目が覚めたらシリーズ
西沢陸
第1話:目が覚めたら翼が生えていた
目が覚めたら翼が生えていた。
片方直径一メートル程度の、まるで神話の絵画に登場する天使のような純白の翼。それが私の肩甲骨のあたりから生えている。
ベッドの上には、翼が生えた勢いで吹き飛んだであろうお気に入りのパジャマとブラの残骸が落ちていた。
さて、どうしよう。お分かりの通り、今の私はおっぱい丸出しである。これでは仕事に行けない。一応、上司には体調不良とだけ伝えて休みを頂いたが、やっぱり病院に行った方が良いのだろうか。でも、何科に受診すべきか分からない。そもそも人間の病院で大丈夫なのか? 獣医の方が合っているんじゃないだろうか。ていうか、今の私は人間か鳥、どっちに分類されるんだろう。念のため、同じ症状の人がいないかネットで調べてみたがヒットなし。とある知恵袋にありのままを書き込んでみたら、「妄想を書くな!」と怒られてしまった。
ジッとしていてもラチが明かないので、とりあえず私は一番近い総合病院に向かうため外に出た。本当は救急車に搬送してもらおうと、119に連絡したのだが、「翼が生えたので助けてください」と言ったところ、「貴方みたいな人のイタズラ電話に時間を取られて、本当に助けがいる人を助けられなかったらどう責任を取ってくれるんだ」と、お説教を受けたので断念した。
仕方ないので、徒歩で病院に向かっている。服は翼の部分に穴を開け、強引に着た。人間、本気を出せば大抵の事はできるものだ。
しかし、残念ながら翼を折りたたむ事はできなかった。どうやら、この翼にそんな機能はないらしい。なので、私は今、とても目立っている。と言っても、翼が生えた人、としてではなく、ハロウィンでもないのに仮装している痛い奴という感じでだが。
中には、無断で写真を撮っている奴らもいて、芸能人がこういう事に不快感を示す気持ちが少しだけ理解できた。
いっその事、飛べたら良かったのだが、残念ながら私は鳥でもましてや天使でもないただのアラサー間近のOLでしかないので、空の飛び方など知らない。
だから、私は翼を引っ提げ、黙って歩き続けた。
いつもなら写真を撮って、速攻インスタにあげたくなるぐらいの美しい夕日も、今日ばかりは恨めしかった。
結果は散々だった。病院をたらい回しにされた挙句、精密検査までしたが、何一つ進歩はなかった。
藁にもすがる思いで、動物病院にも足を運んでみだが、同じだった。私は「私を診察して欲しいんです」と告げた時の獣医のポカン顔を一生忘れないだろう。
夕日に背を向けて、私はトボトボ帰路に就く。
明日からどうしよう。もうこのまま生きていくしかないのだろうか。仕事場になんて説明しよう。絶対に今までと同じ扱いは受けないよね。両親はどんな反応をするだろうか。驚くかな、悲しむかな、流石に喜びはしないだろうけど、悲しまれるぐらいならそっちの方がマシだ。
子供の頃、翼があればいいのに、って何度も思った事がある。これは私だけじゃなく、蝋の翼で飛んだイカロス然り、有史以来、多くの人間が、翼というものに憧れを抱いてきた。
だけど、いざ翼を手に入れてみると、邪魔以外の感想が浮かばない。服もまともに着れないし、悪目立ちもする。せめて空を飛べたらまだ救いもあったが、相変わらず空の飛び方は分からない。あと、地味に羽が抜けるのがうっとうしい。
「はあ……」
自然と重いため息が零れる。
私が憂鬱に身を吞まれながら顔を隠すようにうつむいて歩いていたら、
「火事よ!!」
と、悲鳴にも似た叫びが耳をつんざいた。見ると、確かに集合住宅と思わしき建物が炎上していた。住宅の前には、野次馬たちが群がっている。
消防も救急もまだ来ていない。いつもの私なら、消火活動の邪魔になるので、すぐにお暇するところだ。しかし、今日は精神的に参っていたのもあって、つい野次馬に混じってしまった。火事に見惚れてしまっているのか、野次馬たちは誰も私の事など気にも留めない。不謹慎だが、今は少しだけそれが心地良い。
再度、現場を深く観察する。住宅は十階建てで、火元は恐らく、九階の中心辺りにあるあの部屋だろう。それが階をまたいでどんどん燃え広がっている。
うわぁ、これは火元になっちゃった人、火災保険に入ってなきゃ悲惨だぞ。私が他人事のようにそう思っていると、
「いやぁ!! 離してぇ!」
野次馬の中からそんな声が聞こえてきた。声の主は、私と同い年ぐらいの女性で、何やら複数の人たちに取り押さえられている。
「あの中に、息子が取り残されるの!! お願いだから行かせて!」
そんな女性の懇願を、取り押さえている人たちの一人、多分旦那さんだと思わしき人が「ダメだ」と首を振って拒否した。
「お前まで死んでしまう」
と、告げた旦那さんの顔も辛そうだった。
「うぅ、誰か……、あの子を助けて」
声を震わせながら訴える奥さんを見て、野次馬たちは息を飲んだ。そして、サッと夫婦から目を逸らす。私もそれに倣った。
あの火の中に見ず知らずの子を助けに行く? ムリムリ、ありえない。バカじゃないの。確実に辿り着く前に黒焦げになる。空でも飛べて、窓から侵入できるなら話は別だろうけど。
……いやいやいや、今何考えた私。ないないないないない、第一私は翼があるだけで飛べないし。うん、飛べないなら仕方ないよね。
「お願い……。誰か……」
……そう、仕方ない。
「私の、唯一の宝物なんです……」
……仕方……ない。
「誰か……、誰か……」
…………ああ、ちくしょう!
「ねぇ! 場所はどこ!?」
気が付けば、私は泣き崩れる奥さんの元まで駆け寄っていた。
「えっ」
「場所はどこかって聞いてんのよ!?」
一瞬、私の姿を見て夫婦はぎょっとしたが、すぐに「802」だと教えてくれた。
私は住宅を見上げる。よし、他に比べれば火の回りが遅い。これなら、まだ生きている可能性は十分にある。
足と、そして翼に力を籠める。不思議だった。さっきまで飛び方のとの字も分からなかったのが、急に翼の使い方が理解できるようになった。
私は大きくジャンプし、そのまま翼を動かして空を飛んだ。
八階にはすぐに辿り着いた。真正面から炎と黒煙を捉えて、今からあそこに飛び込むのかと、つい躊躇してしまいそうになるが、今更引き返すなんて選択肢はないので、私は一度大きく息を吸い込み、覚悟を決めて、802号室に突撃した。
流石に熱い。火はそれほど回っていないが、子供なら普通に死ねる温度だ。
幸い、子供はすぐに見つかった。どうやら、意識を失っているようだが、死んではいなかった。
「良かった……」
ホッ、と胸を撫でおろす。しかし、安心するのはまだ早いと思い直し、すぐに窓から出て、下に降りた。
「アー君!?」
先程の夫婦が転びそうな勢いでこちらに走ってきた。おお、と野次馬たちの歓声が聞こえた。
「まだ安心はできないけど、ひとまず生きてるわ」
そう伝えて、私は奥さんに少年を渡した。奥さんは少年を優しく抱き寄せた。
「あの……、なんてお礼をしたら……」
旦那さんが、泣きそうなのを堪えながらそう言う。
「ああ、いいのいいの。そんなつもりで助けたわけじゃないし」
「しかしっ!」
旦那さんは食い下がってきたが、上手くなだめて、私が立ち去ろうとしたら、
「おねぇちゃん……、ありがとう」
意識を取り戻した少年が、母親の腕の中でお礼を言ってきた。
「どういたしまして。……私の方こそありがとね、なんだかスッキリしたわ」
私は不思議そうな顔をする少年の頭を一度だけ撫でて、今度こそ、その場を後にした。
その日、私は夕日に向かって飛んでいた。家は逆方向だし、特に用事もなかったが、なんとなくそうしたい気分だった。
〈完〉
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