一九話:凶報



 ―――時は少し、遡る。




 **********




 時刻は正午を少し過ぎた頃。


 木製の床の上を、一切の物音を立てずに歩く一人の人物がいた。


 黒い外套と目深に被ったフードに、深緑色で厚手の長ズボンと黒いコンバットブーツ。そして顔を隠す灰色の仮面に白い手袋。


 きっと素顔や肌を見られたく無いのだろう、完全防備と呼べる格好だ。肌の露出が全く無い。


 確かに、隠せてはいる。


 が、どう見ても不審人物。というか逆に目立つことこの上ない恰好だ。


 しかし、周りにいる人々はこの人物に目もくれない。真横を通過されても、真正面を横切られても誰も素知らぬ顔をしている。


 ――誰もこの不審人物を見ていない。いや、見えていない・・・・・・


 そんなある意味透明人間のような人物が歩いているこの場所。ここを表現するならば多少賑やかな図書館、と言えるだろうか。


 壁面を埋め尽くし、さらに不規則かつ大量に並んでいる本棚。


 本を読む為の一人用の椅子や机、また何人か座れるであろう椅子や大きな机。


 多数の貼り紙で埋め尽くされた大きな掲示板。


 そして受付。


 一見して図書館の様だが、正確には図書館ではない。資料室としての側面持っているだけだ。


 ここは『世界魔術連盟』の欧州支部。


 だからこそ、この場所は普通ではない・・・・・・


 その証拠に、


 左に目を向けると、本棚から本を取る妙齢の女性がいた。

 ――指先で風を操り手の届かない場所にある本を取っている。


 右に目を向けると、椅子に座り本を笑いながら読む老婆がいた。

 ――ページを捲る度に本が発火、凍結を繰り返している。


 正面に目を向けると、受付の女性に話しかけている青年がいた。

 「――今度の悪魔祓いが終わったら、一緒に食事でもいかがですか?」

 「――お断りします」


 掲示板の前には人集りができていた。


 『――最近は討伐依頼が少ないな〜』

 『――蘇生実験の被験者募集って、コイツはバカなのか?』

 『――今度は怪異の調査に行ってみようかなぁ』


 ――など、通常絶対に見ない光景、聞かない単語や話し声が聞こえてくる。


 ちなみに本棚や照明が空中を浮遊して移動していたり、横や上を見渡しても果てが見えない、といった仕様の室内――と言っていいか分からないが――になっている。


 仮に一般人がこの光景を見たらどんな反応をするだろうか?


 少なくとも開いた口が塞がらない事は確実だろうと思われる。


 しかし、欧州支部ではいつも通りの光景なので誰も、何も気にしていない。

 欧州支部ここにいるのは全員が一般人ではないのだから。


 この不審人物も慣れているのか、特に驚くこともなく受付へと進んで行く。


 本棚にも人にもぶつかる事なく、気付かれる事もなく、するりと受付へ歩いて行く。

 誰も、この不審人物の存在を認識できていなかった・・・・・・・・・・


 そのまま受付の横を通り過ぎ、長い廊下へと進んで行く。

 そして入口から一六番目の他よりも少し豪奢な、開けっ放しになっている部屋の中へと入って行く。


 部屋には社長机と言われても納得出来る威厳のある机と少しの本棚、それと応接用のソファとテーブルの必要最低限の物だけ。


 一見して質素な部屋の中央やや後方には、机に座っている眼鏡を掛けた真面目そうな若いスーツ姿の女性が一人、机上に溜まっている書類を整理していた。


 不審人物は金髪の女性の正面に辿り着くと机を指で二回、コンコンと叩いた。


 座っていた女性はビクリと体を震わせて驚く。


 当然だろう。誰もいない、何も無い場所から、いきなり音が響いてきたのだから。

 しかし、直ぐに状況を理解したようで、溜め息をつきながら目の前にいるであろう人物に英語で喋りかける。


 「……はぁ。それで、今回はどの様なご用件でしょうか―――【正体不明アンノウン】?」

 『依頼の報告だ』


 【正体不明アンノウン】もとい、最上総護は懐から三つの丸めた紙の束を女性へと差し出す。


 女性は何も無い空間から出てきた紙の束を受け取ると、恐らく目の前にいるであろう人物を翡翠色の瞳でジロリと睨み付ける。


 「君、人に会う時ぐらい〝認識阻害〟を消したらどうなの?」

 『……ああ、すまない』


 総護は短く応えると外套に流していた魔力を止めた。


 すると、女性の視界では霧が晴れる様に総護の姿が出現する。


 「それと、いくら正体を知られたくないからと言っても、〝伝心〟はどうなのかしら? それ、意外と受ける側は不快なのよ?」

 『……コレ・・の方が何かと便利なんでな』


 総護が用いている〝伝心〟とは、簡単に説明するならばテレパシーのような魔術である。

 〝伝心〟を使用している一番の理由としては性別や年齢を隠す為なのだが、二番目に便利だからというものもある。


 伝心とは『心を伝える』ということ。だからこの魔術、ある程度なら言葉の壁を越える・・・・・・・・のだ。だから魔術としての難度は意外にも高い。

 その上総護は鳴子から教わった〝言語理解〟の魔術も重ねて使用している為、相手を問わず無言で意思の疎通が可能となる。


 つまり、総護はこれまで一言も喋っていない。


 「はぁ、まぁいいわ。どうせ何を言っても無駄だったわね」

 『分っているなら聞かないでくれ、ミレイ支部長』


 溜息を吐いた後、ミレイは受け取った紙の束を開くと一つ一つ目を通していく。


 「『幻獣の鎮圧』、『異能犯の確保』、『聖人の護衛』。相変わらず仕事の幅が広いわね、ウチの馬鹿共にも見習って欲しいわ」


 感心した様に書類の内容を確認するミレイ。


 「じゃあ、確認するわね」


 彼女は三枚の書類を机の上に並べると、自身の瞳に魔力を集中させていく。

 数秒程、翡翠色の瞳に集まっていた魔力は瞬きと共に霧散していく。


 「はい、これでお終い。後の手続きはこちらでやっておくわ、報酬はいつも通りでいいかしら?」

 『ああ、それで構わない』


 ミレイは再び三枚の書類を丸めると、引き出しに仕舞い込む。


 「っあ、そうそう。アナタ午後は暇?」


 引き出しから手を離す際、何か思い出したのかミレイが尋ねる。


 『ああ、特に予定は無いな。何かあるのか?』

 「この前、ラシードが来たのよ。その時に『【正体不明アンノウン】が現れたら連絡してくれ』って頼まれてね」

 『ラシードだと?』


 総護は内心首を傾げた。最近ラシードとは特に何も無かったはずだからだ


 『……内容は聞いていないのか?』

 「聞いていないわ。取り敢えず今から連絡するから、向こうで待っててくれないかしら。そのうち来ると思うから」

 『分かった。だが、あまり待つようなら帰らせてもらうぞ?』

 「ええ、急いで来い、って伝えておくわ」

 『頼む』


 総護は一言頼み込んでから部屋を後にした。


 また長い廊下を通り抜け資料室へと入ると、先程とは違い多数の視線が突き刺さる。


 「オイ、あの恰好、【正体不明アンノウン】じゃないか?」

 「アイツが【正体不明アンノウン】かぁ」

 「いつ来たんだ?まったく気付かなかったぞ」

 「うわ〜私初めて見たかも」

 「あの服装、暑くないのか?」

 「アッヒャヒャヒャヒャ」

 「というか怪しすぎるだろ」


 ヒソヒソと何かを喋っている声が聞こえるが、総護はそのまま気にする事もなく受付の横を通り、手近かな椅子に座る。


 椅子に座って、五分、一五分、と経ってもミレイが来ることも、ラシードが来ることも無かった。


 少し朝が早かったため、だんだん睡魔が歩み寄ってくる。


 (ふぁあ〜、ネミ。ちと寝ながら待つかな。……あ?)


 誰も来る気配が無かったので、椅子に座ったまま眠ろうとした総護だが、自分に近付いて来る三つの気配を察知した。


 「お〜お〜、こんな所に有名人がいるじゃねーか」

 「ザック、ホントにこんなヤツが【正体不明アンノウン】なのか?」

 「っぷ、変な恰好」


 一人は赤い短髪が特徴的な長身の男。

 一人は目付きの鋭い赤髪の男。

 一人は小柄で活発そうな赤い髪の少年。


 年齢は一〇代から二〇代といったところだろうか。

 共通しているのは星々の刺繍の入った漆黒のローブと、疑う様な眼差し。


 どうにも、友好的とは程遠い雰囲気だ。


 『何か用か?』


 三人組の方を向き、立ち上がった総護は問う。


 「っは、なんだ? 用が無けりゃ話しかけちゃいけねーのか?」

 「うぇ〜、〝伝心〟じゃん。僕この魔術嫌いなんだよね」

 「……それなり、か?」


 総護の問への返答は三者三様、しかもどれも答えになってない。


 「見ろよ、【正体不明アンノウン】に誰か絡んでるぜ」

 「ありゃザック達じゃないか? ほら最近こっちで登録した、三兄弟の」

 「あ〜、最近勢いのあるチームか。確か【紅い月ブラッド・ムーン】、だったか?」


 三人組が近付いてきたためか、また総護の方へ注目が集まり始める。


 総護を見下ろすかたちで詰め寄ってくる長身の男。

 この三人組の中ではリーダー的な存在なのだろうか。他の二人を引き連れているような印象を受ける。


 『今、人を待っているんだ。用がないなら今度にしてくれ』

 「つまり、今はヒマなんだろ? ―――ちょっと俺らと模擬戦してくれよ」


 唐突に模擬戦を申し込まれた。


 『……人を待っていると言ったはずだが?』

 「ああ、らしいな」

 『理解しているなら、今度にしてくれ』

 「なんだ、逃げんのか?」

 (……こいつ、人の話聞いてんのかよ)


 理由は分からないが、これは模擬戦の申し込みというか、喧嘩を売られていると言った方が近いのだろうか。

 赤髪の男からは毛ほども引く気が感じられない。


 (いきなり、めんどくせぇな。ラシードには悪ぃが、逃げるか?)


 どうにも人の話を聞く気が無さそうなので、総護がその場から逃げようとした、その時。


 「――止めておけ。貴様らでは相手にならん」


 けして大きな声ではないが、よく聞こえる声が近くから発せられた。


 「あ? 誰だよ、お前?」


 歩み寄ってくるのはスーツ姿の長身の男。その男に対し赤髪の男はあからさまに眉をひそめる。


 「それは、人にものを尋ねる態度ではないな。まずは自分から名乗ったらどうだ?」

 「……チッ」


 舌打ちをした赤髪の男は、突然現れた中東系の男を睨み付けながら名乗り始めた。


 「俺はザック・レーストン、魔術師で【紅い月ブラッド・ムーン】のリーダーだ。後ろのチッコイのがウェーン、もう一人がハイルだ」

 「そうか」


 中東系の男はザックの名乗りに短く答える。


 「そうか、じゃねーよ。オマエも名乗ったらどうだ?」


 不機嫌なザックは目の前の男に問う。お前は何者か、と。


 「俺はラシード、傭兵だ」

 「……へー、オマエが【白拳はくけん】か」


 ラシードが名乗るとザックが少し驚いた様な表情になるが、すぐに挑発的なものへと変わる。


 「流石は【猛炎もうえん】だな、誰彼構わず噛みつくとは。しかも相手の力量が見抜けんとは、随分とタチが悪い」

 「ッハ、殴る蹴るしかできねー野蛮なヤツには言われたくねーな」


 互いの言葉が琴線に触れたらしい。


 「「……」」


 両者から熱気と殺気が溢れるのはほぼ同時だった。


 (こいつら二人とも気が短ぇのかよ。つかもう俺の事忘れてんじゃねぇか?)


 些細な刺激で爆発しかねない二人爆弾を眺めながら、どう声をかけるか考えていた総護は、取り敢えずラシードに声をかける事にした。


 『おい、ラシード。私に――』


 ――ビビー、ビビー。


 続くはずだった言葉は、よく聞こえる無機質な電子音によって遮られた。


 瞬間、総護から爆発的な魔力が噴き上がる。


 付近にいた【紅い月】の三人はもちろん、椅子や本棚までが吹き飛ばされる。


 ラシードだけは即座に床へ片足をめり込ませ、総護の方を向く。


 当然事ながら支部中の視線が集まるが、総護は周囲の事など気にしない。


 ――いや、気にする余裕など無い。


 何故なら、既に事態は一刻一秒を争うのだ。


 だから総護は周囲の惨状を無視し、懐から取り出した札へ膨大な魔力を注ぎ込んでいく。


 ――転移。


 ここまでの時間、約二秒。総護の姿は欧州支部から完全に消え去った。


 ラシードは慌ただしく動く支部の職員やこちらに駆けてくる支部長の気配を感じながら、一人呟く。


 「……緊急事態・・・・、か」


 それはかつて【正体不明】が依頼や共闘の度に言っていた言葉をラシードは思い出していた。


 『――私は依頼の最中に離脱する可能性があるが、それでも構わないか?』


 「まったく、あの生真面目な支部長になんと説明すればいいのか。離脱するならもう少し地味にできなかったのか?」


 床から足を引き抜きながらため息をつくラシード。


 (それにしても、あの【正体不明】が周囲を顧みず動くとはな。余程重要な事か、それとも――)


 ――なりふり構っていられない程の危機らしい。


 駆けつけたミレイの冷めた表情を視界に捉えたラシードは、もう一度深いため息をついた。

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