ベッド脇に置いたスマホのアラームで目が覚める。時刻は八時だ。


 昨夜は夕飯後、すぐに解散となった。俺と上野原はしばらく奴の部屋で話してから、解散した。時刻は深夜を回っていたような気がする。


『絶対、生きて出ような』


『当たり前だよ。会ってみたい奴らがまだまだいるし』


 いつもの調子で安心した。自室に戻る際、奇妙な音を聞いた。


『てけりりー てけりりー』――日本語にするとこんな音だったような気がする。


 部屋を出て、厨房を覗くと既に従者二人がいた。


「よく眠れましたか?」


 那須井さんには悪いが、あまり眠れなかった。何回唸り声に起こされたかわからない。それでも彼女の気遣いに笑顔を返した。


「舞花さん、二階にいらっしゃいますよ」


 軽く会釈を返し、二階へ向かう。そこには既に坊山さん、駒場さんがいた。軽く挨拶してからベンチを見ると、スマホをいじっている大塚さんを見つける。


「おは。やっぱりダメ、昨日から圏外なの。上野原くんは?」


 挨拶を返し隣に座る。昨日よりナチュラルメイクで、普段とは違う印象に胸が高鳴る。


「まだ寝てるんじゃないか」


 あいつはサークルメンバーの中で一番朝に弱い。


 案の定、彼が起きてきたのは九時過ぎだった。


「あれ、松垣さんは?」


 眠気眼を擦りながら大きく欠伸をする。


 松垣さんの姿は依然見えない。


 やがて三階から那須井さんが降りてくる。湯飲みが乗ったお盆を持っている。


「お茶、どうぞ」


 熱々のお茶が食道を通り、胃を囲んでいく感覚に一息つく。


 松垣さんの姿がないことを伝えると、すぐに三階に引き返していった。


「行くぞ、レイン」


 すっかり目が覚めた様子の上野原は、すぐに三階に向かって駆けて行った。大塚さんと後を追う。


 松垣さんの部屋前で従者二人がしきりに扉をノックしている。彼の部屋は零時方向の窓に一番近い。窓から差し込む朝日がスポットライトのように二人と扉を照らしている。


「何度呼びかけても返事がなくて……」


 追いついた俺たちに那須井さんは不安そうな表情を向ける。


「呑気なおっさんだぜ、まったく」


 雛田さんはさらに強くノックするが、中から応答はない。


「仕方ねえな。出てこない方が悪い」


 雛田さんは鍵束を取り出し、その内の一つを鍵穴に差す。那須井さんによるとスペアキーらしい。昨日、部屋の鍵は受け取っているので手元にある。万が一失くしても何とかなるな、と思っていると鍵が開く音がした。


「松垣さん、失礼しますよー」


 雛田さんの間延びした声はすぐに凍りつく。


「……うっ!」


 咄嗟に鼻を塞ぐ。口で小さく呼吸をするが、異臭が口の中に張り付く感覚がする。


「あっ、こら!」


 上野原は顔をしかめながら雛田さんを押しのけ、ドアを開け部屋へ入る。


 彼に続いて部屋へ踏み込む。


「レイン、どうやらこの事件、まだ終わってなかったようだ」


 彼の真意が掴めず、顔を見ようと回り込んで、ベッドの上で赤黒いオブジェが鎮座しているのが視界に入る。


「なっ、なんだよ、これ――」


 赤黒いオブジェからは所々内臓が零れ、床に血の海をつくっている。壁にも食い散らかしたような血飛沫が水玉模様のように四散している。まるで解体されたての肉塊が無造作に放置されているようだ。部屋の隅に置かれた荷物の中に、黒いジャケットと黒縁メガネがあり、ここで松垣さんが休んでいたことを示している。


 部屋の入口で佇む従者二人に首を振る。その意味を理解したらしい二人は、泣き崩れる大塚さんを連れて部屋を後にする。


 いつの間にか異臭はしない。いや、慣れてしまったのだろう。


 上野原は松垣さんの死体の周辺をハンカチもなしで調べている。もともと血生臭い神話世界の探求者だから、このくらい朝飯前なのだろうか。


「見ろよ、レイン」


 肉塊を摘まみ上げてきたらさすがに殴るぞと思ったが、奴は一枚の紙片を見せてきた。


 展示エリアのレプリカではなく、ただのメモ紙のようだ。血が付着しているが、文章は日本語で書かれているので読むことが出来る。


【ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ うがふなぐる ふたぐん】


 意味不明な文章だ。


 辛うじてクトゥルフとルルイエなら聞いたことがあるが――。


「ってことは、犯人はなのか」


 一人納得している上野原だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る