2日目
朝はとんでもなく憂鬱だった。
何故なら彼女が朝6時に、僕の家のインターホンを連打した挙句に、大きなスーツケースを引きずってズカズカと家に上がり、進行形で聖域であるベッドを犯しているからだ。そもそも住所を教えていないんだけど。
「なぁ、君は何故僕の家を知ってる? 何故来た? その荷物は?」
「何故ってそりゃ、昨日尾行したからだけど。来たのは虐めを止めるため。誰かが乗り込んできて虐められてたら大変だなって思ったからボディガード的な感じで住み込もうと思ったの」
「うん、色々おかしいね。想像の遥か上を通り過ぎたよ。尾行じゃなくてストーカーだし、僕の家は組長の家じゃないし、突然住み込まれても困るし。君の親は何も言わなかったの?」
「ん? 親には言ってないよ?」
「はぁ、僕はなんて馬鹿に絡まれてしまったんだ…」
「そんな言い方しなくても良いじゃんかー。傷付いちゃうよ? ガラスのハートが」
「ガラスのハートを持っている人はもっと慎重だろ…君が持っているのは馬鹿なハートだ。そうじゃなきゃド天然だ」
「むぅー。住み込み駄目?」
「家族が心配するだろ。どうしてもって言うなら親に許可とれ。僕は独り身だから僕どっちでも良いんだけど、拉致だ誘拐だって言われるのは御免だよ」
「分かった。許可取ってくる!」
なんとか彼女を家に帰させることができた。でも、何か忘れている様な気がして、周りを見渡した。
「アイツ…スーツケース置いていきやがった。意地でも戻ってくるつもりなんだな」
まぁどうにでもなれば良い。
僕としては寂しくなくなるから、大歓迎ではあるが、誤解は御免だ。
しかももうすぐ母親の命日だ。その日も彼女といればほんの少しだけ、悲しさを薄れさせられるかもしれない。
そんな淡い期待を持っていたのだが。
「はい! 許可取ってきたよ!」
息切れしたままの彼女に言われたのは、追い返してから20分後の出来事だった。
そして何より気になったのが、彼女がまた大きなスーツケースを持ってきた事だ。
「いくつスーツケース持って来るんだよ…そして何を持ってきたんだよ…僕の家そんなに広くないからね?」
すると彼女はよく聞いてくれましたと言わんばかりの満面の笑みで、
「着替えとか、ゲームとか、本もだし、教科書も持ってきたよ。多少はお金もあるよ。3000円くらい」
と、意気揚々と答えてくれた。
それは良いのだが、今日は月曜日だ。どうやら彼女は浮かれて忘れている様だが…
「うん。それは良いけど君それパジャマだよね?」
「うん? そうだよ? それがどうかした?」
全身黒で統一されたジャージを着ている彼女は、根からの天然のようだ。
「いや月曜日だけど…」
「うんそうだね。知ってるよ」
「君はまだ分かっていないのかもしれないけど、ここからじゃ7時に出発しないと間に合わないよ?」
そう告げれば、彼女はみるみるうちに青ざめていった。
「嘘!? それは先に言っておいてもらわないと困るやつだよ! 早く着替えなきゃ! ちょっと着替えるからあっち向いてて!」
「わ、分かった! いや待てまだ脱いでない?」
「う、うん。まだ」
「良かった。僕は部屋を出るから、そのあと着替えて。着替え終わったら下に降りてきて」
「はぁい」
僕は部屋を出て後ろ手に扉を閉める。
助かった…僕の部屋は扉が一つしかない。いやどこの家でもそうだろうけど、そういう事が言いたい訳じゃない。彼女が扉側にいたのだ。
つまり今出れなければ彼女が着替え終わるまで壁のシミを眺め続けることになった訳で、それはとんでもなく無駄な時間。
何より女子が着替えている部屋にいるのは気が引ける。
朝から調子が狂いっぱなしだ。でも案外楽しかった様な気もする。
そんな事を考えつつ軽い朝食の準備をしていると、彼女は降りてきた。
「んー良い匂いだねー。朝ごはんは何ー」
驚いた。なんて馴れ馴れしい奴なんだ。
ほんの少ししか話した事のない男の家で過ごす割には、緊張感が無さすぎやしないだろうか。
「えー朝は白ご飯と焼き魚、あと、卵焼きくらいなら作れるよ」
「へー、ザ和風だねぇー」
「洋食の方が良かった?そうか、明日からは自分の好きな物作れば良い訳じゃないんだな」
「ううん、好きだよ和食。カルボナーラとか」
「うん。カルボナーラは和食じゃないね」
「え? 奈良県の名物じゃないの?」
「ナーラだからか? 安直過ぎるだろ。カルボナーラはイタリア料理だ」
「ほへぇー初めて知ったよ。覚えとこっと」
「君はどんな家庭で育ってきたんだ…」
「え? 私はー」
と何故か生い立ちを話し始めた彼女の話を聞き流しつつ、チラと時計を見た。
そして、絶望が襲いかかってきた。
「あ、7時5分だよ?」
「まじ!? 早く行こっ! 遅刻はやだっ! ほら何してんの! 早く行かないと遅刻するよっ!」
母親みたいな事を言ってくる彼女だったが、もうどう急いだって間に合わない。僕の家から学校まではおよそ1時間かかる。
さらに僕たちが通う学校は8時に一限目が始まる。もう慣れてしまった事だが、最初は辛かったな。
「いやもう間に合わないから。どうせ遅刻なんだしゆっくり行こう? 朝ごはんも作ったし午後から」
「そうかー私は転校早々遅刻かー。あ、ごめんね。朝から騒いじゃって」
彼女の口からそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。
黙々と朝食を口に運ぶこと5分。重苦しい空気を変えるべく話題を振ってみる。
「なぁなんで僕の家に住み込もうと思ったんだ?」
「さっきも言ったよ? 虐めから守る為」
「そうじゃなくて、なんで僕の家なら住み込んでも良いと思った?」
「え、それは…あ、あれだよ! あなたが無害だろうと思ったからだよ。まぁまさか虐められっ子が襲ってくる事はないだろうなって思ったから…」
何故か語尾を濁す彼女だったが、他人の思考なんて分かる訳もないので
「ふーん」
と、答えておいた。
「え、なんか怖いよその反応」
何が怖いのかわからないが、焦っている彼女が可愛らしく面白かったので暫く放っておいた。
不貞腐れた彼女と他愛のない馬鹿話をして笑い合ったり、好きなタレントをプレゼンしていると、あっという間に3時間が過ぎた。
「さて、そろそろ行こうか」
そう声をかければ
「そうだね。気合入れて行くよー!」
と、返してくれる。
なんだかくすぐったい様な暖かい時間だった。
***
学校へ向かう空いた電車の中。学校に近付くにつれて心も気分も沈んでいく。
対照的に彼女は学校に近付くにつれて、分かりやすくワクワクしている。
今から虐められに行くようなものなのに。
一つ気になっていた。何故僕を守ってくれるのだろう。
あんなに細い身体では太刀打ちどころか、一方的に暴力を受けてしまうだろうに。
それとも何か、空手の有段者だったりするのだろうか。とてもそんな風には見えないけどな。
僕の隣で電車の窓一面に映る海を、輝いた目で眺めている彼女はどんな気持ちで僕と居てくれているのだろう。
そしてこれから起こる陰湿な虐めに、どんな感情を抱くのだろう。
「ん、どうかした?」
彼女は顔を覗き込んで聞いてきた。どうやら僕は思考と共に顔も翳ってしまっていたようだ。ド天然なくせに勘は鋭いらしい。
「いや、君の服とか買わなきゃなとか、君の部屋はどうしようかなとか、ちょっと考え事してた」
「え、良いのに。服は家から持ってきたし。あ、もしかしてそういう趣味が…」
「断じてないよ。服に関しては君がどれくらい僕の家に住み込むのかによるけど、不足の事態が起こった時に備えておかないといけないからね」
「じゃあお言葉に甘えちゃおう。服代はあなたの奢り?」
「まぁそうなるね。あまり高価な物は買えないけど、好きな服を選びな。僕はファッションにはとことん疎いからね」
「あなたの服全部黒いもんね。私がコーディネートしてあげようか?」
「考えておくよ」
絶対にさせない。女装とかさせられてしまいそうだ。
因みに僕の高校は制服が無く私服だ。
そして彼女が言ったように、僕は黒い服しか所持していない。丁度今日の彼女のパジャマのようなジャージ類なのだが、僕が着るのと彼女が着るのとで印象が変わってくるのが不思議だ。
暫く沈黙が続いた後、降りる駅に着いたとアナウンスが流れた為、彼女を引き連れて電車を降りた。
駅を出て、立ち並ぶ高層ビル街を彼女の歩調に合わせて歩き続ければ第三高校が姿を現す。
それなりに歴史があり、所々塗装が剥げている校舎に小さいグラウンド、何故か直されていない止まったままの時計。
ここで僕は人並みな高校生活を送れると思っていた。それなのにこのザマだ。
別に誰かが悪い訳ではない。強いて言うなら僕が悪い。
そんな悶々とした思考を巡らせていたが、無理矢理遮った。
そう、隣には彼女がいるのだ。もう心配されたくない。
校門の前で深呼吸をして、虐められる覚悟を作る。それは彼女も同じだったようで、全く同じタイミングで息を吐いた事に驚き、吹き出した。
「覚悟決めたのに気が抜けちゃったよ。まぁ何とかなるでしょ。本当に辛くなったら私のところに来て。守ってあげる」
「うん。絶対に行きたくないけどね。君が悲しむなら従うよ。じゃ、お互い頑張ろう。終礼終わったらすぐに体育館裏に来て。そこなら人目を気にせずに一緒に帰れるから」
「分かったー告白されちゃったりして。なんてね。また後でねー」
なんて元気に駆けて行ったが、彼女自身が置かれている状況を理解しているのだろうか。
何とか耐え忍んでみせる。職員室を訪れ先生に叱られ、階段で躓き、廊下で足をかけられ無様に顔から転んだ。いつも通りだ。慣れてしまった日々。
痛むおでこを摩りながら教室のドアを開けると、僕は後先考えずに駆け出した。
そして、馬乗りになって彼女を殴り続けている名前も知らない同級生を突き飛ばした。
やっぱりそうなんだ。彼女は僕より弱い。ただ、正義感が強すぎるだけ。
殴られている時、彼女は唯々殴られるのではなく、相手の胸倉を掴んでいた。
多分彼女は僕の陰口を聞いて、彼女から掴みかかったのだろう。僕なんかを守る為に。
彼女の手を引き、暴言を背中に受けながら教室を出た。そのまま屋上へ行き、泣き噦る彼女の背中をさする。
酷い奴等だ。こんなにもか弱い女子を殴りつけるとは。
この時やっと気付いた。
僕は彼女に護られる訳にはいかない。僕が彼女を護らなければいけなかったのだ。
気付くのが遅かった。彼女を傷付けてしまった。
「ごめん。本当にごめん。僕の所為で君がこんな目に…でも、ここは安全だから。僕は君を傷付けた奴等が許せない。君はここにいて。僕はちょっと…戦ってくる」
そう言って立ち上がった僕だったが、彼女は僕の袖を引いた。
「駄目。あの人達は私の所為で凄く怒ってる。あなたが行っても怪我人が増えてしまうだけ。怒っている人は何をするか分からないよ。だから私の傍にいて欲しい」
震える瞳で見つめられ、言葉に詰まった。
「…分かった。君の望むままにしよう。でも一つだけ頼みがある。もう僕を護らないで欲しい。君が傷付くのは耐えられない」
そう言うと彼女は、声をあげて泣き出した。僕は彼女の隣で佇むことしか出来なかった。
そしてその日はそのまま家に帰った。
彼女は家に着くなり僕のベッドに寝転がり、すぐに眠ってしまった。
体力を消費したのだろう。
そう思うだけで僕は自己嫌悪に襲われる。
彼女の涙の跡を眺めながら
「明日から暫くは学校休もうか」
なんて呟いたのだった。
***
気がつくと僕は、右も左も、前も後ろも、上も下さえも分からない空間にいた。
何が起きた?
僕は彼女の眠ったあと、物置と化していた空き部屋の掃除をしていた筈だ。
もしかして何か物が落ちてきて頭に当たって、死んだのだろうか。いやそれにしては意識がしっかりとしている。
走馬灯というやつだろうか。
刹那、闇が飛散した。突如として明るくなった空間に目が眩む。
だんだんと目が慣れてきた頃、ある映像のようなものが流れ始めた。
雨が降っている。でも僕の足元にあるのは水溜りでは無く血溜まり。誰の血だろう。
視線を上げれば、血だらけで倒れている、四肢が捻れた人が見えた。あれは彼女だ。
どれくらい見つめていたのかは分からない。少し経った頃、救急隊の人たちがきて心肺蘇生を始めた。
僕は何もできず、唯々佇んでいた。
そんな無力な僕を嘲笑うかのように、雨は強さを増した。
何か、とても大切な事を忘れている気がする。なんだろう、思い出せないな。うんうんと頭を捻っていると、どこからか泣き叫ぶ声が聞こえた。彼女の親族だろう。
でももう彼女は助からない。
仕方のない事だ。人はいずれ死ぬ。どう足掻いても避けられない運命。
そんな時、誰かから強く肩を掴まれ、身体を凄く力任せに揺さぶられた。
***
ゆっくりと目を開く。
どうやら空き部屋にあった椅子に座って眠ってしまったようだ。
そして目の前には膨れっ面の彼女がいた。
「何してんのよこんなところで。もう秋になりかけてるのよ? 風邪引いたらどうすんの? 私家事出来ないからね?」
居候のくせに家事の一つもこなせないとは。まぁ良い想定内だ。
「丁度良かった。君の部屋を片付けてたんだ。必要無いものは外に出したから、あとは君の好きなようにインテリアするだけ。一応ベッドと机、椅子、収納棚くらいは置いてるし、必要な物があったら買いに行こう。ほら行っておいで」
「やったぁー! 一人部屋が夢だったんだー気合入れて頑張っちゃうよー」
元気な人だ。そんな所に救われているのだけど。変に詮索してこず、天然のボケをかましてくる。そんな無邪気な彼女がいてくれるおかげで、少し世界に希望を見出せた。
「ありがとう」
部屋に飛び込んでいった彼女に呟く。
すると、
「んー? なんか言った?」
と、返事が来た。地獄耳だ。
「いや、なんでもないよ」
そう返事をして、夕食の支度を始めたのだった。
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