第4話~御前試合の行方
城の廻廊の内側にある中庭には、普段よりも多く人が詰めかけていた。そのほとんどが勇者召喚されたコウと、王子アーレスの試合を見物に来た者達であった。もっとも半数以上はアーレスの取り巻きの若い女達で、前の方を陣取りアーレスに黄色い声援を送っている。
日よけ用の針葉樹が等間隔で植えられており、噴水を中心とし上から見ると、半径アーチのような観賞用の色とりどりの花が並ぶ区画もある。見る者を和ませる目的の庭園だが、一つだけ場違い的な区画がある。
2人が立つ固い地面の砂地の上がそれだ。
試合開始の合図を、デルタ王はすでにあげずてから30秒経過。
2人に間に一切の動きはみられない。
王子アーレスは中段に木の剣を構える。
対してコウは剣など持ったことはない。アーレスを前にし脅迫観念から反射的に八双の構え(野球のバッターの基本フォームに近い)をとった。
ただ単に野球をやっていた経験から、コウは構えたのだが――
「実に奇妙な構えですね。向かって来ないのですか勇者殿?」
「初めて触るからな剣。構えとか良く分かんねえし、適当だよ適当」
「ふふ、ご冗談を。先に言っておきますが、あの枠の石から先に出たら負けとなります」
アーレスが木剣で示す方向には、砂地よりほんの少し浮いた石枠があった。四角い形をしており距離にして30メートルくらいの広さがあると思った。
「へぇ」
「逃げたければ駆けこめばいいですよ、枠外にね」
「気が向いたら考えておく」
王子アーレスへの黄色い声援と、未だ一歩も動かない2人への野次。
声援の種類は半々であった。
熱をあげていく観客とは対照的に、コウも王子アーレスも意外なほどに冷静であった。
アーレスは幼少から毎日のように、剣の修練をしていたので腕に自信があった。
実力に裏打ちされた過信があった。
そして打算もあった。
仮にメサイア文献に記載されている、伝説の勇者になら負けてもしょうがないと思わせることができる。そしてもし勇者に勝てば、自分の実力をより分かりやすい形で示すことができる。メサイア文献の予言された勇者に勝った王子という箔をつけて。
アーレスが集めた、この城で働く取り巻きの女達にしてもそうだ。
女達の口から出る噂話の速度は、百里(約400キロ)を一夜にして駆けることだろう。
だから女達に模擬戦を見にくるよう声をかけた。
アーレスは薄く口角を上げ笑った。
この勝負、負けて失うものが大きいのはコウの方。
そしてアーレスは、もう一つこの模擬戦の中で工作を仕掛けていた。
コウはまだ、それに気がついていない。
案外、勇者も大したことはないなと。アーレスは内心ほくそ笑む。
最悪自分に負けはないと、確信をもつアーレスが先に動いた。
片手で木剣を持ちつつ助走をつけ、まず右へそして次に左へと、ステップ移動するのだがタメの時間が極端に短い。
通常、最大速度を維持しつつ二度連続で左右に飛ぶようにステップ移動するのは、普通の人間には不可能だ。
――あくまで、コウのいた世界の話ではあるが。
つまりアーレスのこの動きは、コウからすると異常だ。
格闘ゲームにいるキャラクターのような物理法則を無視した、半ば人間を辞めている者の動きであり、走りながら瞬間移動してくるような、人外の動きに見えた。
(……なんだ、ありゃ! はぇえ!? はええって!)
コウはすぐ目の前まで駆けてきた、アーレスの打ち下ろしてくる木剣を両手で受け止めた。木剣同士のぶつかる軽くて固い硬質の音が響いた。そして木剣とはいえ、両手で受け止めたその衝撃は重くコウは苦虫をかみつぶしたような表情。
喰らったらどれだけ痛いのだろうかと、頭の中で嫌な想像が駆け巡る。
「いい反応ですね」
とアーレスは、講釈を垂れる剣の先生のような口調で言った。
コウはなりふり構わず、木剣をアーレスの上段に向けて横から払った。
アーレスは上身体を弓なりに反らして避けた。
その表情にはかなりの余裕がある。
「惜しい、惜しい」と小馬鹿にした言葉がアーレスから飛んできた。
「では、これはどうです」
くるりと背を向けたアーレスは姿勢を低くし、そのまま半回転。下からコウの膝裏をすくい上げるように地を這う一撃。
「……あぶねっ!?」
咄嗟にコウは反射速度だけで、ジャンプして躱した。
自分では上手く避けれたと思った。
だが二の矢が待っていた。
アーレスはそのままもう1回転し片膝をつき、中段に流れるように木剣を振ってきた。この一撃は先ほどより恐ろしく早かった。
コウの脇腹に木剣はヒット。激痛を覚えると同時に、あばら骨の何本かがボキリと嫌なを音を立てる。呼吸がまともにできずコウは木剣をからんと落として、その場に両膝をつきうずくまる。
生きてきた中で味わったことのない痛みだが、それ以上の驚きが頭の中を占めていた。
アーレスが、コウのところまでに詰め寄った時間。
時間にして、およそ1秒――
コウの目測したところ、およそだが模擬戦の始まる前は距離にして20メートルほどアーレスと離れていたはず。
距離を20メートルとすると、20メートル×60秒=1200m
1200×60分=72000m
72000m÷1000=72km
……どうりで速いはずだ。
アーレスの移動速度は、コウが頭の中で計算した限り推定72km。
おそらくアーレスは馬よりも速い!
そしてもっと早く確実にコウを倒せたのに、獲物をいたぶるように手を抜いているのも理解できた。
やはり嫌なヤツだと、コウは強く思った。
「もう終わりですか勇者殿」
コウは苦悶に顔を歪めつつ、脇腹をおさえて立ち上がった。
「さあ剣を拾ってください勇者殿。私に遠慮などせずに本気を出してもいいんですよ」
余裕しゃくしゃくの笑顔で王子アーレスは語りかけてくる。もはや自分には万の一つの負けもないだろうと確信している表情でだ。
コウはそのアーレスを無視して、わき腹を抑えたまま移動する、ずるずる、ずるずる、と。身体をひきずり枠の外へ進んでいる。
対面してるアーレスは、毒気を抜かれたようにコウの姿を見ていた。そして戸惑っていた。軽く自分の剣技がどれほど通用するか試すつもりだったが、あまりに手ごたえがなさすぎた。コウの木剣に細工して二、三度打ち込めば折れるようにまで、布石を打ったというのに。
ようやく奥底から沸いてきた勝者の優越感に浸りながら、アーレスは大きな声で言う。
「勇者殿は戦うことより、逃げることがお得意のようだ」
待ち望まれた救世主たる勇者の姿とは程遠く、観衆たちが同意するように失笑をもらした。
「あれが本当に勇者の姿か」
「しっ。聞こえるだろアーレス様が強すぎるんだよ、文献の勇者といっても実際は大したことないってことだ」
「さすがアーレス様ですわ!」
「素敵ですアーレス様。やっぱり勇者など大したことありませんね!」
コウの耳には、お前は無力だと言う類の雑音が聞こえてくるが、気にはならなかった。
「勇者殿。まだ私は剣技の一つも見せてもらってはおりません、木剣を拾ってください」
コウは即座に機転を利かせた。
「っ……腹の調子が悪いんだよ今日は」
もちろん嘘。
気になるのは木剣を受けたあばらくらいで、コウは何一つ調子など悪くはない。だがこう言っておけば、この異世界に来たばかりだし、同情の余地を得られる可能性もある。
「負けた言い訳をするつもりですか?」
「次にお願いするぜ、体調が万全の時にな」
「では、私の勝ちということでよろしいですね、勇者殿」
「ああ。剣を一度も握ったことなく腹を下した俺に勝ったと、好きなだけ言って回ってくれ」
不服そうな表情をするアーレス。
もっと悔しそうな表情と、泣き言と愚痴を所望していたのに。
完全にコウを屈服させるつもりだったが、言い訳をたてられて再戦の要求までされては、これ以上の評価の上昇は見込めないのを悟る。
「よい。勇者殿はこの世界に来たばかりで疲れておるのだろう、今日はここまでとする」
王の一言で模擬戦はお開きとなった。満足そうな表情と溌剌とした声だった。そして一週間後に再度、コウとアーレスの試合をするという条件の下で試合は締めくくられた。
コウの元に飛ぶように、見習い神官のクリスティがすっとんでくる。
地面に膝をつくコウを、心配そうな表情で顔を覗き込む。
「勇者様っ大丈夫ですか!? おケガはありませんか!」
「いてて……骨やっちまったよ。治せる?」
「ほ……ほねですか!?」
なぜか声が裏返る見習い神官クリスティ。
「えーと……多分無理です」
「さっき治せるって、言ってなかった?」
「私に出来るのは軽いスリ傷くらいの治療で、あとは精神的なマインドヒーリングの方が得意でして」
はて、精神的なヒーリングとはなんだろう?
そんなことが出来るのなら現代なら教祖と呼ばれ、巨大な教団を立ち上げていてもおかしくなさそうだが。どんなものかイメージしたが、頭に絵が沸いてこなかった。
「私がやりましょう勇者様」
ラシャ司祭が傍に来て、コウの折れたあばら骨の辺りを手をかざす。
その手から白い光が零れて、コウのあばらの痛みが引いていくのだった。
数秒すると痛みは完全に消え身体を捻ったり、触ってみたがなんともなかった。
「おぉ……治ったし、すごいな」
「苦手だからと修練を怠ってはいけませんよクリスティ。神官の基礎魔法は回復魔法にあるのですから」
「はい。すいませんラシャ司祭」
「勇者様。色々と聞きたいこともあるでしょうし、私としてもお話ししたいこともございます。ここではなんですから神殿の方へお越しください。勇者様を案内して差し上げなさいクリスティ」
「かしこまりました」
「クソ。あの王子ヤロー」
コウは自分の拳を、もう片方の手のひらで受けるように叩く。
アーレスとの実力差に、天と地ほどの差があるのは明白。だがコウはかなりの負けず嫌いな性格で、散々に小馬鹿にされたので、このまま引き下がるのはどうしても癪にさわるのだった。
しかし、正面からやりあっては再び負けるのは、火を見るより明らか。
首をひねって対策を考えていると見習い神官のクリスティが、先ほど模擬戦で落とした木剣を持って来た。
なぜだろう、頼んでもいないのに――だ。
「勇者様。先ほどの木剣を持ってきました」
「さっきの剣か」
何で持ってきたんだろうという疑問は胸にしまい、コウは木剣受け取るとその場でポキリと折れた。真剣で一刀両断。真っ二つにしたような、綺麗な断面をコウの手に残して。
「わ……私が折ったんじゃないですからね!」
「見て分かるよ。普通はこんなに綺麗には折れない」
「じゃあ、アーレス王子の剣技が凄かったからでしょうか」
「それも違うな。事前に折れるように細工をしてやがったんだ。あんにゃろう!」
最初の真剣でのやりとりがそうだ。アーレスは自分に有利な武器を、さりげなく使おうとしていた。コウが指摘しなければ、真剣でかつ不利な状況で戦うところであった。
「アーレス王子は、そんな卑怯な工作をするような方なんですかね?」
「工作や小細工が大好きらしいぞあの王子は。レフェリーがいるならアイツは反則負けだよ。だが、おかげで誰が悪意をもった敵対者なのか良く分かった。次は勝つぞ」
勇者の称号や、どちらが強いなどの武勇伝には興味はなかった。
だがアーレスに負けたままいるのは、寝覚めが悪い。
次は絶対に勝つと、コウは強く誓うのだった。
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