一三話:彼へ彼女と彼女から(二)


 「あ、お父さんかお母さん帰っとる。ただいま〜」


 珍しく灯りのついている自宅。その玄関のドアを開け中に入る陽南。父と母の靴があるため二人とも仕事を終えて帰宅しているようだ。


 靴を脱ぎながらスマホで時刻を確認してみると、あと数分で午後九時になるところだ。


 そんなスマホを見ている陽南の背後へと息を殺しながら忍び寄る一人の女性。女性は陽南との距離が近づくと両腕を広げ、勢いよく陽南へと抱きついた。


 「おっ帰り陽南ちゃ~ん」

 「ひゃあっ!? ちょっとママ、急に抱きつかんでよ~、ビックリするがん」

 「ゴメンゴメン、あまりにも『陽南ちゃん成分』が足りなくなってたからつい抱きついちゃった」


 抱きついた女性は陽南の母親、木乃町きのまち瑠璃るり

 陽南と同じショートヘアで性格も明るい女性だ。ちょうど夕食の片付けをしていたのかエプロン姿だ。

 

 「前から言っちょうけど、その『陽南ちゃん成分』ってなに?」

 「『陽南ちゃん成分』っていうのはね、陽南ちゃんを抱きしめたりすると発生するママの元気の源よ」

 「だ~け~ん~、その説明だけじゃ分からんって言っちょうがん。あと退いてごさん?暑すぎてウチ死ぬよ?」

 「それは大変、ママの生きる意味が無くなっちゃうじゃない!! あ~でもほっぺ柔らかいしも体も鍛えてるのに程良く柔らかいし~離れたくない~」

 「も、ママ、離れて~暑い~」

 「は~やわらか~、仕事の疲れが吹き飛ぶ~」


 陽南としては密着されると暑いので早く離れて欲しいのだが、まったく瑠璃が離れていく気配が無い。それどころか、だんだん手の動きがいやらしくなっている気がする。


 「ッ!?」

 「あ、陽南ちゃんま~た胸が大きくなった? ふひ、ふひひひ」

 「ちょお、い、いかげん、に」


 気のせいではなく、確実に瑠璃の手つきがいやらしくなっているようだ。というかもはや完全にノリがエロ親父になっている。


 「玄関で何騒いで、……ホントになにやってんだ?」


 陽南へ瑠璃が玄関で過激なスキンシップをとっていると、廊下の奥から一人の大柄な男性が呆れながら近づいて来た。


 「パパ、助け」

 「フヒヒヒ、ハァハァハァ」

 「はぁ~、見てるこっちまで暑くなる光景だな。おーい瑠璃、それ以上やると陽南に嫌われるぞ?」


 男性が声をかけると、ようやく我に返ったのか瑠璃はゆっくりと陽南から離れていく。


 木乃町きのまちつよし、陽南の父であり瑠璃の夫である。鋭い目つきと鍛え抜かれた肉体が特徴的な坊主頭の大柄な体格で、今は白いティーシャツに黒の半ズボン姿というラフな格好だ。


 「アハハハ、ちょっとやり過ぎちゃった」

 「どこが『ちょっと』だ、実の娘でもセクハラで訴えられるぞ?」

 「だいじょうぶだいじょうぶ、陽南ちゃんはこれがママの愛情表現だってしってるから。ね?」

 「う~、ママのせいで超暑いぃ。ウチお風呂入ってくる。……ママ、今度同じ事やったら二度と喋らんけんね」


 フラフラと立ち上がった陽南はゆっくりと風呂場へと歩き始め、去り際に瑠璃に対して不穏な言葉を残しながら廊下の奥へと進んで行く。

 小さな声だったのだが瑠璃にも聞えたらしくあたふたと慌て始める。


 「ついに陽南ちゃんに反抗期がっ!? パ、パ、パパどうしよう!? 陽南ちゃんバット持って暴れ始めちゃうのかな!?」

 「安心しろ、アレは絶対反抗期じゃないから。まぁ、ある意味反抗期とも言えるが。というか反抗期のイメージがおかしくないか? っと、コレは陽南の忘れ物か?」


 玄関にデフォルメされた可愛らしい豚が描かれている袋が置いてあった。どうやらスーパーなどに寄って帰ってきたようだ。


 「それ、商店街のお肉屋さんの袋じゃない。……『ママもバラす切り分ける』って意味なのかな!?」

 「……瑠璃、いったん落ち着こう、な? 陽南がそれ聞いたら割とマジでキレるぞ?」


 この後一緒に夕食の片付けをしながら何とか瑠璃を落ち着かせる事ができた剛だった。




 **********




 「ん~~、宿題終わった~。って、もう一一時じゃん、今日はちょっと遅くなっちゃったなぁ。でも、明日は土曜日だしいっかぁ」


 風呂から上がり自室でパジャマに着替えて身支度を整え、休み明けに提出する課題を終わらせた陽南が机にある時計を確認すると午後一一時を過ぎている。


 「詩織ちゃんとお肉屋さん行ったり、総ちゃん家で焼き肉したけん遅くなったんかなぁ?」


 下校時に商店街の肉屋が安売りをしている、と母の瑠璃が朝言っていたのを思い出した陽南は詩織と一緒に向かってみた。

 安売り自体は終わっていたのだが今回はあまり売れ行きが良くなかったらしい。店主が残った肉をどうしようか考えていた時に陽南と詩織が肉屋に到着、普段よりも格安で大量の肉を購入することができた。

 なので普段の金額で購入出来る量の肉を持って帰る事にして、残りを総護の家に持って行くことになったのだ。


 焼き肉になった経緯としてはピー助が『こんなに食べていいんスか!? じゃあ今日は絶対焼き肉がいいッス!! 絶っっ対焼き肉っスぅうううう!!』と言って譲らなかったからだ。


 「ふふ、ほんとピー助は食べ物の事になぁと必死というか、輝き始めぇけんな~」


 寝ようと思い灯りを消し、ベッドに寝転ぶ陽南。だが目が冴えていてまだ寝付けそうになかった。


 (……総ちゃん、朝も夜も美味しそうにご飯食べてくれとったなぁ)


 無意識のうちに考えるのは幼馴染みの男の子の事だ。


 小さい頃から詩織と総護の三人でよく遊んでいた陽南。三人とも外で遊ぶのが好きだったのでついつい時間を忘れ遅くまで遊び、たびたび両親に帰宅時間を守れ、と怒られていた。


 小学校に入学してからはクラスが違ったり、仲の良い女の子達と遊ぶ機会が増えたため三人で遊ぶ頻度は少し減ってしまったが、それでもよく一緒に遊んでいた。

 地域の老人達からは『仲良し三人組』と呼ばれる程には仲が良かった。だが、小学校で学年が上がる毎に三人で遊ぶ頻度がだんだんと少なくなっていった。


 そして中学校へと進学して少し経った頃、総護の態度が変わってしまう。


 一緒に登校しようと誘っても、断られてしまった。

 学校などで挨拶をしても、まるで見ず知らずの他人の様な心の籠もっていない挨拶が返ってくるだけ。

 総護が意図的に避けているとしか思えなかった。


 詩織に対しても同じような態度になっているようだった。


 『きっと、恥ずかしがっているのよ』と詩織が言っていたのを覚えている、時間が経てば昔の様な総護に戻ると。

 当時の陽南も時間が解決するものだと思っていた。


 だが、半年経っても、一年経っても総護の態度は変わらなかった。そして時が経つにつれて総護が苦しんでいく様にも見えた。


 中学二年の夏、ある日の放課後。陽南は総護を問い詰める事にした。何故自分たちと関わらないようにするのか、何か困っている事があるんじゃないのか、と。



 『―――俺がどうしようと、お前らには関係ねぇだろ』



 返ってきたのはとても冷たい言葉と、長年一緒に遊んできた友達に向けるとは思えないほど冷めた眼差しだった。


 その後どうやって帰宅したのか覚えていない。

 帰宅して自分の部屋に入り、泣いた。涙が止まらなかった。とても、とても心が痛かった。


 この時、陽南は初めて自分の想いに気が付いた。自分があの少年のことを異性として『好き』になっていた事に。


 自分の想いに気が付いた翌日、陽南は以前と同じように総護と接した。

 次の日も、その次の日も、まるで何事も無かったかの様に。時を同じくして詩織も以前と同じような態度で総護と接する様になっていたが、当時は気が付かなかった。


 陽南は決めたのだ、総護の態度を変えてみせると。いや―――変えざるを得ない状況にしてみせると。

 そう『ウチに絶対惚れさせてみせる!!』そうすれば冷たい態度など絶対にとれなくなるのだから、と結論づけた。


 それ以降徐々に総護の態度は軟化していく、だんだんと昔の総護に戻っていく。そして高校へ進学する頃にはすっかり元通りの総護になっていた。


 (いや~、よくやったよねぇウチ)


 ベッドで昔を思い出しながら余計に目が冴えてきた陽南、その上自分でも分かるほど顔が熱い。これでは寝るどころではない。


 (でもいつなんだろ、総ちゃんの事、す、すす、好、きになったの?)


 自身の記憶を掘り起こして見ても思い当たるエピソードが意外と多い。何故だろうどれもしっくりくる気がする。


 (でも一番最初は、アレかなぁ)


 思い出せる一番最初の思い出エピソード


 よく晴れた日の午後、詩織の体調が悪く総護と二人で遊んでいた時。詩織の家の近くには大型犬を飼っている老夫婦が住んでいた。門構えの立派な家だったのだが、門の内側のすぐ近くに大型犬がよく寝ていたのだ。

 しかも警戒心が強いのか通行人が通るとかなりの確率で吠えていた。その上に道が狭く、そこそこ門の近くを通らないと通行出来ないのだ。


 小さい頃陽南はその大型犬がとても怖かった。自分よりも大きな体、さらに吠えるのだから陽南にとっては恐怖の象徴でしかなかった。

 通行する為にはどうしても大型犬のいる門の前を通らなければならず、そこを越えなければ自宅にたどり着く事ができない。どうしても一度家に帰りたかったのだが、恐怖で足が動かなかった。


 どうする事も出来ず、更に吠えられた恐怖を思い出し今にも泣き出しそうな陽南。


 『―――だいじょうぶだよ、ひなちゃん』

 『う、うぅ……ふぇ?』


 陽南の震える右手を優しく握る幼い総護。笑みを浮かべ彼はこう言った。


 『ひなちゃんは、ぼくがぜったいに、まもるから』


 そして総護は陽南を庇う様に大型犬の前を通り過ぎた。


 (えへへ、懐かしいな~)


 きっとここが最初なのだろう、陽南が総護を意識し始めたのは。それから十数年経った今でも想いは変わっていない。


 「よしっ、寝よう。これ以上はいけんわ、絶対寝れんくなぁわ」


 陽南は改めて布団を被りなおす。これ以上起きていると睡眠不足になりそうだ。

 ただ一つだけ陽南が昔から思っていることがある、それは―――


 (……詩織ちゃんも多分ウチと同じだけんなぁ)


 ―――きっと総護に想いを寄せているのは詩織もなのだと。


 そんな事を考えているうちに、恋する乙女は深い眠りへと落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る