南の悲恋

 昔々、私たちのご先祖様が魔法を使えたころの話です。

 この惑星の南半球に一つの小さな村がありました。褐色の肌の村人たちは、農業や漁業で生計を立てていました。出稼ぎに行く男たちもいました。決して裕福ではありませんが、皆で肩を寄せ合って細々と暮らしているごく普通の村でした。

 その村の外れの屋敷に魔法使いが住んでいました。小柄な優しい灰色の目をした白い肌の男でした。魔法使いの屋敷の庭ではハイビスカスが年中赤い花を咲かせています。

 魔法使いは今でいう医者と占い師でした。アプローチの仕方は現代と違います。病人や悩み事のある村人に手をかざし、不思議な呪文を紡ぐと、たちどころに渡す薬草と話すべきことが見通せるのです。

 魔法使いは銀貨を、時には魚をもらって収入としていました。

 村人たちは魔法使いを敬っていると同時に、恐れてもいました。村人たちはみんな青い目をしています。生き方も違いました。

 魔法使いにはかつて魔法使いの両親がいましたが、もう一人きりで大きな屋敷に住んでいました。ずっと一人で寂しく生きていくのだろうと、村人たちも魔法使い自身も納得していました。

 魔法使いには趣味がありました。夜の散歩です。魔法の絨毯に乗って、村の上空を飛び回るのです。夜空を上って月面の穴の数を数えたり、海辺を飛んで波の音に耳を澄ませたりするのです。尊敬と恐れが入り混じった眼差しを向ける村人はおらず、魔法使いは心の向くままに趣味に興じていました。


 そんなある夜のことです。

 魔法使いが魔法の絨毯に乗って飛んでいると、海の中に人影があることに気づきました。

 近寄るとその人影は村の娘だと分かりました。

 溺れているようでした。

 魔法使いは慌てて娘を海中から救出すると、魔法の絨毯に乗って屋敷に戻りました。

 娘に気付け薬を飲ませると、彼女は咳込んでから息を吹き返しました。

「お嬢さん、こんな夜更けに海辺を出歩いてはいけないよ」

「……あなたがわたしを助けてくれたんですね」

 娘は大きな灰色の瞳で、魔法使いを見つめて微笑みました。

 娘はとても純粋無垢で、優しい魔法使いとすぐに恋に落ちました。

 二人はハイビスカスの前でキスをして、永遠の愛を誓い合いました。

 娘の両親は魔法使いとの結婚に反対しました。

 娘は純粋無垢で、そして繊細でした。

 二人の恋は村中の噂となり、娘も魔法使いと同様の扱いを受けました。友達も家族も、娘を遠巻きにするようになりました。

 娘はもともと持っていた心の病が悪化しました。娘があの夜に海の中にいたのは、死のうとしていたからなのです。

 優しい魔法使いも娘につられて心を病みました。

 娘は魔法使いの家に転がり込み、二人きりで過ごしました。カーテンを閉め切って、昼も出かけずに、夜も家々の明かりに脅えて過ごします。

 魔法使いの魔法は衰えていきました。魔法使いが手をかざすと、頭が割れるように痛むようになりました。

 食べるものは少なくなり、二人は瘦せ衰えていきました。

 いっそ二人で外に出ていこうか。

 二人はそんな誘惑に駆られることもありました。けれども、二人は村の外の世界を知りませんでした。曾祖父も祖父もずうっと村で生きていた二人に、村を出ていく勇気はありませんでした。


 魔法使いは『死にたい』と口癖のように言う娘のために、物置からカケラを取り出しました。

 そのカケラは、代々魔法使いの家に受け継がれていました。太陽にかざすと青く光り、月明かりの下では赤く光ります。

 魔法使いは父にこう言い含められていました。

『これは擦りつぶして、水に溶かして飲むんだ。いいか。このカケラは決して使ってはいけない。村人が私たちから心が離れた時に彼らの飲み物に混ぜて使うもので、我々が決して使ってはいけないよ』

 魔法使いは娘が自分の世界に引きこもってしまい、寂しかったのでしょう。

 カケラを臼ですりつぶして、井戸の水で溶かして娘に飲ませました。

 娘の変化は劇的でした。

 灰色の瞳をうっとりと濁らせて、魔法使いに四六時中くっつくようになりました。

「あなたの黄色い肌と灰色の瞳が素敵」

 と娘は言いました。娘は昼でも魔法の絨毯に乗ることをせがみました。

 口の端からヨダレをこぼして、薄く笑っていました。

 娘は見たいものを見るようになり、魔法使いを見ていませんでした。

 魔法使いはいっそう心を病みました。

 そして、魔法使い自身もカケラを飲みました。

 魔法使いは正気を完全に失うことができませんでした。身体に残った魔力で耐性があったせいでしょうか。

 子どもがぐちゃぐちゃに絵の具を塗りつぶしたような世界で、ハイビスカスが逆さまになって咲いている世界で、娘と彼の両親と戯れていても、この世界は存在しないと知っていました。

 荒れ果ててひどい臭気を放つ屋敷の現状を知っていて、何もすることができませんでした。

 最後のカケラを使い切って、娘は抜け殻になりました。心は戻らず身体も戻らず、呼吸をすることで生きている動物です。

「アレ、ちょうだい」

 魔法使いに唇の動きだけで、カケラをせがむことだけです。

 もう元には戻れませんでした。

 ある夜に魔法使いは身体をひきずって、魔法の絨毯を出しました。最後の魔法を使うためです。

 魔法使いの屋敷をツタが覆い、ハイビスカスだけが赤赤と咲いていました。

 魔法使いは娘の髪にハイビスカスを差しました。

「さあ、散歩に行こう。お前は好きだったろう」

「……」

 魔法の絨毯は二人を乗せて、よろよろと飛びました。

 娘をかつて助けた海の上で、絨毯は止まりました。

「さあもう帰ろう」

 魔法使いは脂汗を滲ませて、娘と自分に手をかざしました。魔法の絨毯は苦しそう縮むとどこかへ飛び去りました。魔法使いは抱きしめあって、海の中へ落ちました。

 魔法使いがかけた魔法は、海水が苦しくなくなる魔法でした。

 取り残されたハイビスカスはくるくると海面を回っていましたが、やがて二人を追って沈みました。


 


 泉野帳は「南」「絨毯」「魅惑的なかけら」を使って創作するんだ!ジャンルは「悲恋」だよ!頑張ってね!

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