第七話 真剣勝負
帰り道に夏野のことについて考えながら歩いていると、いつの間にか昨日来た教会の前にたどり着いていた。体の至る所に草や木の枝が付いているのを見て苦笑する。僕はあの険しい道を通っていることに気が付かないほど考え込んでいた。
しばらく教会を眺めていたけれど、この前のように記憶が蘇ることはなかった。辺りを見て回っても特に変化はなく、教会の扉を開けて中に入った。
軋んだ音を立てながら扉が開くと、中央には広い通路が祭壇まで続いていた。通路を挟んで左右対象に据えられた木の長い椅子があって、それらは腐敗によって朽ち果てており、長い年月使われていないことを意味していた。
一番前の椅子にどうにか座れそうな場所を見つけて腰をかける。
すでに日は落ちていて教会の中は薄暗かった。人気のない薄暗い廃墟のような教会。この場所を怖いと思うことはなく、逆に安心感すら覚えた。たぶんこの教会の中もよく知っていた場所なんだろう。
夏野には言わなかったけれど、エロ本の隠し場所以外にも様々なことを思い出していた。
小学校に入学してすぐに他のクラスと揉め事になった。理由は、休み時間中に中庭のドッチボールコートをどちらのクラスが使うかということだった。揉めたクラスのリーダー的な存在が夏野だった。どちらのクラスがこのコートを使うか、ドッヂボールで勝負することになった。
驚いたことに、リーダーの夏野は一番ドッヂボールが下手だった。それに誰が見ても分かるほど夏野は運動音痴だった。勝負は僕たちのクラスの圧勝だった。本来なら、それで終わるはずだったけれど翌日の休み時間にまた夏野は勝負を挑んできた。負けては勝負を挑んでくるの繰り返しで、いつの間にかお互いのクラス同士で勝負をするのが通例となっていた。夏野がだんだんと上達していくのに比例して、お互いのクラスの勝率が拮抗してきたときにクラス替えになった。
小学校三年になって、僕と夏野は同じクラスになった。元々ウマが合っていたのか、親しくなるのに時間はかからなかった。
あるとき夏野の家に遊びに行ったとき、夏野は両親について話してくれた。
「うちの両親は忙しいからあんまり帰って来ないんだよ。そのおかげで好き勝手できるからいいんだけどさ」
そう言った夏野の横顔は少し寂しそうだった。
考えるのを止め時計に目をやると二十時を過ぎていた。教会の中は真っ暗でスマホのライトを片手に出口へと向かった。坂道を下って駐車場を見ると不規則に動く光が見えた。なにか予感めいたものを感じて、その光りの元を確認しに行く。
僕が近づくと、その光は僕へと向けられた。
「春人君! こんなところで何してるの?」
その言葉はそっくりそのまま千冬へ返したいと思った。
「野暮用があったんじゃないの?」
「これがその野暮用」そう言いながら千冬は車の下をスマホのライトで照らしていた。
「何か探してるの?」
千冬は僕の質問には答えずに、車の下をスマホのライトで照らしている。
「もしかしてこの前失くした家の鍵?」
千冬はビクリと反応したあと、僕にライトを向けた。逆光で薄っすらと見えた千冬は少し悔しがっているように見えた。
「そうだけど、悪い?」千冬は何故か不機嫌そうだ。
「いや、悪くはないけど」
「たかがキーホルダーをこんな時間まで必死で探して馬鹿みたいとか、そんなこと思ってるんでしょ」
「そんなこと思ってないよ」
千冬はライトの光を僕から車の下に向けた。屈みこんで車の下を覗き込む。
「すごく大事なの。自分でも理由は分からないんだけど」千冬は呟くように言った。
その言葉を聞いて。千冬一人を残して帰ることはできないと思った。
「僕も一緒に探すよ」
千冬が探している場所から離れて、同じように車の下を探し始めた。何台か車の下を照らしたけれど、それらしい物は見つからなかった。
「もう大丈夫だから」いつの間にか千冬は僕の後ろに立っていた。
「探さなくて平気なの?」
千冬は道路の方を指さした。その先には車が止まっていた。
「パパが車で迎えに来てるから帰るね。春人君も一緒に帰る?」
年頃の女子の父親に、ましてやこんな夜に送ってもらうほど僕は愚かではない。千冬からの申し出を丁寧に断ると、なんとなく千冬の父親と居合わせたら気まずいと思い、誰に見られているわけでもないけれどキーホルダーを探すのを続けた。
なんとなくで始めたもののいつの間にかキーホルダー探しに夢中になってしまい、家に帰ったのは二十二時を過ぎていた。家に着くと父さんと母さんがリビングでテレビを見ていた。
父さんたちは僕が「ただいま」と言ったことで、帰ったことに気が付いたみたいだった。
「遅かったじゃないか。何してたんだ」「遅かったじゃないの。晩御飯の準備してるんだから遅くなるなら連絡してって言ってるじゃない」
父さんと母さんが同時に返事をした。
「ちょっとした用事だよ」
「なんだ。これか?」そう言って父さんが小指を立てた。
「そんなんじゃないよ」
父さんのくだらない冗談を笑ってやり過ごし、自分の部屋へと向かった。
部屋に着きベッドに腰かけて千冬の事を考えた。さっき父さんに言われたことで、余計に千冬を意識してしまっていた。もちろん僕は彼女が嫌いではないし、ここまで一緒にいたことを考えると、おそらくは好きな部類に当てはまるのだろう。それでも恋愛感情があるか、と聞かれると答えることはできなかった。
僕はリビングに戻り母さんが温め直したビーフシチューを食べていた。
くだらない冗談を言ってきた父さんは、何かを僕に言いたげだけれど、話しかけれない、そんな様子で静かにテレビを見ていた。先ほどのあまりにデリカシーの無い発言を母さんに注意されたんだろうと思った。
翌日、学校が終わってから千冬と一緒に夏野の家に向かった。
インターフォンを押すと「ちょっと待っててくれ」と夏野から応答があった。そのあとすぐにマンションから出てきた夏野はスポーツバッグを抱えていた。
「どこにいくつもり?」
「いいから来いよ」
そう言った夏野は不敵な笑みを浮かべたように見えた。
僕らが連れてこられた先は川に隣接している空き地だった。学校の運動場の様な砂利があり、大きさとしてはバスケットコートの半分くらいだろうか。なんとなくぽっかりと空いたその場所は僕には見覚えがあった。
小学校四年生の頃、僕ら小学校は一大のサッカーブームだった。一日の授業が終わると、我先にとグランドに集合してみんなで試合をした。学年はほとんど関係なく、人数も一応は均等に割り振るけれど、もはやサッカーではなく大人数で球を追うような遊びだった。
持ち前の運動神経のおかげで大した活躍もできない夏野は、試合が終わったあとに僕を連れてこの空き地で特訓をした。
最初はとてつもなく下手な夏野をからかってやろうと思っていたけれど、夏野が段々と上達してくると相手をするのが楽しくなり、自分と同じくらい上手くなってくると必死になった。それから幾度となく勝負をしていたけれど、それは突然終わりを告げた。
「お前が俺を抜けたらお前の言ってることを信じてやるよ」
そう言って夏野は僕にサッカーボールを投げた。投げられたボールを辛うじて足でトラップする。
「僕、今ローファーなんだけど」
「俺もだ」夏野は自分の靴を見せた。
あまりに自然すぎて気が付かなかったけれど、夏野は靴だけではなく制服まで着ていた。あくまで対等に一対一の勝負をしたいようだ。しばらく部活には出ていないにせよ現役の夏野と帰宅部の僕の時点で対等ではないという不満を感じたけれど飲み込むことにした。
向かい合った夏野は目を輝かせていた。この勝負に何かしらの決意みたいなものがあるらしい。そんな夏野を見て、勝負を断れる訳がなかった。最初は様子を伺っていたけれど、夏野はボールを取りに来る様子は無かった。あくまで僕に抜くに来いということだ。
仕方なく慣れないローファーで夏野に向かってドリブルをする。抜くことが出来ればいいのだから、真面目に一対一をする必要はない。ボールを夏野の後ろに向かって大きく蹴り上げ、そのボールを追った。夏野は僕の狙いを読んでいたのか、すぐに振り返り、僕よりも先にボールをトラップした。
「そんな簡単に抜けると思ったか?」夏野はそう言って僕にボールを寄こした。
しばらく夏野との一対一を続けたけれど、流石ほぼ現役の夏野だ、なにをどうしても勝てる絵が見えなかった。
「ちょっと待った」息を切らしながら夏野に交渉してみる。
「どうした?」
「この勝負逆じゃダメか?」
「俺が攻めでお前が守りってことか?」その言葉に頷く。
結果だけ言うと僕の判断は誤りだった。夏野はボールを上手くコントロールをして、僕のそばをすり抜けていった。明らかに自力の差がある、夏野の動きに翻弄されるばかりだった。
「お前が俺を抜くしかないんだよ」
僕自身もそう思ったけど、夏野に奮起させられているようで無性に腹が立った。
そこからは無我夢中だった。正直記憶のことなんてどうでもよくなっていて、どうにかして夏野を抜いてやろうと、そればかりを考えていた。靴擦れの痛みで動きがおかしくなりながらも、一対一を辞めなかった。
僕が足を痛めたことに気が付いたのか、夏野は奪ったボールを返さずに終わりを告げた。
「今日はもう終わりにしよう。また明日もあるからさ」
夏野の言葉は僕の過去の記憶を呼び覚ました。
小学生のある日、夏野はこの広場で僕に勝負を挑んできた。いつもよりしつこく勝負を挑んで来ては、いつもどおり僕に負け続けていた。そして、いつもどおりその日の勝負の終わりを告げた。
「今日はもう終わりにしよう。また明日もあるからさ」
「あと一回。それで駄目なら諦める」
珍しい事だった。いつもは納得して帰っていったけれど、そのとき夏野は違った。諦めきれない、そんな意思を感じた。
そう言って夏野は最後の勝負に挑んだ。
「あと一回。それで駄目なら諦める」
あのときと同じ言葉を僕は夏野に告げる。
今まで以上に大きく距離を取り、ドリブルを始める。
「さっき駄目だったのにまた同じ手か?」夏野は余裕そうに後ろに走ろうと構えた。
僕は大きく後ろへボールを蹴ることはせずに、ドリブルで夏野に近づいた。ボールを跨ぎ、踵と足の甲で背後から前方へとボールを浮かせた。
想定と違った動きに夏野は体制を崩した。綺麗な弧を描いたボールは夏野の後ろへとバウンドして、誰も触れることはないまま広場の隅へと転がっていった。
僕はボールを蹴った後に足を攣ってしまい激痛で横たわり悶えていた。久方ぶりに酷使した下半身は僕の思った動きにはついてこれなかったらしい。これは僕にも想定外だった。
「春人君!」
名前を呼びながら駆け寄って来るまで千冬の存在を忘れていた。それほどまでにこの勝負に没頭していた証拠だ。
夏野は僕の前まで来ると膝をつき、僕の足を取ると攣った足を延ばした。
「慣れない体で無理するからだよ」
そう言った夏野は何故だか嬉しそうだった。
「勝負は僕の負けかな」
言葉にしたときに悔しさが込み上げた。夏野の協力を得られなかったことに対するものではなく、ただ単純に勝負に負けたことを悔しがっていた。
「そうだな。大して知らない奴の言うことなんて信じない」
僕と千冬はお互いに目を合わせ落胆した表情を見せた。
「ただし、昔友達だった奴の話は別だ」
夏野は立ち上がり、僕に手を伸ばした。
「俺が最後に勝負に勝ったこと覚えてるか?」
もちろん覚えている。僕がさっきやった技は小学生のときに夏野がしたものだ。結果として夏野は僕を抜くことができたけれど、僕は夏野を抜くことができなかった。
「抜かれるときなんか嫌な予感がしたんだけどなぁ。正直、春人のこと舐めてたわ」
そんな言葉から始まった夏野の話は、明日の朝まで終わらないのではないかと思えるほどの勢いだった。僕らのドッヂボールの話からその他の出来事について、夏野自身も戸惑うほどに色々な思い出を語った。
夏野と話をしていく中で不確かだった僕の記憶がハッキリと輪郭を帯びていくのが分かった。
「それで、これから何するんだ?」夏野は僕に聞いた。
「秋山さんと四季にも協力してもらわないといけないと思ってる。もしかしたら僕らの知らない記憶を思い出しているかもしれないし」
「俺だって最初は何を気味悪いこと言ってるんだって信じられなかった。けど、なんか夢に見たんだよ。春人たちが家に来た日だったかな」
「もしかしたら僕たちが一緒にいることが記憶を思い出すことのキッカケになっているのかもしれない」
僕自身も始業式の日まで全く思い出すことがなかったのに、千冬と関わるようになってから昔のことを思い出すようになった。
「それなら、すぐにでもアイツらに確認しないとな」
「簡単そうに言うね」
「まあ俺に任せておけって。昔の友達のよしみだ、手伝ってやるよ」夏野は恩着せがましく、まんざらでもないような表情を浮かべていた。
そのとき、ずっと黙っていた千冬が僕の手を握った。突然のことに驚きはしたけれど、もう片方の手で夏野の手を掴んでいた。
「昔の友達じゃないよ。今もでしょ?」
千冬はそう言って僕らの手を握らせた。少し気恥ずかしさも感じたけれど、夏野が強く手を握る感触は、僕らの関係が本当にあったことだと思えるには十分だった。
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