宵闇に赤く花火は咲く

護武 倫太郎

前編 初めて見た絶景

「私、花火って大好き。どーんって、大きな音が何回も鳴って、虹色の花が夜空に咲くの。来年も一緒に見に来ようね、花火」


 幼い頃、私は夏祭りが大好きだった。煌々と明るく照らされた、色とりどりの出店が立ち並ぶ祭が大好き。美味しい匂いが会場いっぱいに立ちこめていて、楽しい喧噪が会場中から響き渡る祭が大好き。

 そして何より、祭の締めを彩るにふさわしい、夜空いっぱいに咲き誇る大輪の花々を愛でるのが大好きだった。



 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。

 多くの人が私を責め立てる。怖い。怖くてどうにかなってしまいそう。


「あんた、上杉くんと二人っきりで夏祭りに行ったんでしょ」


「上杉くんとコトネが二人で手をつないで歩いてるのを見たって人がいるんだからね」


「幼なじみだからって、調子のってんじゃないの?」


「抜け駆けしたんだから、これぐらい当然だよね」


「私たちの心の方がよっぽど、痛いんだからね」


 中学1年生の夏休みが明けたその日の放課後、私は複数の女子生徒に囲まれ責め立てられた。直接的な暴力をふるう子はいない。それでも、大人数に囲まれ罵倒される恐怖は想像だにしていなかった。

 私が幼なじみの上杉くんと一緒に夏祭りに行ったのがよっぽど気にくわなかったらしい。


 上杉くんは幼い頃からよくモテた。甘い顔立ちに優しい性格なのだ、当然といえよう。それに運動も勉強も良くできる人だった。バスケ部に入部し、1年生ながらレギュラーをとって大活躍すると、彼のファンはとたんに増えていった。シュートを決めるごとに黄色い悲鳴が飛び交っていく光景は圧巻だった。

 

 私は小学生の頃から上杉くんと一緒に夏祭りに行くのが恒例だった。どちらから誘ったのか、今ではもう覚えていない。しかし、毎年祭の季節になると、一緒に行く流れになるのだ。約束をしなくても、そうなる。そういう空気感が二人の間には流れていた。

 きっと彼女たちは上杉くんを祭に誘わなかったのだろう。なぜなら上杉くんは誘われたら断らない人だ。これまでにも、上杉くんと私以外にも複数人で祭に行ったことは何度もあったのだ。クラスのみんなで祭りに行ったことは何度もあったのだ。

 自分で誘う勇気もないくせに、人のことをやっかむなんて、愚かで最低な弱者だ。

 だから、私は彼女らの責めに屈するつもりはなかった。


「あんたのその目がむかつく」


「なんであんたみたいなのが、上杉くんと仲良いわけ?」


「コトネなんて上杉くんに好かれる価値ないから」


「その不細工な顔、もっとブスにしてやろうか?」


「ちょっと、顔はまずいって。やるなら目立たない腹とかだよ」


 あの日以来、私は彼女らに責め立てられるのが恒例になっていた。放課後、普段使われていない教室に連れ込まれ、散々責められ続けた。次第に彼女らの行為はエスカレートしていき、暴力も振るわれるようになっていた。私と彼女ら以外誰もいない放課後の教室で、延々と殴られ蹴られる。それが毎日繰り返されるようになっていた。お腹をぐりぐりと上靴で踏みつぶされたときが一番苦しかった。


 まるで毎日が地獄のようなだった。


 私が悪かったのかな?そう思ってしまうときがときどきあって。でも、やっぱり私は何も悪くない。そう思い直して……。

 絶対こんな奴らには負けない。負けてなんかやらない。そう思っていた。耐えて耐えて、耐え抜く。その頃の私は誰よりも上杉くんと仲が良いという事実だけが、唯一の精神安定剤だった。

 だからなのだろう、それまで意識したことなんてなかったはずなのに、いつの間にか上杉くんのことが好きになっていた。


 彼女らに、上杉くんと仲が良いことを責められるたびに、私は自分の恋心を実感していく。誰からも祝福されない恋心に傾倒していく。暗闇に咲く花火のように、美しい感情だと興奮していく。

 そんな高揚感だけが、私にとっての幸福だった。


 なのに。


「コトネさ、最近アカリたちと仲良いよな。放課後も教室で一緒に遊んでいるみたいだし」


 上杉くんがかけてくれたその言葉で、私はもうダメになってしまった。上杉くんは何もわかってくれない。

 私はその日から学校に行くことができなくなった。


 私が学校に行かなくなったあの日から、上杉くんは毎日連絡をくれた。



「大丈夫か?」


「今日は学校に来れそうか?」


「明日の給食はカレーだぞ」


 その頃の私は、上杉くんが気にかけてくれることが嬉しいことなのか、あるいは鬱陶しいことなのか、ぐちゃぐちゃの感情にかき乱されるようになっていた。

 それでも、毎日連絡をかかさずにくれる上杉くんの気遣いを感じて、次第に嬉しくなっている自分がいた。どうしよう、やっぱり好きなんだなあ。私は改めてそう感じていた。


 そんな日々が続いて約半年がたち、今年も夏祭りの季節がやってきた。

 毎年、上杉くんと夏祭りに行くのが恒例だったが、今年はどうしようか。さすがに祭りには行けないか。でも、もし上杉くんに誘われたなら行っても良いのかな。


 そんなことを考えていたやさき、その日はやってきた。上杉くんから夏祭りに誘われたのだ。

 毎年の恒例行事。でも、今年は少し違う。上杉くんから祭りに誘われたのだ。これまでは約束なんてしたことがなかったのに。それに、私の気持ちも違う。

 上杉くんに、とびきりきれいな私を見てもらって、一緒に最高にきれいな花火を見て、何よりも素敵な1日にしよう。

 もしそうなったら、私はきっと、もう一度学校に通える。


「上杉くん、今年も一緒に花火を見に行こうね」



 夏祭り当日、私はお母さんに頼み込んできれいに浴衣を着つけてもらった。久しぶりに家の外に出ようとする私のことを、いっぱい喜んでくれた。良かった。祭りに行くって決めてよかった。

 頭にはきれいなかんざしを付けてもらった。花火の模様がとってもきれいな、お気に入りのかんざし。

 上杉くんにも気に入ってもらえるかな?


 だというのに、夏祭り会場についたとたん、上杉くんの誘いに乗ったことをもう後悔していた。

 待ち合わせ場所には、上杉くんだけじゃなく、私を散々責め立てた女子の一人がいたのだ。彼女も私同様にきれいな浴衣を身に纏い、うっすらと化粧までしていた。

 彼女、アカリの目には戸惑いと、憎しみのような感情がくっきりと浮かんでいる。私自身も、彼女の感情は正当なものだと思うし、責めるつもりはない。

 なぜなら、私自身もやはり同じような目をしていただろうから。


「え、待って上杉くん。もう一人待ってる人って、コトネ?」


「うん。そうだよ。よし、全員揃ったところで、祭の会場に行こうか。あ、でもその前にコンビニ寄っていこうか。夏祭りの会場はトイレ激混みだから、今のうちに行っておいた方が良くない?」


「そ、そうだね。何かあったら困るし寄っていこうか」


 上杉くんの言葉に従ってコンビニへと向かう。私は来る前に済ませていたから、立ち寄る必要はないと思っていたけれど、仕方がなくついていった。何も買わずに帰るのは失礼だと思い、から揚げ串を買った。からあげの出店なんていくつも出ているのに、そう思うと余計に気持ちが沈んでいった。

 そこから先、私たちがどんな会話をして何をしていたのか、記憶はほとんどない。上杉くんがずっとしゃべっていたのではないだろうか。


 私はこれが、上杉くんなりに気を遣った結果なんだろうなと思った。

 私はなぜ学校に行かなくなったのか、上杉くんに教えたことはなかった。それを話してしまうと、私がアカリたちに負けたことになると思っていたから。

 そのうえ、上杉くんは私とアカリたちが仲が良いと勘違いしている。

 だから、仲の良い者どうしで、楽しく夏祭りを過ごせれば、私が学校に行きやすくなるのではないか。そう考えたに違いない。

 まあ、完全に的外れも良いところなのだが。


 夜が更けてきて、そろそろクライマックスの大花火大会が始まろうかという時間が近づいてきた。


「よし、そろそろ花火見るために移動しようぜ。俺穴場のスポット知ってるからさ」


「そうね。あっ、あたし先にお花摘みに行ってもいいかしら。コトネも一緒に行きましょう」


「う、うん。分かった」


 アカリは私を誘うと、ぐんぐんと前に進んでいく。トイレを過ぎて尚、歩みを止めるつもりがないようだ。ずんずんと人気のない方へと連れて行かれる。あの放課後の地獄を連想し、思わず吐き気がこみ上げてくる。


「ねえ、とっとと帰れば?」


 何の感情もこもっていないような声で、アカリはつぶやく。


「あたしも鬼じゃないからさ。そのきれいな浴衣を土で汚したくはないんだよね」


 そんなことを言われても、私は帰らないよ。だって、今日は上杉くんと一緒に花火を見るんだもの。そう決めたんだもの。


「あんた本当にウザい」


「とっととあたしたちの前から消え去れよ」


「せっかくのデートの邪魔すんな」


「キモいんだよ、コトネ」


 アカリは私の言葉には耳を貸さず、罵倒をやめようとはしない。

 ねえ、もう花火始まってるよ。夜空いっぱいに花が咲いているよ。ああ、全然見れてない。このままじゃ、花火が終わっちゃう。それはダメ。絶対に、ダメ。

 だって、私は上杉くんと素敵な思い出を作って、学校に行く勇気を貰うんだ。上杉くんと一緒に花火を見なくちゃ。

 だから、私はこんなところで負けてはいられない。この邪魔者を何とか排除しなくちゃ。

「あんたさあ、…………えっ」

 私はコンビニで買ったから揚げの太い串を、アカリの小ぶりな胸にねじるように力任せに突き刺す。串をぐりぐりとねじるようにすると、聞いたことがないような汚い声でアカリは絶叫をあげた。

 胸元にぽっかり空いた穴からヒューヒューと真っ赤な血が噴き出す。その光景が私には花火のように見えた。もっときれいな花火を咲かせたいな。


「クソ女、てめえ、何しやがる」


 汚い声は、まるでどーんと響く花火の音。それがもっと聞きたくて、私はアカリの喉奥に串を突き立てた。口から血が泡のように噴き出して、ごぼぼぼと声にならない音が響く。ああ、なんて良い音なのだろう。

 もっと、もっと、私は力の限りに串を突き立てる。殴るように、突き刺す。ひゅうひゅうと血が飛び散って、きれいな花火を咲かせていく。

 私の体にかかったアカリの血は、とても熱く、まるで火花みたいだと、私は思った。


「ああああぁぁぁぁ…………」


 白い肌から吹き出す熱くて真っ赤な鮮血は、夜空に広がる大輪の花。私はもっとその花を咲かせたくて、アカリの華奢な身体にかんざしを突き立ててみた。


 なんて、なんてきれいなのかしら。


 空一面に咲いた虹色の花火と、宵闇に浮かび上がる赤黒い花火。それをつなぐは花火のかんざし。三つの花火が混じり合うこの光景は、これまでに一度だって見たことがない絶景だわ。

 そうだ。この景色を上杉くんにも見てもらおう。このとびきり素敵な光景を一緒に見ることができたら、きっと私の人生はもっと素敵に彩られるに違いないわ。


「おーい、コトネー、アカリー。二人ともどこに行ったんだー?」


 あら、ちょうど上杉くんが私たちを探しに来てくれたみたい。


「上杉くん、こっちよ」


 私は上杉くんの元に駆け寄った。


「なんだこんなところにいたのか。探したよ。あれ、アカリは?」


 今、上杉くんにも見せてあげるね。とっても素敵な花火に生まれ変わったアカリを。

 上杉くん、喜んでくれるかな?あんなに素敵な光景を見たら、きっと感動しちゃうに違いないわね。


 私が精一杯の勇気を出して握った上杉くんの手のひらが、ぬめりと滑り落ちていった。

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