「きみはわたしのおよねさん」【紙本祭 サンプル】

ワニとカエル社

サンプル1

舞台はある国、いつの時代にもよくある王権争い。古から続くカルマノフ王国は、今やその戦争の最中だった。

五人の王子と一人の王女は大切に育てられていたが、突然国王が謎の奇病に倒れてしまう。国一番の薬師にも手に負えず、王室はそれ以降不穏な動きを始める。五人の王子たちは『誰かの助言』から、二つに分かれて仲違いをし始め、王子たちも奇病に倒れていき、国の中は誰にも止められない混乱の渦の中へ。

そしてたった一人の王女が姿を消す……あるメモ書きを残して。

『およねさん、みつける』

王女はまだ幼く、残念なくらいに頭が弱い。

そもそもその『およねさん』というのも、彼女の兄たちの受け売り。

 『一人前になるためには自分のお嫁さんをもらい、国を背負うことが必須』

 そんな話をしていたのを覚えていた王女…カカルは、自分も一人前になって国を救うためにお嫁さんを探しに行こうと思ったのだった。


そんな彼女…カカルが出会ったのが、ある青年だった。

見たことのない蒼の髪、黒い法衣を着ている。

男は丸腰。国境の境だというのに、何の武器も持たず、その体つきも鍛えているとは言えない細腕だ。

その彼の目の前には、漆黒の野犬が牙を向いている。普通の野犬と違うことが分かるのは、その牙は黒く、尻尾は漆黒の炎がちろちろと揺れていたから。それは『黒族くろぞく』と呼ばれる、この世界をたびたび脅かす人の天敵だった。

 いつの時代から現れてきたのか定かではなく、時たま姿を現しては人を襲う。獣のような小さな姿であればその程度の被害だが、人の言語を操る高位の『黒族』たちは『世界を支える七つの存在』に近しいとされ、過去の大戦をその力で裏から操ってきたと噂された。

「にーちゃん、あぶないぞ!」

カカルは男の前に走りこみ、漆黒の狼…黒族と向かい合う。

「な、なんだよ。お前だって危ない…」

 動揺した男は、振り返ると同時に驚く。カカルは体に見合わない大きな剣を両手に握っていた。カカルの幼い体を支えるように、剣の先が地面に刺さっている。

立ちはだかる狼は、カカルと同じくらいの大きさ。強靭な牙に素早い前足。子供なら簡単に喰いちぎられてしまうだろう。

しかし、カカルは恐怖の色さえ見せず、剣を持って意気揚々としていた。

「さぁ、かかってこい!」

 野犬の咆哮。同時にその巨体が素早く動く。合わせてカカルも駆け出した。

宙に上がったその体躯。跳躍にしては、飛距離が長すぎる。野犬の鋭い爪をかわす反射神経も子供とは思えない。彼女の後ろで見ていた男の目が変わった。

…ただの少女ではない。幼いながら、相当の鍛錬を積んでいる。

「カカルあたーっく!」

遠心力を利用して振り回した剣で、あっさりと野犬の体を両断してしまった。

見ていた男は呆気に取られて声も出ない。

ただの子供とは思えなかった。彼女自身がすごいのか、彼女の持つ剣になにか仕掛けがあるのか。

「えへへー、カカルつよいでしょ。にーちゃん、だいじょうぶか?」

あどけない笑顔は子供そのものだ。伸ばした手の先にいる腰を抜かした男は、我に返ったのか仏頂面に戻る。

「…あ…ああ」

無愛想にカカルの手を握り、立ち上がる。

目深に法衣を被り直すが、隙間から覗く髪色は太陽の光に反射して綺麗に光っていた。

砂まみれになった法衣と髪を払う、その男の様子をカカルは不思議そうに眺めていた。

「…そんなに髪の色が珍しいかよ」

 確かに髪の色が特徴的なのは、彼も自覚していた。染められた髪色は様々あるが、天然の蒼の髪は何処の国にもいない。見る者が見ればすぐに分かる…これは負の烙印。

しかし、何も知らないカカルが、不思議そうにしていたのは、髪の色ではない。

彼への直感だった。

「ねぇ、にーちゃん、

カカルのおよねさんになってよ!」

「あ?」

全く意味が分からず、脈略もない発言。

間の抜けた男の言葉に、カカルは怯まず笑いかける。なぜか自信たっぷりに。

「にーちゃんがいいんだ。なんとなくだけど、そんなきがする!」

 彼自身、危機一髪のところを助けてくれたことに関しては感謝していた。しかし、身元不明の頭の悪そうな子供に、いきなり嫁になれと言われて動揺しない者はいない。

「お前、…俺のこと知らないのか?」

「うん、しらない。カカルはカカルだよ!

にーちゃんはなんてよべばいい?」

「お前なぁ…」

男はため息をつく口を閉じる。

…彼女の前に立つこの男は、悪名高い『堕落レイラスイブル』のヴィート。

オウファン共和国に存在する、神の使いと信じられる『神子しんし』を殺した重罪人で、すべての国から追われる身であり、彼の持つ特別な力は危険視されていた。

宮廷や王族直属の式使いだけが知る『術式じゅつしき』を、どこの者とも知らぬ少年が扱う。それも今や秘術とされている古代の『術式』の一つ…『水の式』を扱う『識力しきりょく』を持つ。そして『識力』の規格外な要領量ゆえか毛髪が変色。それ故に『黒族』と交わったと噂されていた。

「…お前、いくつだ?」

カカルの容姿は幼い。赤い髪色はぼさぼさで、着ている服も革でできた粗末なワンピース。彼女の笑顔がなければ、城下町の男の子と思われても無理はない。かつヴィートは彼女とほんの数秒前に会ったばかりなので、目の前の女の子が今しがた通り抜けてきた王国の王族だということも知らない。

「カカルはねー……えと、じゅっさい!」

「断る」

即答だった。ヴィートは十七。年齢より大人びて見えるのは、過ごしてきた経験値が比例しているのだろう。

「…お子様のお遊戯なら余所でやるんだな。さっさと家へ帰れ」

「にーちゃんはどこいくの?」

城に背を向け、外れの森へ行こうとしていた。カカルとてその先は知らない未知の世界。

「…西の国だ。この国の隣で顔が割れたから、はるばる逃げて来たんだが…ここ、なんか戦争やってるだろ。巻き込まれるのはごめんだ。さっさと出ていく」

「だいじょーぶだよ。そうだ、カカルんちおいでよ!」

つまり城のことだが。あまりにも気軽に言うので分かるはずないだろう。

「…あのな、お前は知らないみたいだが、俺とあまり関わらないほうがいいぞ。確実にやっかいなことに巻き込まれるだろうから、ここでサヨナラしておけ」

「そーはおもわないけどなぁ…。カカル、にーちゃんのことわるいっておもえないもん」

首を傾げるカカル。構わず彼女に背を向けたヴィート。つい苦笑する。事情を知らないとはいえ、これほど好意的に接されたのは久しぶりだった。無知というのは時に人を癒すこともあるのだな、とヴィートは心の中で呟きながら歩きだす。

…そして、足音は変わらず二つ。

「だから…なんでついてくるんだよ。聞いてたか?

それにお前はここの国の子だろ。俺についてくる理由なんて何もないだろうが」

「りゆうならあるよっ。あのね、カカルのにーさまがね、わるいもののいいなりになってるの。

でもにーちゃんとなら、なんとかできるようなきがするんだ。

ね、だからカカルといっしょにいこ!」

一瞬、ヴィートは同情した。カカルが兄の話をしたとき、悲しそうな顔をしたから。苦しいことなど微塵も知らないような、くだらない子供だと思っていたのに。

…そして、彼は意外と情に弱い。

「なんとかできるかどうかも分かんねーけど…いま材料切らしてて、仕入れに行くんだ。悪い奴と戦うんなら装備が無いと駄目だろ。だから西の裏市場行かないといけないんだ。それが終わったら戻ってきてやるから、それまで家で待ってろ」

「それはいやだ、カカルもついてくっ。

にーちゃんはカカルのおよねさんなんだから!」

「……あのな、というかお前女の子だろ?」

 話が進まない。ヴィートはため息をつきながら、この子供を追い払う方法を考えていた。

『…まぁ、たかが子供だ。どうせ親元が恋しくなったら帰るだろう。それにこういうアホそうなガキがいれば、俺のほうまで目がいかないかもしれない。

…腕も立つようだし、西の国までの隠れ蓑にでもするか』


そういうわけで、カカルとヴィートは一緒に西の国に向かうことにした。

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