悪趣味

ナツメ

1

「目的化された悪趣味なんて、なんの意味もないですよ」


 伊勢いせむつみはこれまでと同じ穏やかな笑みを浮かべてそう言った。

 柔和な印象の人だな、と思って話をしていた守屋もりやとおるは、だから、その言葉に潜んだとげを一瞬見逃しそうになった。



「伊勢さん、この度はウチみたいなアヤシイところの取材を受けてくださって、ほんとありがとうございます」

 待ち合わせのカフェで、守屋はヘラヘラとあえて軽薄そうに切り出した。サブカル系のフリーライターをやってきて身についた、ビジネスとしてのひょうきんさ。

「いえ、僕でお役に立てるなら」

 ボックス席のはす向いに座る男は、薄い唇をきれいな三日月型にして、吐息の混ざったような声でそう答えた。

 意外だ、というのが守屋の第一印象だった。肩につくほどのウェーブヘア、立襟――バンドカラーというのだろうか――のシャツをさらりと着こなした細身の男。肌は白く、髪色も真っ黒ではなく透けるような色素の薄さを感じる。顔立ちこそ西洋風ではないが、どことなく異国の雰囲気を感じさせる、線の細い男だ。

 今回の取材で、まさかこういう人物が来るとは思っていなかった。どちらかといえば自分のような――万年Tシャツで、あまりパッとしない、いわゆるオタク系の男をぼんやりと想像していた。

 あの髪型、俺がやったら不潔なだけだろうな……なんて、愚にもつかないことを思いながら、守屋はノートパソコンとボイスレコーダーを取り出す。

「えーっと、事前にメールでもご説明したんですが改めて……と、その前に、こちら録音させていただきますね」

「ええ、どうぞ」

 ボイスレコーダーの録音ボタンを押す。合わせて、スマートフォンでもボイスメモアプリを立ち上げる。

「……はい、ではですね、今回は今度創刊する『カストリ』という雑誌に掲載させていただくインタビューとなります」

「そういえば、『カストリ』ってあのカストリですか? 戦後の」

「お、ご存知なんですね」

 カストリというのは、戦後日本で出回った粗悪な密造酒のことだ。カストリ酒は「三合飲めば潰れる」ということから転じて、「三号出れば潰れる」ような、戦後に乱立した大衆向けの娯楽雑誌のことを「カストリ雑誌」と呼んだ。

「カストリ雑誌といえばエロ・グロ・ナンセンスということで、編集長がそういうのが好きでして。令和のカストリ雑誌と息巻いて、サブカルやアングラな話題を取り上げるという、そういう雑誌になる予定です」

「この時代で、WEBメディアじゃなくて雑誌なんですね」

「まあこういう内容はどうしてもネットだと色々と難しくてですね。紙のほうがまだ比較的過激なネタはやりやすいみたいな部分はあるんですよ」

「守屋さんはお好きなんですか? そういうの」

「へ?」

 いきなり話題の矛先を自分に向けられて、守屋は面食らった。

「ボクですか?」

 自分の鼻先を指差す守屋に対し、伊勢は笑んだままやや首をかしげてうなずいた。

「えー……まあそうですね。ずっとサブカル系のライターをやってるんですけど、学生の頃から割とそういうのは好きでしたね。未解決事件とか、2ちゃんねるで起きた事件とか、あと社会人になってからですけどTOCANAとかよく読んでて、あそこに記事書かせてもらったのは嬉しかったですよ」

「人って、どうしてそういうものを面白く思うんでしょうね」

 伊勢が重ねて言う。質問というよりは感想のようなトーンではあったが、守屋に回答をうながしているのは明らかだった。

 これじゃあどっちがインタビューされているのかわからんな、と困惑しつつも、取材対象と交流を深めるのは結果的にポジティブだと経験から知っている守屋は、例のひょうきんさで場を盛り上げようとした。

「いやあ、なんですかね……学生時代に痛感しましたけど、フツウの人はグロいものとかおぞましいものって、やっぱり見たくないらしいんですよ。なんでわざわざそんなもの見るんだ、悪趣味だって散々言われましたけど、そういう悪趣味なモノだからこそ、普段目に出来なくて面白いというか」

「目的化された悪趣味なんて、なんの意味もないですよ」

 やはり空気を多く含んだ、耳に柔らかな声で伊勢はそう言った。口調も表情も、最初から変わらずおだやかで、守屋はその意図がすぐにはつかめなかった。

 コンマ数秒の間を置いて、しまった、と思った。そのと呼ばれる類のことをまさに趣味としている伊勢に対して、失礼な物言いになってしまっていたかもしれない。自虐のつもりが相手をも馬鹿にしてしまうなんて、あまりにも初歩的なミスだ。

 すみません、と言うより早く、伊勢が言葉を継いだ。

「守屋さん、僕に密着取材してみませんか?」

「は?」

 守屋は二度目となる間抜けな声を上げた。

「ちょうど一週間後に、例の、僕の参加してる会があるんですよ。まあ流石においそれと招待できるものでもないんですけど……守屋さんが本当に信用できる方だってわかったら僕から口添えすることはできます。それまでの間守屋さんは僕の取材をしたら、記事にも厚みが出るんじゃないですかね? 素人考えですが」

 ちょっと待ってくださいね、と手帳をめくる。この一週間、ちょこちょこと打ち合わせや取材も入っているが、ちょうど一週間後は空いていた。その日付にさっと「取材 イセ 終日」と書き入れ、守屋は顔を上げる。

「丸々ってわけには行きませんが、一日数時間ずつ取材させていただけたらこちらとしてもありがたいです。ただ、謝礼のほうがちょっと持ち帰りになってしまうのですが……」

「いえ、謝礼は提示していただいた額のままで大丈夫ですよ」

 なんともありがたい申し出だった。これで編集長に面倒な交渉をしなくて済む。

「明日は終日こちらにいますので、守屋さんの都合の良い時にいらっしゃってください」

 伊勢が差し出したのは、名刺サイズの革だった。「伊勢睦」という名前と、住所が刻印されている。

「それじゃあ、守屋さん、また明日」

 そういうと伊勢は立ち上がり、大きいがほっそりした手をひらひらと振って去っていった。

 テーブルから伝票がなくなっていることに気づいたのは、二つのレコーダーを止めたあとだった。

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