第2話~疑いの予言
謁見の間の騒々しさは増していく。コウがメサイア文献に予言されている勇者かどうかを、ラシャ司祭と王達とで討論を始め、緊張の緩んだ兵士達はひそひそ話を隠すつもりがない。
みな、好き勝手に話を始め収まりがつかない。
兵士達のひそひそ話は、嫌でもコウの耳に飛び込んできた。
すぐ近くにいるので、ひそひそ話にしては大声すぎた。
「どこの国の服なんだ?」
「……強そうには見えんが」
「バッカ。勇者だぞ、ああ見えて強いに決まってる」
「俺、なんとなく勝てる気がするんだが」
「バカ言え、お前じゃ秒殺だ」
(……まったく。俺は動物園の珍獣になった覚えはねえんだけどな)
ふと横を見る。
コウの隣にいる、落ちつきのなさそうな見習い神官が借りてきた猫に見えた。ここにいることを受けいれているコウよりも、不安そうな顔をしているから、話かけやすかった。
そして気弱そうに見えるが、けっこうな美人だ。
「あのね。聞きたいんだけど、メサイア文献て何?」
「えと……ですね、勇者様と共に行動した魔術士メサイアが記した書です。魔術士メサイアには未来を予見する能力があると言われてるんです」
まだ緊張してる様子だったが、見習い神官の口から出る言葉は実に滑らかだった。「へぇ」とコウは小さくあいづちを打つ。
文献に載っている勇者と聞かされても、実にどうでも良かった。
このままでは、せっかく立てた予定がブチ壊れだ。
早朝の時間を犠牲にし新聞配達で貯めた金で、自由気ままな一人旅行に行く予定だった。
高校の夏休みも目前で、ドラフト指名の可能性もワンチャンあったというのに。
とコウは勝手におもっていた。
「ところで俺さ、元の国に帰りたいんだけど帰れる?」
「えぇッ……!? 帰る……? 帰っちゃうんですか!?」
懇願するような眼差しで、コウを見つめる見習い神官。
なぜか今にも、泣きだしそうな表情をしている。
それにしても一学生の自分が勇者など、何かの間違いなのではなかろうか。
期待に応える言葉も義理も見つからず、居心地の悪さを感じながらコウは返す。
「そうは言っても別に義理も何もないからなぁ。俺じゃなく他の人呼び出したらどう?」
「……残念です。帰る方法は私には分からないので、ラシャ司祭様かデルタ王に訊ねてみるといいと思いますよ」
力ない言葉で見習い神官は返した。
「そっか」
(……つってもなぁ)
コウはデルタ王と、ラシャ司祭の方に視線を向ける。
「――しかしこれまで何度も儀式を行い、はっきりと召喚できたのはこれが初ですよデルタ王」
「そうだラシャ司祭。民の多くは生き抜くことに精いっぱいで、勇者召喚は世界が望んだ悲願でもある。だがメサイア文献に照らし合わせるのなら、勇者は水場に現れるはず。なぜ風呂場とメサイア文献には書かれなかったのか?」
「いえ、そうではないのですよ王。姫様の風呂場に現れる勇者など、後世に文献を見た誰が勇者と信ずるのでしょう? おそらく水場と書くしかなかったのですよ魔術士メサイアは」
「ですが、この国で勇者が召喚される水場といえば、普通は儀式を行う神殿の【月の間】のことを指すのでは?」
「私もそう思っていました。そこは勇者様に直接聞いたらいいではないですか」
「そうだな。本人に聞いてみるのがてっとり早い」
王達の視線が、ようやく主役であるコウに向けられた。
「静まれぃ!」
遅すぎる王の号令で、ようやく謁見の間に本来の静けさが戻った。
王達の瞳には、特別な期待が込められているようにコウは感じた。
「勇者殿は何か、特別な力をお持ちかな?」
さっきまでとは打って、変わって優しい声色で問いかけてくるデルタ王。
コウはそれにいらだちを感じながらも、自分より目上の者なので丁寧な口調で返す。生殺与奪を握られているという理由もあるので慎重にならざるを得ない。
「いえ全然」
手をひらひらと振るコウ。
ラシャ司祭が問いかける。
「では魔法が使えるのですか?」
「魔法? 簡単な手品なら少しできますけど」
今度は首を左右に振り否定。
「で……では剣技などは? 剣が得意など槍に長けているなどの、武芸の特技をお持ちかね?」
どことなく焦って、助け船を出すように大臣が切り出した。
まさか勇者召喚された者が、戦闘技能ゼロなどこの場の誰が思うだろうか。
「はっはっはっはっはっ! 割りばしとゲームのコントローラーと、野球のバットくらいしか持ったことないですよ俺」
遂には自虐的に笑い出したコウとは対照的に、この場にいる者達の期待は急速に冷えて冷やかな視線がコウに向けられる。若干引かれているのを察し、コウは笑うのを止めた。
この巨大すぎる謁見の間は、引いていく波のような静寂で満たされていたから、質問はしやすかった。
「ところで俺。自分の国に戻りたいんですけど、どうすれば戻れるんすか?」
王と大臣とラシャ司祭が目を丸くした。
勇者が帰りたいなど、メサイア文献にも載っていない予想外のことを言うものだから。
「勇者様は……元の世界へ戻りたいのですか?」
最初から勇者への期待値が上限突破しているのだろう。ラシャ司祭が怪訝な表情で問いかける。コウは想像以上の期待値の高さに、若干のとまどいを隠しながら答えた。
「ええ、まぁ旅行の予定もあるんで。夏休みもつぶれそうだから遠慮します。他当たってくださいよ」
勇者召喚された人物は、世界のために不惜身命で自分の命を削る者だと王側の誰しもが思っていた。だからコウの言葉はえらく身勝手に聞こえるし、空いた口が塞がらない。
反対にコウの立場からすると、ありがた迷惑もいいとこで、さっさとこの世界から帰りたい一心だけだった。
「ゆ、勇者殿」
「はい」
「言いにくいのですが、その、元の世界への還し方が分からないのです」
大臣が汗をぬぐうようにハンカチで顔を拭く。
コウが眉間に力を入れると、大臣はより困った表情になった。
「……はい?」
「それにメサイア文献には勇者殿が世界の危機を救うともあるので、てっきり我々としては……この世界に留まるものかと」
苦々しく弁明する大臣に、コウの笑顔で作られた表情が、ぴきぴきと崩れていった。
「勝手に呼び出しておいて帰る手段もナシ、ロクな説明もなく世界を救えと? なるほどこれがブラック企業の実態てやつですか。なるほどね」
ため息をつき、ふてくされた態度で吐き捨てるコウ。
コウの言ってる皮肉の内容を理解する者は残念ながらいなかった。だが明らかにコウが怒っているのは見てとれた。
謁見の間にいる者達は困惑する。
「自覚がないのなら、勇者かどうか確かめたらいいではないですか」
均衡を破る声が聞こえてきたのは、謁見の間の外からだった。
外側にピンと跳ねた、金髪の若い男が歩いてくる。
白く長いサーコートの下にチェインメイル(鎖であんだ鎧)を着ており、歩く度に金属のガチャガチャこすれる音が聞こえる。
若い男はコウを一瞥し、
そのまま王の前に進んで行った。
「アーレスか」
「父上。私に勇者殿と手合わせする機会をいただきたいのです。勇者殿なら相応の実力をもっているはずです。分かりやすいでしょう古臭い文献よりも、よっぽどね」
言い終えてアーレスは、後ろにいるコウと見習い神官に視線を向ける。
自信に満ち溢れた喋り方で、どこが傲慢さを含む喋り方だとコウは感じた。
「どうかね勇者殿。どうかその力を我々に見せてはくれまいか?」
「――それは」
「そうと決まれば話は早い。ぜひ城の者にも勇者殿の勇士を見ていただきましょう、今日は暑いから陽避けできる城の中庭がよろしいでしょう、さっそく現場の手配しておきます」
アーレスが勝手に話を進める。
コウは一言も、『はい』とは言っていない。
(おいおいおい! なんか勝手に話進めてるし!? 何も言ってないよ俺まだ! 難聴かコイツ!?)
アーレスはウインクするように、片目を吊り上げ不敵な笑みを浮かべて去る。
「楽しみにしてますぞ勇者殿」
と言い王や大臣達に続き兵士達も去って行った。
それは、コウにとっては呪縛の言葉であった。
ポツリと謁見の間に残されたのは、コウと見習い神官だけ。
「よろしいんですか勇者様。アーレス王子は剣技の達人だと城内で噂の方ですけど」
「俺さ、一言も了承してないんだけど」
「ですよね。一言も言ってないのに」
コウは少しばかり安心を覚えた。
この子は難聴でなくて良かったと。
「俺を呼び出したのアンタだっけ」
「はい」
「名前は?」
「クリスティです」
「じゃあクリス。アンタに頼みがある、とても重要なことだ」
「わ、私に出来ることなら頑張ります」
「――腕のロープ、解いてくれないか」
「……すいません、気づきませんでした」
クリスティは小さなナイフを取り出してロープに切りこみを入れる。こういう作業には慣れてないようで危うくコウの窮屈な腕も切りかけた。コウはようやく自由になった身で首を左右に曲げた。ぽきぽきと小気味の良い音がした。
「この後、中庭に行くんですか勇者様?」
「乗り気じゃないけどね一応行くよ、脱走も多分不可能だろうしさ」
「もし勇者様がケガをしても、私これでも一応神官ですから治してみせます」
「はは。せめて死体にならないよう頑張るよ」
(……逃げれる流れじゃねーなこりゃ。やれやれ)
—―—―
—―—―—―
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王と大臣は肩を並べ、城内の廻廊を歩いていた。
城内には光が差し、歩く二人の影を後ろへ長く伸ばしている。
「まったく面倒なことになったな大臣よ」
「そうですね。国の天秤を傾ける勇者など、現れなければ良かったと思います」
「声が大きいぞ大臣。正直勇者の実力などどうでもいい。こたびの勇者召喚の功績で、神殿側の権力が強大になるという、不都合な事実を我々は突きつけられた」
「そもそも文献の記述は本当なのでしょうか? 私は常々疑問に感じていたのです、もしかすると、どこにでもいる幼子が夢で見た冒険譚が書になった可能性もあるのでは、と。数百年という時は妄想を現実に変えますから」
「我々は幼子の日記に数百年も翻弄されているワケか。それでは首切り役人ではなく、幼子をしかりつける乳母が必要だな」
王は冗談のつもりで返したが、そんな可能性も少し頭の片隅にあったので笑いはしなかった。
「幼子は将来有望な文豪になるでしょうね。しかられなければ、の話ですが」
「予言者はみな筆の上手い文豪だよ大臣。100年ほど前にか誰かが一部を改竄したとの学者の説が濃厚だ。今残ってるメサイア文献はそもそも写本だ。だが年月を重ねた歴史がある、そして権威がある。権威の前に人は喜んで頭を下げる生物だからな、実にやっかいなものだ」
「では、どうするおつもりで?」
「アーレスは勇者に憧れておってな、まずアレが勇者に勝てば良い。勇者が無力で使いものにならない偽物だと民衆に知らしめるのだ」
「では勇者が本物の実力を備えていたら、どうされます?」
「ほどほどに活躍してもらった後で消してしまえば良い。歴史の表舞台から消えてしまえば後はどうとでもできる。それによって我らの権力は守られる。後はメサイア文献を拡大解釈しアーレスを勇者として祭り上げる」
「では、そのように取り計らいます」
「うむ。だが意外に、勇者が本当に弱いかもしれないぞ大臣よ」
「我々は特等席で見させてもらいましょう。我々の期待通りの強さである勇者に。それを酒の肴にしながらね」
王と大臣は薄く笑い、回廊の奥へ消えて行ったのだった。
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