一章 はじまりの物語

一話:朝稽古


 七月一三日午前四時三八分。


 鬱蒼と生い茂る木々が太陽の光を遮り、静かでどこか不気味な雰囲気を漂わせている森の中。方向感覚さえ狂いそうになる樹の海の中で、突然―――――静寂を斬り飛ばすように巨大な『剣気』が炸裂した。


 『剣気』が発生した場所には男が一人、無手のまま両腕をダラリと下げ立っている。そして男の前方数一〇〇メートルの木々は原形を留めぬほ・・・・・・・ど斬り刻まれていた・・・・・・・・・


 男の身長は約一七〇センチ前後。

 頭髪は短く揃えられており白髪交じりの黒髪であることや、身に着けている紺色の甚平から覗く手足や顔に皺が多いことからそれなりの年齢であることがうかがえる。

 だが年齢に見合わぬ、細く鍛え上げられた鋼の身体。

 日本人とは思えない灰色の瞳から放たれる刃の様な冷たく鋭い眼光。

 それら含めたその立ち姿から滲み出る隠しきれない強者の気配と絶対の自信。

 剣を握っていないのにも関わらずこの老人ほど『剣士』という言葉が相応しい者はいないかもしれない。

 そう思わせるほどの風格が老人には備わっていた。


 そんな老人の右斜め前方およそ一三メートルの位置にもう一人、汗まみれの少年の姿があった。


 少年の身長は約一七〇センチ。

 黒い頭髪は目や耳にかからない程度に切られてはいるが、汗と土などで汚れている。

 服装は上下共に青色のジャージで、右手に握っているのは刃渡り三尺と少しの打刀。先ほどの男の攻撃を回避したためか息が上がり、ジャージも少しボロボロになってしまっている。

 それでも少年には逃げ出すという選択肢は無かった。


 目の前老人ほど鍛え上げられた肉体はない。

 ――だがその身体には揺るがぬ力と経験が。


 目の前老人ほど鋭い眼光はない。

 ――だがその黒い瞳には強い意志と覚悟が。


 少年からは『負ける気は無い』という気迫と闘志が溢れていた。

 


 「オイゴラァアッ!! 今の避けれなかったら一〇〇パー死んでたろうがクソジジイッ!! てか初めて見たぞアレ!!」

 「大丈夫だ糞餓鬼ぃ、死なねぇように調整してあっからよ。まぁ当たったら『いっそ殺してくれ』って思うぐれぇは痛ぇぞ?だから―――――」


 言葉を発しながら老人―――最上厳十郎もがみげんじゅうろうは一歩踏み出し。


 「―――――気ぃ抜いてっと『死にたくなる』ぞぉ?」

 (――――ッ!? うし――)


 少年―――最上総護もがみそうごとの距離、約一三メートルをほんの一瞬で駆け抜けた。そして総護の背中に一撃入れるため懐からある『モノ』を取り出しそれで左肩から右脇腹へと斬りつける。


 厳十郎の移動を目で追うことはできなかった総護だが、背後から感じる厳十郎の攻撃の気配を何とか察知し、回避と迎撃を行うため全力で回った・・・

 厳十郎の攻撃を独楽のように文字通り身体を左回りに回転させて・・・・・受け流し、その勢いを殺すことなく右手に持っていた打刀を左手に持ち替え柄頭で殴りつけたのだが、掠りもせずあっさりバックステップで躱されてしまう。


 そして激しい攻防が始まる。

 厳十郎が繰り出す斬撃を逸らし、突きを捌き、蹴りを受け流す。

 そのどれもが必殺の威力を秘めているため、ほんの少しでも防御のタイミングが狂えばそこで総護の命は簡単に砕け散ってしまうだろう。

 だが総護もこの一〇年間遊んでいたわけではない。目の前老人やそれ以外の数多くの達人と戦い己を鍛え、磨いてきたのだから。―――――強くなると決めたあの日以降ずっと。

 

 「――――ッ」


 短い呼気と共に総護はサッカーボールを蹴るように靴のつま先で地面蹴り上げた。

 巻き上がる大量の土や草は正面の厳十郎に容赦なく襲いかかり視界を塞ぐ。だがそんなもの厳十郎にとって障害にすらなりはしない。

 すぐさま右腕を振い目の前の土砂を斬撃と剣風で払うが、前方にも周囲にも総護の気配を感じることができなかった。


 (となると上か下のどっちかだがぁ、さぁてどっから来るんだぁ?)


 一秒、二秒、五秒と経っても何の気配も感じることはなかった。


 (………まさか逃げたかぁ? んな奴じゃねぇが――――!?)


 思考に意識を向けた直後、気配も音も無く上から落ちてきた総護は厳十郎の背後に着地。

 その落下の勢いを乗せたまま頭上から股下まで一気に斬り下ろした。


 「おっと危ねぇ危ねぇ。今のはなかなかいい線いってたじゃねぇか」

 「そりゃ俺だって成長してんだよっ」


 それでも厳十郎の余裕の態度を崩すことは叶わず、またも躱されてしまう。そして再び激しい攻防が始まる。


 「つーか、いい加減そのふざけた『モン』変えさせてやらぁ!!」


 厳十郎はこれまで何百何千と総護と戦ってきたが、その中で一度たりとも剣などの武器は使用していない。

 しかし逆に厳十郎が使用するものは如何なるものであろうと武器になってしまう。

 そして今厳十郎が持っているのは『箸袋』。そう飲食店などで割り箸が入っている紙製の箸袋である。 

 だが侮ることなかれ、厳十郎が振えば紙で作られた箸袋ですら並の名剣名刀を軽く凌駕する切れ味を発揮する刃に変わる。


 『得物変えて欲しけりゃもっと強くなれぇ、儂に手加減させねぇぐれぇによぉ』


 昔から厳十郎が総護に言い続けてきた言葉ではあるが。たとえそれが手加減している攻撃だとしても、人の領域を軽く踏み超えた技量から放たれるのは――――まさしく『人外』の業。


 「やれるもんならやってみろぉ、餓鬼がぁ」 


 総護の攻撃を躱していた厳十郎が嗤った。次の瞬間、厳十郎の動きの質が突如上がった。


 「――ちょ!? はやっ!!」


 今までは移動の時のみ目で追うことができなかった。だが今は攻撃も速度が上がり、目で追えるギリギリになりつつある。

 それだけにとどまらず、技の鋭さも重さも増し、隙も減っていく。


 「どうしたどうしたぁ、この程度が限界かぁ?」

 「ッグ!!」


 総護は回避に徹するほかなかった。反撃しようものならその隙に首を刎ねられる、己の直感がそう告げている。

 それともう一つ直感的に感じたのは――――


 (ありゃ多分防げねぇ!!)


 ――――たとえ刀で防いだとしても刀諸共斬り裂かれる・・・・・・・・・ということ。つまり避け続けるしか生き残る道はない。

 仮に木を使い隠れたとしても己の視界を塞いでしまう上に、隠れた木ごと斬り捨てられて終わる。

 仮に厳十郎の間合いの外に出たとしても、飛ぶ斬撃の集中砲火で細切れになって終わる。


 (詰みじゃねぇかっ!!手加減してコレとかマジあり得ねぇだろ!?)


 厳十郎は現在その実力の一割もだしていない。手加減した状態であってもコレなのだから厳十郎の全力など計り知れないだろう。それはもはや『人』一人の戦力ではない。そんなもの―――


 「―――『化け物』じゃねぇかっ」

 「あぁ? そんなもん今更過ぎんだろぉ。あと褒めんじゃねぇよ、照れんだろぉ?」

 「褒めてねぇし照れんな気色悪ぃ!!」


 どうやらこの老人にとっては『化け物』という言葉さえ褒め言葉になってしまうらしい。総護は戦慄を隠せなかった。


 動揺しながらも総護は厳十郎の攻撃を避け続けた。そうしなければ反撃のチャンスすらやって来ないのだから。

 頭上からの一閃を半身になって躱す。脚とみせかけて首を刎ねにきた刃をスウェーで避ける。

 ただひたすら厳十郎の攻撃から逃げ続ける。逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて。


 ガクンと総護の体制が突如崩れた。厳十郎の攻撃から逃げることに集中するあまり足元への注意が疎かになっていたらしい。地面の窪みに足を捕られていた。


 (――――っやべ)


 もちろん厳十郎がその隙を見逃すはずもなく。


 「なかなか腕上げたじゃねぇかぁ。時間も無ぇし、いいもん喰らわせてやるよぉ」

 

 ―――――寸止めだから、しっかり見とけよ。


 そして無形の構えから『剣気』が爆発する。


 「最上十刀流壱ノ剣―――〝千刃〟」


 刹那、総護は己の身体に迫る『千の刃』が見えた気がした。


 時刻は四時五八分。

 朝の稽古が終わる二分前であった。

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