第8話

「いろいろ聞きたいことはあるだろうけど、今日はもう遅いから明日にしないか?あ、いや、もう今日か」

 モヤモヤした表情の隼也を察してか、須藤はそう言った。


 時計は12時を回っている。

 少年を連れて到着した時、管理室には招集をかけられた職員が数人、すでに待機していた。

 やっと、アディ・ボリラックという少年の名前を聞き出し、今は医師の診察を受けさせている。

 名前以外は話そうとしないが、警察から、その名前だけですぐに素性が送られてきた。

 中学生同士の小競り合いがエスカレートし、学校に警察が訪れる事態に発展していたらしく、その際に何人か、関与している生徒として名前の出ていた1人だという。


 父親は夜勤中、母親も夜間清掃の仕事で留守だったが、連絡が取れて2人ともこちらへ向かっているとのことだった。

 正直、大した仕事をしたわけでもないのに隼也はクタクタだった。しかし、このまま帰ってぐっすり眠れるかといえば、間違いなく簡単には寝付けそうにない。

 気持ちが逆立っているというか、波打っているといえばいいのか。仕事は一段落したというのに、ホッとできない。

 まとまりのつかない考えや感情が脳内を巡っている。

 須藤に聞きたいことも、確認したいことも、山ほどある。だが、須藤はこの後アディの両親と面会することになっていたし、もう1人の少年、ニックの対応もしなくてはならない。

 説明を求める時間はなさそうだった。仕方なく、

「お疲れ様でした!」

 潔くそう言い、踵を返す。頭は妙に冴えてるのに、体は重い。


「桜木くん」

 須藤が呼び止めた。

「初任務にしては、よくやってくれたよ。一気にいろんなことありすぎて、ドタバタしたけどね。敢えて言えば、翼を出した時のウィンガーは極力撮影して置くこと!かな。まあ、かなり、いい経験になったでしょ」

「え、あ…はい」

 須藤がアディと格闘している間、呆然と眺めていただけだった自分を思い出す。

 携帯端末も持っていたし、車にはビデオカメラも積んでいた。研修でも聞いていたに関わらず、パニック状態の頭に、撮影のことは全く思い浮かばなかったのだ。


「初任務としては上々。明日もよろしくねー」

 バツの悪そうな隼也に、須藤はいつも通りの笑顔を見せると、軽く片手を上げて背中を向ける。

 背伸びをしながら悠々と歩いていくジャージの後ろ姿に白い翼の幻が見えた気がした。

 ウィンガー。それは隼也が想像していたより、はるかに想像し難い存在だった。


 定時に出勤した隼也が、最初に顔を合わせたのはアベだった。

 昨日の夜とさして変わらない、ボサボサの頭に全く似合わないスーツ姿だ。

「昨日はお疲れ様です。まったく、睡眠不足で辛いっすよ」

 開口一番でぼやいてくる。

(見た目からも、それはよくわかるよ…)


 隼也は意外にも、帰宅早々、倒れるように眠り込んだ。

 朝は、やけにスッキリと目覚め、シャワーを浴びながら、今日確認しておきたい事を頭の中でまとめた。

 その一つは今、聞けそうだった。

「そういえば、アベさん、昨日ってどうしてあそこにいたんです?」

 アベは栄養ドリンクのキャップを開けながら、意外そうな顔をした。

「須藤さんの指示ですよ?あの社員寮付近で、夜間の外出者をしばらくの間見張っておくようにって。警察の方とも協力して巡回することになって。昨日はたまたま、巡回ルートとか確認しながら、比較的多い人数で回ってたんです。いやぁ、三嶋さんから、そっちに怪しい男が逃げて行ったから!って連絡きたときは、一瞬からかわれてるのかと思いましたよ」


 そうか、あかりが車を回すのに時間がかかったのは、そんな連絡を入れていたせいもあったのか、と納得した。

 もちろん、あかりも、アベたちの行動を把握していたわけだ。ただ、事件の起きた時間帯に合わせて現場の視察をするのだろうと思っていたは自分だけだった。

 なぜ、一言状況の説明をしてくれなかったのだろう?


「須藤さん、そこら辺の説明、してないんすか」

 隼也の顔色を伺いながらアベが苦笑した。

「あの人、そういうの、ありがちですよ。なんか、人の驚いた顔見て楽しむ、みたいな。ちょっと迷惑なクセ、ですわ」

 後半はドアの方を見ながら、声を落とした。

 悪いクセ、で済む話ではない。下手をすれば、作戦そのものに影響があるではないか。

 アベが言い終わるのを待っていたように、ドアが開いた。


 須藤かと思ってギクリとしたが、入ってきたのはワタナベだった。

「おはようございます。昨日はお疲れ様でした」

 アベが、わざとらしいほど大きな声で挨拶をしたが、ワタナベは2人を一瞥し、短く

「おう」

 と言っただけだった。

「あ、昨日の現場って、ワタナベさんも…?」

 小声でアベに尋ねると、意外にもワタナベが

「いたぞ」

 と、はっきりした声音で言った。真っ直ぐ隼也に視線をよこす。

「訳も分からないまま、須藤さんに連れ出されたんだろ。災難だな」

 表情は変わらず、冗談のつもりか、本音なのかわからない。

「リーダーとしては、もっと綿密に作戦を立ててほしいもんだがな」

 ドアが素早く開いて、今度こそ須藤が入ってきた。


「なんか、朝からボヤかれてるみたいだね」

 昨日と同じ、ランニングウエアのまま、ということはここで一晩過ごしたらしい。

「おはよう。昨日はお疲れ様でした」

 改めてそう言うと、須藤は3人を見渡した。

 ワタナベは悪びれた様子もなく、無骨な表情のままだ。どうも、この空気感はいつものことらしい。

「僕もまさか、昨日の時点で急展開があるとは思わなくてね、桜木くんが一番焦ったかな?」

 そう言いつつも、やはりいつもの軽い調子は変わらず。自分の対応に何か問題を感じている様子はない。

「これから、警察の方で取り調べするらしいんだけど。ワタナベさん立会って話聞いてきてもらえるかな。僕もさすがに一眠りしたいから」

「…了解です」

 相変わらずの無表情のまま、ワタナベは頷き、部屋を出て行った。

「アベくんは、報告書まとめて。で、桜木くんはちょっと来て」


 須藤に連れていかれたのは、最初に翼を見せられた会議室だった。相変わらず、机と椅子しかない。

 隼也には椅子に座るように勧め、須藤は出窓になっている部分に腰を下ろした。

「さて、約束どおり、いろいろ答えないとね。何から聞きたい?」

 一眠りしたい、と言ってた割には元気そうだ。それでも、一応気遣って

「あの、お疲れでしたら後日でも。先程、アベさんに社員寮の方に人が待機してた理由は聞きましたから。そこが、自分は一番疑問だったので」

 と言ってみる。

「えー?気になってたのそれだけ?」

 須藤は子供じみた口調でそう言うと、あからさまにガッカリした顔になった。

「え、いや、そうじゃ…ありませんが」

 困惑した隼也に、ニヤッと笑ってよこす。

「大丈夫だよ。2時間くらいは仮眠取れたからね。ウィンガーを拘束すると、こういうことはよくあるから。いずれ君も、こういう勤務に慣れなきゃいけなくなるよ」

「大丈夫です。自分も体力はある方なので」

「うん、期待してる。で、なにから聞きたい?」


 須藤は子供のように無邪気な、何か期待するような表情で隼也を見つめてくる。

 隼也は一呼吸置いて、思考を整理した。

「あの子達、最初から目星がついてたんですか?」

 須藤はゆっくり首を振った。

「まさか。ただ、犯人が市営住宅の方に目を向けたいのは、市営住宅の住人じゃないから、だと思った。で、中学生同士の小競り合いの話でしょ。外国人居住者といえば、山を挟んで向こう側の社員寮がある。あそこ、同じ学区なんだよ。中学生の年代といえば、翼の好発年齢だしね。あのゴーストタウンの空き家で、何をしようとしてたのかは分からないけど、しばらく監視しておく価値はあると思って、警察にも協力を依頼した」

 隼也は頷いた。こんがらがっていた情報が一つの線になっていく。


「ワタナベさんとアベくんに、取りあえず、事件が起きた時間帯の人通りやなんかを確認して、パトロールのコース下見してもらいに行ったら、警察から宮本さんの部下も同行してくれたらしい。人手があったおかげで、あの少年も確保できたわけ。ラッキー以外の何ものでもないよ」

「あの、じゃあ、自分に事前に説明がなかったのは…」

「説明?」

 須藤は不思議そうな顔をした。

「アベさんたちが社員寮の方に張ってたこととか、容疑者が中学生とか…正直、事前に情報が欲しかったんですが」

 隼也は思い切って言ってみた。

「予想外の急展開だったのは分かりますが、すいません、自分はまだ勝手が分からないのでもう少し、説明や指示を頂かないと対応について行けません」

 隼也としては、めいっぱい下手に出たつもりだ。

 須藤がなにを考えているのか、隼也にはその表情からは読めなかった。


 隼也の指摘に苛立つでも、困惑するでもなく、普段通りの穏やかな表情で、次の言葉を待っている。

(子供を見守る父親みたいだな…)

 と、思ってから自分の父親はこんな視線をくれるタイプではなかったな、と思い直す。

 3歳ぐらい年上の人間にそんな顔で見られても、とやや屈辱的な感情が湧き上がった。

 感情的な言葉を口に出さないためには、

 黙り込むことが一番だと知っている。ただ、そんな時は思い切り表情に出るらしい。そのせいで相手にキレられることは、これまでよくあった。


 視線を逸らした隼也がそれ以上喋らなそうだと見て取ると、須藤はゆっくり口を開いた。

「君がこの仕事の勝手とか段取りとか、わからないのは知ってるよ。新人なんだからね、それで当たり前。だから、わからないまま、見て欲しかったんだ」

 隼也は須藤の方に向き直った。


「知識としては、いろいろウィンガーのことは知ってるだろうけどね。実際に見ると、だいぶ違ったんじゃない?ただ突然背中に翼が現れて、早く走ったり高く跳べるだけじゃないんだよ。僕らは」

 そこまで言って、須藤はニッと笑った。いつものさわやかなアイドルスマイルではない。

 背筋にざわっとさざ波が走った。


「ウィンガーが暴力事件を起こしたり、エスカレートすると、テロに関与したりしてるのは知っているね?この間も言ったけどさ、人並み外れた能力を急に手に入れれば、使ったり試したくなるもんだよ。通常の人間とは別格のレベルで、そんな能力誇示された時、一般的な考え方じゃ対応しきれない。この絵洲市では、そんな事件が頻繁に起きている」

 須藤は窓の外に目を向けて、一息ついた。穏やかな春の青空が広がっている。


「ここはね、そのために作られた機関だ。大きなトラブルが起きる前に、事件を起こしてる隠れ天使を探す。コントロールし難い状況を、アイロウの元でコントロールできるようにする。君の今までの経験は、もちろん生かしてもらわなきゃいけない。だけど、ウィンガーに対しては、先入観なしで対応して欲しい。桜木くんは…」

 須藤は覗き込むように隼也の目を見つめた。

「言葉や理論よりも、感覚的に物事を理解する方が得意かと思ってるんだけど。どうかな?」

 はっきりとそう指摘されたのは初めてだったが、自分でもそうだとは思っていた。

 言葉や文章で説明されるより、目の前で手本を見せてもらった方が理解しやすいし、体に入るのも早い。

 隼也の顔つきから肯定しているとみると、須藤は満足気に頷いた。

「というわけで、君への説明、解説は最低限にしていく方針だから。よろしく」

「えっ⁈!」

 思わずうわずった声を上げた隼也に対し、須藤は満面の笑みだ。

「もちろん、質問はどんどんしてくれて構わない。僕にでも、ワタナベさんや、アベくんにもね。そうだな…半年もすれば、だいぶ見えるものが違ってくるんじゃないかな」

「…は…い」

 よくわからないまま、返事をする。見えるものが違う?

 昨日だけでも相当衝撃的なものを見たが…

 頭の中に様々なシーンがフラッシュバックする。


「…須藤さんの能力って…どれほどなんですか?昨日の崖登りみたいなの、いきなり見せられたら思考力停止しますよ」

 気がつくとボヤくようにそんなことを口にしていた。

「お?そこ、興味ある?」

 褒められた子供のように無邪気な顔で須藤が前に乗り出す。

「オッケー、今度、ジムのトレーニング付き合ってよ。相手がいた方が僕も張り合いがある」

「え…あ、はい。ぜひ」

 自分で水を向けた形なのに、意外な方向に話が行って隼也は一瞬、引いた。が、このビルの最上階に入っているスポーツジムのことを思い出し、即頷いた。

 一般のマシントレーニングに加え、エアロビクス、ヨガのスタジオもある。須藤の他にワタナベや、事務スタッフも何人か通っているらしい。

 須藤がスタジオの一室を借りきり、トレーナーと一対一の個別トレーニングをしていることは聞いていた。

 どんなトレーニングをしているのか、興味があるところだ。


「でも、あの崖登りは、単純に君をビックリさせたくて黙ってたんだけどね」

 あまりにあっさりした須藤のカミングアウトに、隼也はしばし、言われた意味を飲み込めなかった。

「え…はっ?!ビックリさせ…?」

「期待通りの反応してくれて嬉しいよ」

 須藤は立ちあがり、

「じゃあ、僕は一眠りしに帰るね。夕方には戻るから」

 言葉を返せずにいる隼也に、ヒラヒラと手を振り、須藤は部屋を出て行った。

 隼也は、座ったまま須藤を見送ることになった。

「どこまで真面目に話してんだ?あの人…」


 須藤がエレベーターを待っていると、あかりが隣にやってきた。

「お疲れ様です。やっと帰れるんですね」

 あかりも昨日だいぶ遅くまで残っていたはずだが、いつもと変わりないキリッとしたスーツスタイルだ。

「まあね」

「桜木くんのこと、気に入ってるみたいね」

 チラッと横目であかりを見やり、須藤は含み笑いを漏らした。

「なに、やきもち?」

「ち、が、い、ま、す」

 あかりが口を尖らす。

「はは、確かに気に入ってるけどね。…彼さ」

 階数表示板に目をやりながら、須藤は隼也の表情を思い出していた。


「彼、僕の翼を初めて見た時、怯えたんだよ。アベくんもワタナベさんも興味しんしんって感じで、興奮しまくりだったのに。彼は…うん、ちゃんと本質が見れると思うよ」

 あかりは須藤の横顔に冷ややかな微笑みが浮かんでいくのを見ていた。

 満足気な、しかし、他人を寄せ付けない冷たい微笑みだ。ほんの時折見せるその顔が、あかりは気に入っていた。彼のこんな表情、他のスタッフは見たことないだろう。


「恐怖心っていうのは大事だからね」

 エレベーターの扉が開いた。誰も乗っていない。

「お疲れ様でした」

 軽く頭を下げるあかりに手を上げて応じ、須藤はエレベーターの扉を閉じた。

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