第八話 秋山紗江子
翌日登校するとクラス中がザワついていた。その理由の一つは夏野が登校してきたことだった。新学期から不登校だった夏野がいきなり登校してきたのだ。クラスメイトが注目するのも当然だった。そして、その夏野がたいして親しくもないであろう秋山と話す姿はクラス中を困惑させた。ただ、よく見ると千冬の時と同じく、ただ一方的に夏野が話しかけているだけの様だった。
「サエちゃんは話を聞いてると思う?」夏野と秋山の会話を見ながら千冬が僕に尋ねる。
「適当に流されてるだけだよね」
「だよね。なんで気付かないのかな」
すごく的確な意見だ。少し前の千冬に是非とも聞かせてあげたかった。
夏野が秋山さんとの話を終えて満足げな顔をして近づいて来た。
「ラクショーよ、ラクショー。すぐに俺らが友達だって信じてくれたよ」
僕と千冬は目を見合わせて同時に呆れた。
昼休みになって僕らは屋上で昼食を食べることにした。今日は珍しく僕ら以外の生徒はいなかった。昼食時の校舎の屋上は生徒たちの人気スポットでもあった。
僕たちは購買で買ったパンやおにぎりを頬張りつつ、秋山さんについてどうするべきか話し合った。
「みんなはサエちゃんについてどんなこと知ってる?」
「成績がいいことぐらいかな。部活にも入ってないみたいだし」
「俺もそんくらいだな。そもそも同じクラスになったことねーし」
「私もそうなの。趣味とか、好きなものとか、サエちゃんと話すキッカケになることが分かればいいんだけど」
「そういえば秋山の悪い噂、聞いたことないか?」
屋上には僕ら三人だけなのに、何故か夏野は内緒話をするように小声になった。
「どんな噂?」怪訝そうな表情をする千冬。
「俺もちらっとしか聞いてないけど、なんでも教師とアヤしい関係になってるとか、放課後エンコーしてるとか」
「そんなわけないでしょ!」
いきなり大声を出す千冬に、僕と夏野はただ驚くことしかできなかった。
僕もそういえばそんな噂を聞いたことがある、と話に乗ろうとしたけれどやめておいてよかった。
「サエちゃんがそんなことするハズない」
「俺も噂で聞いただけだから信じてるとかじゃねーよ」
夏野が千冬に責められて少し気まずそうにしていた。
「でもさ、やってないとは言い切れないんじゃない?」
「春人君までそんなこと言うの?」僕に対しては責めるというよりは、どこか悲しげな物の言い方だった。
「だってそうでしょ? 僕らが秋山さんを知っているといっても小学生のときの話だよ。それも大して覚えているわけじゃない。高校生になってからの二年間だって、何をしてきたかなんて詳しくはわからない。どんな人間だって五年も経てば変わることもあるんじゃないかな」
「それは――そうだけど、でも――」千冬は言葉に詰まる。
「千冬の言うとおり僕も秋山さんがそんなことをしているとは思えない。思いたくないって言った方が正しいのかな。だから僕たちはまず中学生の秋山さんを知る必要がある。もちろん秋山さんだけじゃない、僕たちの事もそうだ。現に中学生時代の千冬や夏野のことを全く知らないんだから」
「そのとおりだ春人!」
矛先が自分ではなくなったからか、夏野は大げさに拍手をして誤魔化そうとした。僕も夏野の案に乗ることにする。
「じゃあ夏野から。夏野は確か秋山さんと同じ中学校だったよね?」
「え? そうなの?」千冬が驚いた声をあげた。
この辺りの小学校を卒業した生徒の大半は近隣の公立中学校に進学する。その進学先は、生田東中学か、生田西中学かのどちらかだ。僕が東中出身で同じ中学でないとすると、秋山さんは西中の可能性が高いと思った。現に星野先生に確認したら、秋山さんは夏野と同じく西中出身であることがわかった。そして秋山さんだけではなく、四季も同じ西中出身だった。
「あ、ああそうだ!」僕の意図に気付いたのか、話を繋げようとする。
「秋山はあれだ、そう三年間別のクラスで、部活は確か――何部だっけ? まあ知ってるのはそれぐらいだな」
全く中身が無いことに、僕と千冬は肩を落とした。
「だってしょうがないだろ! そのときには仲良かったって記憶も無かったし、同じ中学だったなんて、今の今まで忘れてたくらい関りがなかったんだからさ」
「他に何か知ってることはないの?」
「他って――そういえば、あいつ中学時代も頭良かったんだよ。でも中学三年の頃だったかな、いきなり髪を金髪に染めて学校来てさ。学校中大騒ぎになったことがあったな」
中学三年生といったら高校受験に向けて大抵の生徒はおとなしくなる時期だ。秋山さんは何でそんなことをしたんだろうか。
「いくらテストの点数が良くても、受験シーズンに髪を染める生徒なんて教師から見たら要注意人物にしかならなかったんだろうな。結局俺たちと同じ並みの学力の高校に来たってワケだ」
毎回成績上位の秋山さんが僕らと同じ高校にいるのは違和感しかなかったけれど、今の話でようやく納得ができた。
「でもサエちゃんはなんでそんな大事な時期に髪なんて染めたんだろう」
「理由まではちょっとわかんないな。それこそ秋山本人に聞くしかないんじゃないか? 俺の知ってる話はそんなとこぐらいかな」
夏野は話すことに夢中になって自分の昼食がほとんど手つかずことに気付いて慌てておにぎりを口の中に放り込んだ。
「夏野自身の中学の話は?」
夏野は口の中が一杯の状態で質問に答えようとして盛大にむせ、しきりに胸を叩いた。
「俺はサッカー部に入って、それこそエースストライカーよ。スポーツ推薦の話も来たけど全部断った」
苦しそうな表情から一変、自慢げに自分のことについて話し出した。
「どうして?」
「そんなの決まってるだろ。強い奴は敵にいるから面白いんだよ」
あっけらかんと言ったその言葉はどこまでも夏野らしいと思った。
「春人はどうなんだよ。西中じゃないってことは東中だろ?だとしたら四季も一緒だったんじゃないか?」
「僕も四季とは全然関りがなかったから大した思い出はないよ。僕自身もそんなに話せることはないかな。成績も普通だったし、サッカー部に入っていたけど一年で辞めちゃったし」
「お前も何かされたのか?」夏野が心配そうな顔をして聞いてきた。
「僕の場合はただ飽きちゃっただけだよ」
ただ飽きただけ、そのときの感情を伝えるのは難しくて、当たり障りのない理由を言った。
「好きな事とかはあった? もしくは――好きな人とか」
「お、いい質問だな柊! なあなあハルト君。好きな子とかいなかったのかよ」夏野は甘えたような声をあげた。
「特になかったかな。好きな人っていうのもいなかった。本当に至って普通な中学生だったよ」
「なんだよ。春人だって大した情報ないじゃねーか」
夏野はそう言って僕の肩を小突く。
「普通に中学生活を送っていただけだからさ」
普通な中学生活。何が普通で何が普通でないか線引きはできないけれど、薄っすらとしか記憶に残っていないということは、きっと何も起きていなく、それは世間一般でみて普通のことなんだろうと思った。
「でもまあ、そりゃそーか。今の状況が特別だしな」
夏野は少し諦めが混じりながらも何か納得していた。
「千冬は? 中学校時代はどうだったの?たしか県外の中学に通ってたんだよね」
みんなの出身校を調べたときに、当然のごとく千冬の出身中学も調べていた。千冬は近隣の中学校ではなく、他県の中学校へ通っていたのがわかった。
「私も特にないよ。部活にも入ってなかったし、成績も並みくらいだったかな。パパの仕事の関係でまたこの辺りに戻ってくることになって――」
千冬が言いかけたところでチャイムが鳴った。
「また今度だね。次の授業は渡辺先生だから遅れると注意されちゃうよ」
千冬の言葉に僕らは慌てて屋上を後にした。
五時間目の授業中、どうしたら小学生のときに友達だったことを秋山さんに信じてもらえるか考えていた。夏野のときもそうだけれど、秋山さんは僕たちを覚えていない。記憶を思い出してもらうには秋山さんと深く変わる何かが必要だと思った。何においても当たり障りない答えが返ってくる現状では、千冬の言ったとおり何か取っ掛かりになるようなものが必要だった。
授業が終わったあとすぐに夏野が僕に耳打ちする。
「秋山の後つけようぜ」
「なんで?」夏野がどうして小声なのか分からないけれど、僕もつられて同じように小声で返す。
「だってさ、噂が本当かどうか気になるだろ?」
気にならないと言えば噓になるけれど、それだけの理由で後をつけていいのだろうか。
「なーに話してるの」
千冬が僕らの様子を見て話しかけてきた。
「ホラ、男同士の話だ。なあ春人?」
「何その言いかた。すごく怪しい」
明らかに焦る夏野に千冬は怪しんでいるようだった。夏野が話を合わせてくれとばかりに僕のつま先を軽く蹴った。
「この前出た人気のマンガを買いに行こうって話してたんだ。千冬も一緒に行く? 渋谷で限定販売だから、だいぶ並ぶと思うんだけど」
もう少しマシな嘘がつけなかったのかと、自分で自分を責めたくなった。
「私は用事あるから今日はパスかな」
秋山さんのことはどうするんだ、という千冬のクレームを予想していたけれど、意外とすんなり引き下がった。
「そっか。じゃあしょうがないよね」僕と夏野はそれとなく目を合わせた。
「嘘つき」千冬は僕の目を見て言った。
すぐに嘘がバレて目を泳がせた。背中から体中の水分が冷や汗として流れ出るような感覚に陥った。
「どうせ男子二人でエッチな本でも買いに行こうと思ってたんでしょ?」
「そんなこと――」
否定しようとする僕の口を後ろからは夏野が両手で塞いだ。
「それじゃあごゆっくりー」
冷ややかな目線を僕たちに向けたあと、千冬は一人教室を出て行ってしまった。
モゴモゴと口を動かし夏野の手を引きはがした。
「どうして否定しないんだよ」
「否定したらまた理由を聞かれるだろ?変に誤解をしてもらうほうがいいんだよ」
とても不名誉な勘違いをされて、納得ができなかった。
「それとも、柊にそんな勘違いされちゃ困るのかな?」夏野は意味ありげに聞いてくる。
そう言われると、別にそんなに困ることではない。けれど、何故か不に落ちない自分がいた。
ほら行くぞ、そう言って夏野が視線を送った先には教室を出る秋山さんの姿があった。
夏野と一緒に秋山さんの後をつけた。普通に歩いていてはすぐに追いついてしまうため、何歩か歩いては立ち止まり、また何歩か歩いては立ち止まる、それを繰り返しながら秋山さんとは一定の距離を保っていた。傍から見たらおかしな男子高校生二人組だ。
秋山さんは駅の改札を抜けると上りのプラットフォームへと向かっていった。
僕が改札を抜けようとすると夏野がいないことに気が付いた。慌てて夏野を探すと券売機の前に立ち尽くしていた。
「もう電車来るよ!」
「どこまで切符を買えばいいんだよ!」夏野は路線図を見ながら焦っていた。
「新宿! とりあえず新宿まで買って!」
僕たちはどうにかして秋山さんと同じ電車に乗ることができた。秋山さんがどこで降りるか分からないので隣の車両から秋山さんの姿を確認することにした。
「今どき電車乗るときに切符買うの?」
「昔はさすがにカード持ってたよ。遠征とかで使ってたからさ。ほとんど使わなくなったから財布から抜いたんだ。使わないカードとか財布に入れておきたくないからさ」
そう言って夏野は財布の中身を見せてきた。レンタルビデオショップの会員カード以外は入っていなかった。
「このカードは? 無駄なものじゃないの?」
「これは紳士のたしなみだよ」そう言って夏野は誇らしげに笑った。
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