10年前に戻ったら再会した幼馴染がぐいぐい来る件について
空田ゆう
10年前に戻ってもきっと世界は変わらないだろう
序章 10年前に戻ってもきっと世界は変わらないだろう
桜の花びらが秒速5センチメートルで舞い踊り、ゆっくりと着地した。
周りにはこれから青春が始まるんだという期待を持ち、目を輝かせ、家族や友達と騒ぐ生徒で埋め尽くされている。
そんな中、俺は深々とため息をつき志望校であった清水高校の合格発表の張り出しの掲示板の前で立ち尽くし、その掲示板を睨めつけた。
「どうしてこうなった……」
絶望感のある声で独り言を漏らすが、別にその合格発表に名前がなかったわけではない。
気が付けば握りつぶしていた俺の受験票に書かれた番号はたしかに合格発表者の欄に連ねられている。
それなら、何が問題かというとだ……。
俺、山岸直人はついさきほどまで、25歳の疲れ果てたサラリーマンであったはずだ。
もっと言えばブラック企業に勤めており、サービス残業会社で寝泊まり当たり前の社畜だった。
そのはずなのに俺は使い古してくたくたになったスーツではなく学生服を見に纏っていた。
これはこの場所に立った瞬間からいつの間にか着ていたものである。
何よりこの現実を教えてくれるのが隣の少女の存在だった。
「あ! ありました! 合格です! 直人くんはどうでしたか?」
元幼馴染であるその少女は嬉しさを堪えきれないように声を弾ませ、俺を上目遣いで覗き込んでくる。俺にはそのシーンが妙にゆっくりと感じられ、全てがスローモーションのように見えた。
彼女の名前は佐伯ゆい。150センチにギリギリ届くかという小柄な身体に吸い込まれるような目が特徴的で綺麗に整えられた黒髪のショートボブにセーラー服を身にまとっている。
10年ぶりに顔を合わせたはずなのに俺の記憶のままの幼馴染がそこにいた。
* * *
ギギギッと鈍い音を立てて玄関を開けると、俺は自分の部屋へと倒れこんだ。
手探りで明かりをつけると、ゴミだらけの部屋を薄暗く灯し出し、深々とため息をついた。
社畜として生活している中にそもそも自分の部屋に帰ってくる時間も限られているのだから、部屋を片付ける余裕なんてあるはずもない。
俺はそんなゴミ屋敷を至る所に足を引っかけながら、前に進んだ。
「あー……死ぬ」
最早口癖になりつつある言葉を死にそうな声で呟くと、ふらつきながら食卓の椅子にもたれかかった。
およそ一週間ぶりの帰宅だ。
慣れてしまった会社での泊まり込みの仕事も疲労感だけはなれることができず、体の芯にまでずしりとした疲労感が残っている。
残業時間も本来ものすごいことになっているはずだが、その分の給料は出ているわけではなく、東京にやってきた時から住んでいる安アパートを抜け出せずにいた。
俺はしばらくの間、電池が切れたように動けずにいたが、何とか気を取り戻し、買ってきていたコンビニ弁当を開いた。
少しだけ冷めてしまった弁当を一人食べ進めながらテレビをつけると、少し驚いた。
俺の幼馴染である佐伯ゆいの姿が映っていたから。
この番組はここ数年続いているバラエティ番組で、今話題の人物を紹介する番組である。
俺の幼馴染である佐伯ゆいは人気声優になっていて、最近、日本映画史に残る大ヒットしたアニメ映画の声優を務めたということで、声優にも関わらずテレビ番組にさえも頻繁に出るようになる売れっ子になっていた。
「何ともまあ、差がついたものだよなあ」
俺の人生は高校時代に引きこもりになり、何とか立ち直って就職してもそこはブラック企業だった。俺のこのクソみたいな人生と、輝かしい人気声優になった佐伯ゆいとでは比べ物にならない。
子供のころはどんな時も一緒だった。
けれど、高校時代に俺が引きこもりになる少し前から疎遠になり、それから10年ほどたつが全く接点がなくなっていた。
俺ができるのは人気声優になって遠い存在になってしまった彼女をファンとして応援することくらいだ。
そんなことわかってはいるが、自分の人生の悲惨さを突き付けられたようで死にたくなる。
俺はベッドに倒れこむように横になると、そのまま死んだように眠ってしまうことにした。
* * *
ふと目が覚めると、妙に眩しい光に思わず目をつむった。何度か瞬きをして目を開くと、一人の女の子が目の前に立っていることに気づく。
「あんたが山岸直人ね?」
その女の子は腕を組み偉そうな表情でやや高圧的な態度で話しかけてきた。
染めたわけではないと言い切れるほど綺麗な金色をした髪でやや吊り上がった目。テレビでよく見るモデルが何倍も美しくなったのではないかと思うほどの高校生ぐらいの女の子だった。
「ああ」
俺はとりあえず頷くと、その女の子は気怠げに口を開いた。
「じゃ、あんたには10年前に戻ってもらうから、よろ」
「と、突然、なんなんだよ! お前!」
10年前に戻れと言われても意味が分からないし、どう見ても女子高生くらいにしか見えない女に突然上から目線でキレられたせいで、頭にはてなマークが10個くらい浮かんでいる。
「は? なによ。あんた、人間ごときがお前呼びとかマジ不敬なんですけど」
「いや、何様のつもりだよ」
「はあ? 何様って天使様よ」
「お、おう……そうなのか………………」
最近のJKは自分を天使と名乗るのか。というか女の子も中二病ってかかってしまうものなんだな。可哀想に……。
黒歴史を大量に生み出してしまう中二病ってほんとに滅んだほうがいいな。
「あんたねえ……、何失礼なこと考えてるのよ! 本物の天使様よ! この格好と天使の輪を見てもわからないの?」
彼女の頭上をよく見ると、光るわっかみたいなのが浮かんでいるように見えた。
「最近のコスプレはこんなにうまくできてるのか……すごいなー」
「だ、か、ら! 本物だって言ってるでしょ」
意地でも本物の天使と認めさせようと必死になっている。
「そっかー、天使様よろしく頼むな」
(そんなに天使と認めてほしいんだったら、認めてあげるか)
子供の失敗は誰にでもあるものだし、俺みたいな大人は優しく見守ってやるべきだろう。
そんなことを思って優しい目で見ていると、彼女は黙り込んでプルプル震えている。
「どうした?」
「あんたねえ、ほんとにぶっ飛ばすわよ」
そういうと天使様はツカツカと歩み寄ってくる。
「は? え? ちょっと待てよ」
ほんとにボールみたいに俺をつかみ取り、思いっきり振りかぶって放り投げられた。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!
ほんとにぶっ飛ばす奴があるかああああああああああああああああああああああああ!!」
どんっと地面に激突するがなぜか痛みは感じない。
何とか我に返って辺りを見渡したのだが、ただ広く白い世界が広がっているだけで何も見当たらない。
何も見当たらないとは本当に何も認識することができないのだ。ただ白にしかみえず、どれくらいの離れた距離に天井があるのか壁があるのかがわからない。まずこの世界に限りがあるのか。それすらもわからない不思議な場所だった。
辺りの状況を確認した後、最後に足元を見ると、足がなかった。
「……なんだよこの体」
足どころか手も胴体も見当たらず、混乱してしまう。体と呟いてしまったがそもそも体が存在してないように見えた。
本当によくわからない状況だが、俺の体は投げられたところを見ると球体のような形をしているのだろうか。
「体って、あんた体なんて無くてただの魂じゃない」
「は?? いつからこうなってたんだ?」
「気づいてなかったの? ウケる」
彼女はヘラヘラと笑って、続ける。
「あんた死んで魂だけになってここにいんのよ」
「マジ、かよ……。じゃあお前が天使ってのも本当なのか?」
「だからそういってんじゃん。まだ信じてないの?」
俺はたしか仕事場から一週間ぶりに家に帰って来て寝ていただけだ。そんなこといつものようにこなしていたのに簡単に死んだなんて信じることはできなかった。
だが、自分の魂のような体を見たことで徐々に受け入れるしかないと思えてくる。
「……ちなみに死因は? 俺は家に帰って寝ただけのつもりだったんだけど」
「過労死よ。死んだように眠ってそのまま死んじゃったってやつね。ふふ、ウケる」
他人事だと思って笑いやがってと思わなくもないが、反論する気も起きなかった。
「そうか……俺死んだのか」
これで俺の人生も終わりか……。
思い返してみると、高校に入学してからいじめをうけて引きこもるが、何とか立ち直り少ない選択肢の中、就職先をみつけ入社できてもブラック企業と、散々な人生だった。
(痛みもなく眠るように死ねてよかったのかもしれねえな)
散々な人生だったからこそ、死んでしまったということにどこか安堵してしまっている自分もいた。
ブラック企業で働きつぶされ、人生に希望なんてごくたまにある休日にアニメや漫画をみるくらいしか見出すことができず、なぜ生きているのかわからなくなるようなそんな日々だったから。
「だから、10年前に戻すって言ってんじゃん。そこからやり直せばよくない?」
俺が感慨に浸っていると、天塚は繰り返すように言った。
そういえば、一番初めにそんなことを言っていたな。
10年前か……。俺が今25歳だから10年前は15歳。つまり高校に入学する年だ。
黒歴史を散々生んできた高校時代。あそこから俺のハードモードの人生は始まったのだ。
俺の脳裏にはたくさんの高校時代の黒歴史が蘇ってくる。
調子に乗って自分が面白いと思うことをやっては滑りまくってその結果、いじめられ友達もできず部屋に引きこもってしまった高校生活を思い出して何度死にたくなったかわからない。
もしも10年前に戻ってやり直せるとしたら俺はバラ色の青春を送れるのだろうか。
答えは否である。
「ぜええええええええええっっっっっっっっったいに嫌だ!!!」
俺が叫ぶとその天使とやらは意外だとでも言いたげな顔をした。
「なんでそうなるのよ。普通の大人は高校時代に戻りたがるものなんじゃないの?」
「いいか? それは高校時代輝かしい人生を送って来た者だけが言える言葉で、俺みたいな負け組はそんなこと言わねえよ」
「は? やり直したらまた違った人生を送れるかもしれないじゃない」
「そんなことはねえよ。何度やったって俺は俺でしかない。同じような負け組人生を送るだけだ」
そもそも、一人の人間が選べる選択肢なんて限られており、その限られた選択肢の中に自分の世界を変える選択肢なんて存在していないのだ。
だとしたらなぜやり直しなんて望む必要なんてあるのだろう。
「は? やってみなくちゃわからないじゃない」
「わかるんだよ。俺自身が俺のことを一番わかってる。この人生とかいうクソゲーを"さいしょからはじめる"なんて真っ平御免だ」
俺にとって過去に戻る行為とは散々苦労してクリアしてきたゲームを、ある日突然最初から始めさせられるようなものである。
現実に嫌気がさすことはあってもやり直しなんて望んだりはしない。
どうせ同じような生活をやり直すことになるだけだからな。
この人生という苦行ゲーを最初から始めるなんて堪ったものじゃない。
「もおおおお、あんたほんとにめんどくさいわねええええ!!」
彼女はつかつかと歩み寄り、俺をぎゅっと掴んで歩き出す。抵抗しようにも魂だけの体じゃ逃げようがない。
「おい、何するんだよ」
「あんたの意見なんてマジどうでもいいし、これ神様の命令なんだからあんたが10年前に戻ることはもう決まってんの」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 10年前で俺はなにをさせられるんだ?」
「別に何もないわよ?」
「じゃあ、どうして俺を天国的な場所に連れてってくれないんだよ」
「無理だって言ってるでしょ」
彼女はようやく立ち止まると、突然扉らしきものが出てきて彼女はその扉をガチャリと開くと、そこだけ白い世界が切り取られているかのような闇が広がっていた。
「じゃ、せいぜい頑張りなさい」
そういうとごみでも捨てるように、開いた扉に向かって放り投げた。
「ちょっと待てっていってるだろおおおおおおお!!!」
そんな風に叫んだ時にはすでに遅く、俺は無限の闇へと落ちていった。
* * *
そうして気が付けば俺の母校である清水高校校門前に立ち尽くしていたのだった。
「どうしてこうなった……」
本当に意味が分からない展開で、俺はそんな独り言を漏らすほかない。
「あ! ありました! 合格です! 直人くんはどうでしたか?」
そんな俺の事情など知るよしもない俺の元幼馴染は嬉しさを堪えきれないように声を弾ませ、駆け寄ってきて俺を覗き込んでくる。
彼女の名前は佐伯ゆい。150センチにギリギリ届くかという小柄な身体にぱっちりと開いた大きな目が特徴的な俺の記憶のままの元幼馴染みがそこにいた。
佐伯ゆいと顔を合わしたのは10年ぶりになるが本当に記憶のままの姿で、否応なく俺に現実というものを教えてくれていた。
「あ、ああ。受かってたぞ……」
なんとか冷静になって、その問いに答えると佐伯ゆいは大きな目でと俺をじーっと見つめて首を傾げた。
「なんだよ」
「直人くんもしかして具合悪いですか?」
「…………そんなことねえよ」
「じゃあ、なんで合格しているのに不機嫌そうなんです?」
「いや、ただな……。高校生活三年間やっていけるか不安になっただけだよ」
一瞬で不満を見抜かれて驚きながらも言い訳を返した。10年後からやって来たなんて言っても到底信じてもらえないだろうし、仕方ない。
言い訳とはいえどもこれは別に嘘というわけではない。
高校三年間は俺の人生25年間における最大の黒歴史発生期間だ。思い出すだけで死にたくなるくらいの思い出がいくつもある。そんな高校生活をやり直すなんて不安しかない。
「そうなんですか? 直人くん高校生になるのをすごく楽しみにしてたじゃないですか」
「そうだったか?」
思い返してみると、この時期は小中で一緒だった奴らと別れて初めて新しい環境に飛び込むということで不安もありながらも期待は大きかった気がする。これからどんな人生が待ち受けているのかも知らずに呑気なものだった。
「まあいいです。これからもまた同じ学校ですね。直人くん」
「……ああ」
「その……改めてよろしくお願いしますね」
佐伯ゆいの大きな目をすっと細めてにこりと笑う姿は、10年前の記憶のままの幼馴染がそこにいて、俺はうっかり見惚れてしまっていた。
過去に戻ってもきっと俺の世界は何も変わらないだろうという考えは今も変わっていない。
俺という人間は10年前に戻ってきたところでまた同じような失敗を繰り返すだけだとそう思ってしまう。
けれど、もう二度と顔を合わすことがないだろうと思っていた彼女に笑顔を向けられたというただそれだけで……。
10年前に戻ってくることができてよかったのではないかと思ってしまったのだった。
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