青年と魔物達
ざくろ
英断
じんわりとぼやけた視界に誰かが覗き込んでいるのが見える。だんだんと浮かび上がってくるその女性の美しい姿に、天国に逝けたのだろうかと自嘲するその青年は、戦争で重傷を追った兵士だった。これで生きているのが奇跡ですよと看護師はにこやかに笑う。知らない街のベッドの上で目覚めた青年はほとんど記憶を失っていた。唯一覚えているのは敵国への復讐心。幼い頃目の前で母親の胸を貫いた仇への雪辱。人に化けた魔物達に、人の形をした魔物達に、おまえの母は殺された。父であろう人の言葉を思い出すたびに、ふつふつと胸の中で何かが湧き上がることだけは忘れていなかった。
病院での生活は、青年にとって案外平凡なものだった。隣のベッドの兵士とは、話をして友達になった。入院している子供達に、本を読んでやった。長い時間を共に過ごした看護師と、恋仲になった。少しずつ快復した青年は、看護師と街に散歩に出掛けることも増えていった。広く高い青空の下。煉瓦造りの通りで、すれ違う人々は明るく挨拶をしてくれる。きらきらと光を散らす噴水の周りを、楽しそうに駆け回るのは子供達。それを木陰から見守る街の老人。その木の上から響き渡る小鳥の囀り。青年はその街と街の人々が好きになっていった。そして、青年は少しずつ記憶を取り戻していった。育った国は隣国と長い間敵対関係にあること。身近な人間が何人も敵国に殺されたこと。敵国の奴らは女も子供も魔物だということ。「この国の人はみんな隣国の魔物達に大切な人を殺されています。私だって兄を殺されました。本当に憎いですよ」と、それを聞いた看護師は言った。それでも、青年は自分の名前を思い出すことは出来なかった。
ある日、青年の元に看護師が沢山の汚れた服や帽子や鞄やらを持ってきた。戦地に残された、持ち主のわからない遺留品だそうだ。この病院の利用者に持ち主がいるかもしれないからと、看護師は言った。青年はそれらをごそごそと漁ってみた。一着のズタズタの服に目が止まる。それを手に取り、青年は言った。「思い出した。たしかこの服を着て、戦っていた」それを聞いた看護師は笑った。「その服は絶対あり得ませんよ。麻はこの国じゃ貴重品で兵士には配られないんです。回収した人が間違えて持ってかえってきちゃったのね」青年はそうか勘違いかと笑った。今度はボロボロの小さな金属の板を手に取った。青年の表情が突然真剣になった。「今度は違いない。この認識表だ。ここに刻まれた名前。間違いない、僕のものだ。確信した。ずっと忘れていた名前をこれを見た瞬間に思い出したんだ。絶対に違いない」青年は嬉しそうに微笑んだ。「そうだ。思い出した。戦っていたときのことだ。隠れていたところを敵兵に見つかりそうになって、殺したやつの死体を剥いだんだ。我ながら英断だった」そう笑った青年の目に映った看護師は、青年とは真逆の、恐怖と不安の眼差しを青年に向けたまま、立ちすくんでいた。その表情の意図を悟ったのか、青年は手に取った認識表の裏を見た。めくった認識表に刻まれた青年の所属は、この街にとっての敵国だった。
青年と魔物達 ざくろ @pomegranate0527
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