸元、革の胸当てとその下の生地ごと、みょいんっと引っ張って覗き込む。

 左の乳首のギリギリ上、いや半ば乳輪に掠めるように、くっきり浮かび上がる不思議な図柄。

 それは紛れもない王家の証、〝真祖の大魔術師〟の血を引くものに特有の紋章。

「これがある以上、少なくとも魔力自体は常人の比じゃないくらいにはあるわけだけど」

 それを魔法に転換できない。わからない。何度教わっても理解できた試しがなくて、つまり宝の持ち腐れだ。たわわに実った大量の魔力は、しかしこうして無駄にぶら下がるばかりで、せめて絞ったらなんかドロドロ出てきたりしないかな、と、そう顔を上げた瞬間に目が合った。まじまじと、なんかものすごい目で私のそれに釘付けになる、どこか鬼気迫る表情のパリエと。

「なんですか! そんな風に不用意に、人の目の前でチラチラさせる方が悪いんじゃないですか! 大体どうしてそんな大事な紋章が、よりにもよってそんな場所にあるんです!」

 そんなこと私に言われたって、それも居直り気味に逆上されながら言われても知らない。だいたいおとんなんかおへその真下、ていうかおち◯ちんの真上にあったよと、そう言ったらものすごくげんなりした顔をされた。ちなみに意匠デザインもひとりひとり違う。私のはなんとも言えない微妙な形状だけれど、おとんのはピンクのハートマークっぽくて可愛かった。「嫌すぎる……」というパリエの呻き。何が。というのは気になったけど、でも赤面と激昂ぶりがみるみる引いていくのが見て取れたから、余計なことは言わないことにした。

 とまれ、明日だ。わたしたちを舐めくさってくれた、あの竜をギャフンとわからせる作戦。

「まず落とした黒刀を回収して、それからドラゴンをしばく。しばいて安全を確保したら、沼地のあたりを探してみる。マンドラゴラが生えてたら持って帰ればいいし、それがなければドラゴンが本命だ。あれ? なんか、結構、単純だね?」

 何を悩んでいたんだろう。小首を傾げる私に、でも「ドラゴンが倒せたら、ですけどね」と冷静なパリエ。いわく、それはあくまでも最終手段、できれば留守の隙をついてマンドラゴラを、あるいはドラゴンの鱗だけを盗む。正面衝突は、得策じゃない。でもそれだと私ら舐められっぱなしですけど、と、その私の不平にも「だめです」とにべもない。

「命あっての物種です。それと、あたら生き物の命を奪うのも感心しません。姫様はよくても、やるのは僕なんですからね」

 いいからさっさと寝てください、と背を向ける彼に、つい「パリエはー?」と言わずもがなのことを聞く私。「もう少し見張ってます」なんて、そんなこと言われたら私だってムキになる。

「え、一緒に寝ないの。やだー寂しい」

「バカですか? 寝ません。平気で乳を丸出しにするような痴女のそばでは」

「丸ではなくない? 出てたのはせいぜい半丸程度っていうか、あんな風に覗き込もうとするから丸なのであって」

「いや丸ってたぶんそういうことじゃないですよね? もういい加減——ちょっと」

 いいから、と無理矢理に言葉を遮る。なんだかんだ憎まれ口は叩いても、しかし実力行使には逆らえないのがこの少年の憎めないところだ。いや実力行使といってもただ単純に、彼のすぐ隣にくっついて、ゴロンと寝そべっただけなのだけれど。

 時折、困ったように身じろぎはするものの、でもそれだけ。まるで別人みたいに大人しくなるパリエ。普段はなかなか見せてくれない一面。そりゃそうだ、だってこんな野宿のときでもなければ、ここまで身を寄せ合うようなこともないのだから。

 もっと子供らしく甘えてくれてもいいんだけどなぁ、なんて、わりと最近まではそう思っていた。今は正直、迷っている。子供らしく甘えているのは、むしろ私の方かもしれないから。

 体の下半分、つまり下半身が普通の人間と違う私は、こうして半ば寝そべるような体勢になって、やっと小さな彼と対等に並ぶことができる。目線の高さや声の近さ、触れ合う手足の位置と距離が、普段とはまるで違って感じられる。〝ヒト〟の世界。想像でしかないけど、きっとこれが「みんな」の普通の距離感なのだと、それはこの旅で初めて知ったことのひとつ。お気に入りだ。世間知らずのお姫様は、こういう平凡な俗世の感覚に弱い。機会があれば、やってしまう。悪いなぁ、なんて思いつつも、希少なチャンスを見逃せはしない。

 ——そうだ。

 さっきご飯のときに言おうと思って、でも言いそびれちゃったこと。

「ありがとね。あれ、森に逃げるときの、入り口を黒刀でドバーンってやってくれたの」

 普通なら必要ないはずのこと。つまり普通とは言えない上背があって、なんなら横幅だって人並みよりはある私が、でもそのまま駆けていけるように。実は走りながら身をかがめるのは結構腰に来て、だから枝葉の多い森の中はなかなかしんどかったりするのだけれど、でもそういうところによく気がつく。なにも言わないままに気を回してくれる。それだけ長い付き合い、というのもあるけど、でもそれ以上に彼のただ単純にお人好しなところが、私にはとても好ましく思えた。

 少なくとも、こうして眠る際、そばに身を寄せていたいと思えるほどには。

YOUユーは最高の男ぞ……人の乳ようけ覗きよるけど……なんなら揉むけど……ふあぁ」

「寝てください本当」

 雑な対応。眠いのは私だけでなく、どうやら彼も一緒のようだった。それでも必死に噛み殺す彼のあくびの、その可愛らしさと頼もしさを感じながら、私は一足先に眠りに落ちる。以前、ずっとお城に暮らしていた頃には、想像もできなかった硬い地面の感触。

 知れてよかった、と、つくづく思う。

 決して安楽ではないものが、でもこんなにも心地よく思えるという、この不思議な感覚を。

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