祖母の箪笥

 母方の祖母が亡くなり、俺はある箪笥たんすを貰い受けた。


 物心ついた時から両親は不仲で、我が子のように可愛がってくれたのが祖父母だった。

 祖父は五年前に不意の病で倒れた。祖母は誰の手も借りず、最期まで古びた一軒家に一人きりで生活していた。それとなく介護施設を勧めたこともあったけれど、この家を守りたいと言われて断られてしまった。

 祖母は実際立派にやっていたと思う。外出先でぱったりと倒れて、救急搬送された病院でまもなく息を引き取った。

 葬儀を終えて、遺品整理で祖母の家に入った。小学校の時は何度も遊びに行った家も、社会人になってからだと足が遠のいて、久しぶりになる。

 祖母の家は俺の記憶と違わなかった。庭のツツジの葉っぱはつやつやと光り、花壇には雑草がほとんどない。亡くなる直前まで、手入れを続けていたんだろう。

 廊下の玉簾をかき分けると、昔のように祖母が出迎えてくれる幻を見た。

 家は静かだ。

 祖父母が若い時に買い揃えた家具たちが現役のまま、無言で鎮座している。

 仏壇に祖父の白黒の遺影が飾られている。かすかな笑みを浮かべている。穏やかな人だった。

 祖母の気配が濃密に残っている空間は、少し息苦しい。本来娘としてここにいるべき母は、どこぞの男と駆け落ちして行方が知れない。父は祖父が亡くなった頃に、交通事故で死んだ。

 呪われた家系と親戚から噂されても、俺に言い返せることはなかった。

 俺は代襲相続だいしゅうそうぞくとかいう制度で、祖母の法定相続人になった。この家を売るも壊すも、俺の裁量にかかっている。

 膝が笑えてくる話だぜ。

 父は多額の借金を残して死に、俺は相続放棄を選択するほかなかった。家賃が払えずに父と暮らしていたアパートを引き払い、四畳半のボロアパートに引っ越した。大学もアルバイト代だけでは賄いきれず、中退して働くことになった。



 ようやく俺もツキが回ってきたかもしれない。

 何も残さなかった父とは違い、この家には掘り出し物が眠っていそうだ。鏡台、ドレッサー、箪笥。どれもアンティークショップで高価で売られていてもおかしくない。

 明かりをつけても、家の中は薄暗い。遮光カーテンを引くと、真っ昼間の太陽が射し込んで、部屋を照らした。なんとなくほっとする。

 よく晴れた晴天だ。

 祖母の葬儀の日も晴れていた。

 晴れでもお葬式はあるし、雨でも結婚式はある。心の模様と空模様は同じではないものだ。

 突然、ファックスから紙が吐き出されるような音がした。

 床に、紙が落ちている。拾い上げると半紙だった。手のひらに収まるサイズの半紙に、墨で傘と水滴の絵が描いてある。天気予報の雨のマークを表しているのだろうか。

 一体どこから落ちた。

 俺は周囲を見渡し、真後ろにある箪笥の異変に気が付いた。

 箪笥の抽斗ひきだしが少し開いていた。まるで誰かがちょっと抽斗を開けたように。さっきまで抽斗に隙間はなかった。

 開いているのは、一番上の右の段だ。

 俺は開いている抽斗の隙間を覗いてみた。何も見えない。さらに全開になるまで開けてみたけれど、何もない。

 思い違いだったのかと抽斗を完全に閉めて、箪笥に背を向けた。

 しゅっ、しゅっ、しゅっ、しゅっ。

 間違いない! 紙が吐き出される音だ。

 振り向くと、あの段の抽斗から小さな半紙が何枚も何枚も吐き出されていた。

 床が半紙で埋まる。

 半紙にはどれも『御名前』と達筆で書かれている。

 ぴんときて、自分の名前を書いてみた。筆なんぞ持っていないから、ボールペンで書いた。

本郷吾郎ほんごうごろう

 紙を吐き出し続けている抽斗に、名入りの半紙を放り込んだら、紙の放出が止まった。

 がたんごとん。抽斗が振動し始めた。中にいるナニカが外へ出ようとしているかのような揺れだった。

 抽斗は振動の最中に、古ぼけた巻物を一つ吐き出した。それっきりうんともすんとも言わなくなった。

 窓に水滴が伝う。一筋が幾筋にもなり、やがて本降りの大雨となった。

 


 俺はボロアパートを引き払って、祖母の家に住み始めた。

 持ち家で家賃を払う必要はなく、書斎もあって和室も洋室もあって広い。庭もある。

 仕事も辞めた。百時間の残業をしなくても、もっと楽に稼げる方法を見つけたのだ。

 あの巻物には箪笥の説明書が漢文調に書いてあった。

 


 曰く、此箪笥ヨリ御告ゲノ紙ニ天候ヲ記ス

 曰く、契約者変更ノ折ニハ氏名ヲ書クベシ

 曰く、契約者ノ知リタイ時ト場所ノ天気ヲ告ゲン

 曰く、箪笥ニ居ルハ天気玉・害ナシ・食ベルハ・人ノ天気ノ喜怒哀楽ノ感情ナリ

 曰く、天気玉害ナシト雖モ、酷使及ビ私腹ヲ肥ヤス事に用ヒレバ、禍降ルベシ

 曰く、天気玉ノ御告ゲヲ捏造スレバ、人間ノ世恐怖ニ陥ルナリ



 箪笥には天気玉というものが住み着いている。その天気玉がお告げ――つまりあの半紙で天気を言い当てる。契約者のために。

 巻物には先代の契約者として祖母の名前があった。今は俺が契約している。

 契約者は知りたい日時と場所の天気を、天気玉のお告げによって知ることができる。

 天気玉に害はなく、人間が天気に抱く喜怒哀楽の感情を食べる。例えば、晴れなら「晴れて嬉しい!」といいう気持ちを食べる。

 天気玉は害がない存在のようだから、最後の注意書きはいらないだろう。禍が起きるとか人間の世を恐怖に陥れるとかは大袈裟だ。



 俺は依頼人に天気を知らせる仕事をしている。ビジネスは好調だ。

 天気玉からお告げの紙をもらい、その紙を参考に依頼人に「これこれのいついつには晴れますよ」というだけだ。畏まった着物を着ていると、より信じてもらえる。

 天気玉のお告げは年単位で天気を当てられる。局所的に〇県の××市と書けば、さらに正確な天気を当てることができる。

 俺は依頼人から多額の報酬をもらい、天気玉は晴れや雨で嬉しがっている人間の感情を浴びる。ウィンウィンだ。

 世のため人のために生かせるものを、祖父母はなぜ秘密裡に隠していたんだろう。もったいないことだ。これからは俺がばんばん活用してやる。




 この仕事を始めて、二年が経った。

 俺も有名になってきて、ファンもできた。

 仕事も順調。ギャラも順調にレベルアップ。祖母の家の改築もできた。

 ただ箪笥の調子が悪い。お告げの紙を吐き出すわけでもなく、一晩中がたごと揺れていたり、俺が知りたい天気の依頼を無視したりしやがる。

 生意気だ。

 所詮お前はファックスよろしく紙を吐き出すしか能がない。その力を引き出して活かしているのは俺だ。

 祖父と祖母の遺影に手を合わせる。ずっと変わらない表情なのに、責めているように見えた。

 もう死んだあんたらには関係のないことだ。

 それより明日の依頼で、俺は頭を悩ませていた。

 明日の生放送中に、天気を晴れにしてほしいそうだ。

 天気予報を見たら、明日は一日中曇りだ。天気玉は沈黙している。

 生放送中に天気を晴れにできたら、俺の名前は一躍有名になる。なんとしても成功したい。

 俺は半紙に日付と日時を書き、太陽で晴れマークを描いた。

 箪笥の抽斗を開ける。固くてなかなか開けられない。四、五分引っ張り続けていると、抽斗が開いた。その抽斗に晴れの半紙をねじ込んで、閉める。

 箪笥が宙に浮いた。跳ね上がって、がたんと落ちる。毒を飲んで苦しんでいる人間のように、弱々しくかたかたと抽斗を揺らして揺れる。ちょっと焦げ臭いにおいもする。

 バケツで水をぶっかけると、焦げ臭いにおいはなくなって観念したようだった。

 そして俺が書いた紙を、お告げのように吐き出した。やったこれで晴れだ!

 明日の生放送は成功する。




 夢で祖母が泣いている。

「どうして、あの子に嫌がることさせたのよ。もうおしまいよ」

 詰め寄る祖母の眼窩にあるべきものはなく、真っ黒い空洞だった。

 箪笥は不気味なくらい静かだった。箪笥としては動かないのが当たり前なのだが。

 着物と烏帽子を身につけて、いざテレビ局というときに、箪笥は半紙を吐き出した。

「なんだこれは」

 これまでの天気のイラストじゃなかった。趣味の悪い悪戯書きだ。天気玉も結局嫌がらせしかできない。人の生首がたくさん上から下に降っている絵だ。

 俺は失笑して、箪笥を蹴とばして家を出た。

 

 それを後悔している。

 テレビカメラの前で祈祷をして、曇天が晴れて、俺は本物の天気を操る人間だと賞賛された。

それでよかった。それまででよかったじゃないか。

 太陽の横にまあるい球体が出現した。青にも赤にも白にも、揺らめいて色が変わる。

 俺はそれが天気玉だと分かった。箪笥の中から出てきたんだ。

 でも一体どうして?

 天気玉を指差して、たくさんの人が外に出てきた。

 やめろ。

 俺は叫んだ。天気玉に目はないけれど、俺を見ているのは分かった。

 最初は俺なんだ。

 烏帽子が外れ、ボサボサの頭を持ち上げられる。

 身体はないぞと下を見たら、俺の身体は首の下から血を流して横たわっていた。

 ぽんぽんと天気玉は俺の頭を弄ぶと、高いところから降らせた。どちゃっと落下して、遅れて悲鳴が上がる。

 天気玉は次々に生首を刈って、雨を降らせていき、人々の怒号を堪能していた。



泉野帳は「晴れ」「タンス」「最悪の流れ」を使って創作するんだ!ジャンルは「ホラー」だよ!頑張ってね!

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