怠惰な勇者の異世界の歩き方~勇者様とわたし団

横浜のたぬき

第1話~勇者は王女の風呂場に現れる


「はよーっす! 聞いてくれ諸君、昨日さ150キロのバッティングマシーンでホームラン打っちゃって—―そろそろドラフト指名くるんじゃねえの? 俺、野球部入ってないけど……てっ、あれ――?」





 今年大学受験を控えた高校3年のコウ。




 彼は、意気揚々とバッティングセンターでのいきさつを語りながら、高校の教室のドアを開け右足を踏み出す。



 ところが一歩、コウが教室の中に足を踏み入れた瞬間。




 視界がぐにゃぐにゃにゃと歪み、平行感覚を失ったような眩暈を覚え少しふらつく。


「あれコウは?」


「さっきドアのとこいたよな?」


――

――――

――――――




視界が定まると、目の前には上半身が裸で年頃の女の子がバスタブの中に入っていた。






 風呂場の中は湯気が立ち込めており、軽やかに鼻歌を女の子はまだコウの存在に気づいてないようだ。




 7畳ある自分の部屋くらいの広さはあるな、とコウは思った。




(そして、西洋風のフロだな)




 ……考察すべきはそこではない。


 さっきまで自分は教室にいたのに、どうして誰かの家の風呂場にいるのだろう。


教室が丸ごとなくなるイリュージョンに、口を開けたままフリーズする。


ドッキリ、イタズラ、トリック、幻覚、夢、神隠し、フェニックス幻魔拳による攻撃、UFOに攫われた……。




 パッと思いついた可能性は、

どれもこれも現実味がまるでなく第一、手が込みすぎている。




 ニヤニヤとネタバレを打ち明けに来る同級生の気配もない。舞台も仕掛けも高校生のドッキリにしては大がかりすぎる。昨日は8時間寝た。睡眠時間は十分足りてるし、頬をつねる儀式も必要もないくらいだ。



年頃の娘は闖入者の存在に気づき、のんきな鼻歌を止めた。


 そして、静止したままコウを凝視。


 2人の視線はようやく互いを捉えた。

 初めて見る世界をその瞳の中に入れたかのように、不思議な表情をした娘は――


 当然のように、上半身を両腕で隠し背を向けて、あらん限りの叫び声。






 コウはとてつもなく焦った。

 冷や汗が額と背中から流れるのを感じながら、言い訳を試みた。




「待って! そのっ、俺は見ての通り急にワープして来たんだよ……これはきっとフェニックス一輝の……」



 コウが説得を試みようと1歩近づく。




「近寄らないでっ!」




 バスタブに張ったお湯を木の風呂桶でかけられ、コウの跳ね気味の前髪が額にべったりとくっついた。




「まだ朝だぜ、フロの時間には早ぇよ。まず……俺の話を聞いてほしいんだが」




苦笑いを含ませながら頬を指でかくコウ。

その時、コウの後ろの扉が勢いよく開かれた。


 皮の長靴を履いた兵士が2人ほど入ってきた。




 上には白のサーコートを着ており、サーコートの中には鎖かたびらが見えた。

 そして、先端が短めの槍を抱えるように持っている。



はて? いつから学校は警備員でなく、衛兵を雇う方向にシフトチェンジしたのか?

それにコスプレにしても随分と本格的だ。


「姫様! 何事ですか!?」



「はい、姫……? なんかのサークル?」



コウは学校のオタクサークルの、女子の誰かだと思った。

アセンション研究会辺りの会長か何かだろう。

警戒心の強い普段のコウならすぐ気づくはずだが、まだ昨日のホームランの熱に浮かれており。



「この痴れ者がここに侵入してきたのです!」



「おのれ不届きなやつめ! 両手を挙げ膝をつけ!」




「違うって! 俺は侵入とかしてないから!」






 聞く耳をもたぬ兵士達は両端から、槍を交差するようにコウの首元へつきつける。




 そして座れと圧力をかけられる。膝を折り正座するような姿勢で、風呂場の床に膝をつく。ブレザーのズボンは水を吸い、なんとも気持ちの悪い感触を、ひざの裏から感じるのだった。




 コウはあっという間に、兵士に縛りあげられた。




 ワケも分からず、縛り上げられる状況になったコウは不満顔。



 まさか異世界転移……そんなはずないよね。

 とありそうな可能性を排除した。


 そして、ふて腐れながら歩いていると。



「さっさと歩かんか!」






「いてて、いてーって引っ張んなよ! くそー……人権侵害だ! 縛りプレイなんか俺は頼んじゃいねえぞ! あとで少額訴訟するから覚えておけよ!」



と法的に訴える方向に思考をシフトした。




 縄で両手を後ろに縛られた挙句、上半身までロープで何重かのぐるぐる巻きにされた。どうにか力で解こうと抵抗を試みたが、縄の締め付けがキツクなる一方だ。両端の兵士が縄の先端を持ち先導されてるこの状況、コウは抵抗を諦めた。




少しばかり沈黙が訪れ、兵士の一人がコウに質問を投げかけてた。




「ところで、どうやって侵入したんだお前?」



 会話をすれば少しは空気もほぐれる。




 少し自分の印象を良くしておこうと、最悪な気分を抑え、なるべく明るい声でコウは返した。




「それが気づいたら風呂場だったんだよ。こういうことってある?」



「真面目に答える気はないか。どのみち城への不法侵入、そして姫様を手籠めにしようとした。これは重罪は確定だぞ」




「王は姫様を溺愛していらっしゃる。その姫に狼藉を働こうなどと、城から無事では帰れんぞお前」


姫? マジモンの姫?

ようやくコウは察した。

多分、ここは異世界に違いないと。

それなら全ての合点がいく。


「……マジで? 離してくれー俺は国に帰るんだー!」




「黙らんか!」




 ――――


 ――――――






 会話もなくそのまま兵士に連れていかれたコウは、自分の背丈よりも大きな扉の前に連れていかれた。扉は金色のツルが天に伸びるような模様で、観音開きのようだった。




 扉が奥から開かれると目を丸くした。




 天井はコウが今まで見たことのないほどで、狂気を感じるほど高く、広い空間の両端にある長く赤いカーテンは閉じられている。赤いじゅうたんの上を歩かされ、コウは身動きの取れない状態で兵士に乱暴に放るように突きだされた。




「いてっ!」



「この者か?」






 低い段差の上からイスに座る男はコウを見下ろし、静かだが威厳のある声で言った。




 イスは三角形の突起が3つある構成で、中央が一番長く両端が短い。




 間違いなくこの城で一番偉い王だろう。


 その横には眉を八の字にし、口にヒゲを蓄えた王と同じくらいの年の男がいる。




 人を疑うことに、抵抗がなさそうな顔だとコウは思った。






「はっ。姫様の風呂場に侵入した狼藉者です」






「どうやって城に侵入した?」不機嫌そうな顔の王が言う。








 疑いの余地もなしに犯人扱いされ、コウの気分はますます重くなった。普段のコウならこの巨大な城の間を見たら関心することだろう。だが現状では天井の高さや広さは、慰めになりそうにもない。






 ここでウソをつくのは簡単なこと。

 この後は根彫り葉ほりと、色々と聞かれるだろう。

 侵入経路、動機、出身や身元を十中八九問われ、答えに窮するだろう。




 ならばバカ正直に言った方が、良心を評価され解放してもらえるのではないか?

 コウは道徳的にそう思って、少し間を置いて答えた。






「学校の教室からワープしてきました」








「ワープだと? くっくふふふふふ……この者笑わせよるの、のう大臣?」






「そうですな。デルタ王、見た目によらず気骨がありそうですな」






「城の中は全部見たか?」






「いいえ」




「では、とっておきの場所に案内してやろう。こやつが喋るか骨になるまで牢に閉じ込めておけ」










「ええっ!? ちょマジで……!?」






 途端にコウの顔が真っ青になり、不安そうな顔で王を見た。




 助けを求めるような視線を送る。


 だがもう興味を失くしたように王は手を二度払い、この場から去れと仕草をとる。






「さあ立て。牢屋がお待ちかねだぞ!」




 コウは兵士に両脇を抱えられ、強制的に立たされた。






「ちょっと待てって! 俺はワープしてきただけであって悪気はないんだよ!」



「まだ言うか!」






 隣りにいる兵士がコウを槍の底で打とうとした――




 その時――




「お待ちください」






 入り口の扉から初老の女と、それに付き従う若い女が入ってきたのだった。






 白と青を基調とした服で、頭にかぶっている細長く丸型の帽子が僧侶か神官ぽい格好だと思った。






 初老の女は額や口元にくっきりしたシワがあり、髪は全て白く王よりも年上に見えた。それでも口調や表情から品が良さそうな印象を受ける。年を重ね熟成された人間の品性ようなものが漂っていた。






 反対に後ろにいる若い女は、伏し目がちでここにいることに居心地の悪さを感じていそうだ。




 コウや王や大臣、兵士たちをちらちら伺っている。そして狂気じみて高さのある天井や、じゅうたん、数々の調度品を見て落ちつかない様子だ。




 コウはなんとなく、同じ場違い仲間のような親和性を若い女に感じた。








「ラシャ司祭、どうなされたか?」








「その者の処分待っていただけませんか。神殿の司祭以上にある刑罰に言及する権利、ここで使わせていただきますよ」






「むぅ」王は不服そうに唸った。




「噂を聞きつけ、急遽こちらへ来たのです。その者もしや、メサイア文献に記された勇者様では?」








 王は驚き、横に控えている大臣も同じ驚愕の表情を張りつけている。








「それは……あり得ぬぞラシャ司祭」






「そうですとも。勇者の威厳もなさそうだ。それに眩い白銀の剣も鎧もお持ちでないし、強そうにも見えませんな」大臣はコウを見下しながら言った。










「立派な剣と鎧を纏う者がみな勇者なら、世界はもっと平和だと思いますよ大臣。それに、メサイア文献の序文にはこうあります。照りつける、火の月の日、たゆたう水場に勇者現る。このように書かれております」






「では、この者があのメサイア文献の勇者だと言うのか!?」王は目を見開いて言った。








「ラシャ司祭が、この者を召喚されたのですか?」








「いえ、私ではなく」






 ラシャ司祭は、後ろにいる若い女に視線を向けた。






「そっ……その私が召喚しました」




 と言葉のあとに「スミマセン」と、消え入りそうな声で小さくつぶやく。


 その首はますます下に向いて行く。






「ふむ。随分と若いが、ラシャ司祭の愛弟子かね役職はなんだ?」




「その……」




 なんとなく言いずらそうなのを察し、ラシャ司祭が代わりに答えた。






「この子は神官見習いです。ひっそりと勇者召喚を試してみたら成功してしまったのです」






「……なんと!?」






「……見習いが勇者を召喚するなど、国の歴史を振り返っても前代未聞ですぞ」






 王は脱力の声をあげ、大臣は否定的な声色の調子で言った。この場にいる兵士達もひそひそと囁き、この葉のかすれるような声で、謁見の間は満ちる。








 この場にいるコウも、なんとなく自分が巻き込まれたということを理解できた。




 王は大臣と何やら真剣な様子で話し合っているし、兵士達も会話に興じているので、コウは両手を縛られたまま近くにいる見習い神官に話かけた。








「なあ、さっきから勇者が召喚されたとか言ってるけど何のことだ?」




「その……急にお呼び立てしてスミマセン。勇者様」




「勇者? もしかして……俺のこと言ってる!?」




 見習い神官は首を二度、縦に振った。






 ようやく事の重大さに気づいた、コウはひきつった顔で笑った。








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