家や学校で無能と蔑まれている俺がまさかの世界を救うヒーローにww
やせうま
新米ヒーロー
第1話 少年はヒーローになれないことを知っていた。
朝人にとって設楽 春という存在は彼の居場所のような物だった。
「ふざけるな」
震える声で言った。
彼は静かに泣いていた。
彼は、自分がヒーローになんてなれないことを知っていた。
きっと何者にもなれないであろう自分をただ呪うことしかできない。
シャワシャワと蝉がなく。
その静かな場所に爆発音は強く響いた。
⭐︎
梅雨は明け、酷暑が日中を襲う季節が到来した。
その暑さは朝とて例外ではなかった。
時計を見てみると、午前の6時3分を指している。
彼は静かにベッドを出ては、すぐに身支度をする。
今日は平日で、いつも通り学校がある。
別に火急のようなどはないが、家族と鉢合わせすることを忌避して彼は誰よりも早くこの家を出る。
この家は居心地が悪い。
幼少の頃から、ずっとそう思っていた。
兄弟たちとは自分と完全には血がつながっていないし、さらに彼らは優秀で、秀でた才能をそれぞれ遺憾なく発揮していた。
自分とは違って。
そして、彼らと違って自分は両親には愛されていない。
兄弟との対応の温度差に幼少の頃からそれを自覚していた。
理由は簡単だった。
望まれない子だったのだ。兄からその理由を聞かされた。
『親父が浮気して出来た子供がお前なんだよ。』
当時小学三年生の彼は、当時中学三年生の兄にそう聞いた。
私生児と言うらしい。
ならこれが妥当なのかと、蝉が五月蠅いあの季節に一人納得していた。
身支度をして、食パンを一枚無断で手に取って何も施さぬまま食べて外に出た。
☆
学校につき、朝人がまずやることは兎の餌やりだ。この中学校では生物係があって、活動内容は3羽の兎の餌やりを含めた諸々の世話。
片手に持った細切りの人参をやると、ぽりぽりと遮二無二に食べる兎の姿は結構好きな景色だ。
朝人にとってこの生物係は朝早くに学校に来れる大義名分として都合のいいものだったが、それだけではなくこの仕事に満足もしていた。
兎かわいい。
生物係の仕事を終え、教室に入るとまだ早い時間だというのに一人の生徒が隅っこの席にぽつりと座り何やら分厚い本を読んでいた。
彼女の名前は
髪は無造作に伸ばされ、目を隠し体の節々には包帯が巻かれている。そしてそんな外見と合わせて彼女の性格にも難があり彼女と関わらないのがクラスの不文律となっていた。
朝人自身も、彼女とは関わらないようにしている。
朝のこの時間、大抵彼女はこの教室にいるので最初こそ挨拶をしていたものの朝人は無視をされ続けた。
『...きも』
彼女より早く教室にいたらどう反応するかなと気になった朝人が、彼女よりも早く登校してドヤ顔で教室に待っていた時に言われた言葉だ。
適切なパーソナルスペースって人それぞれあるよな、とは朝人の強がりだ。
この静謐な教室の中、朝人も彼女に倣って読書をする。
読書といっても、その中身は漫画で本当は学校に持ってきては駄目なものだが人がいないこの時間帯は大丈夫だろうと楽しく読ませてもらった。
今彼が読んでいるのは所謂ヒーローもので正義が悪を伐つ勧善懲悪な物語。
その姿にひどく朝人は憧れた。
ただでさえヒーローものが好きだった朝人なのに、この漫画の物語や出てくる人物たちの魅力にやられ熱狂的なファンとなってしまった。
といっても漫画を買うお金はないので、友達からこの本を借りている。
その友達は違う学校の年下の子だ。好きな物が一致して以来、昵懇の仲と言ってもいい間柄だと朝人自身思っている。
その本に没頭していたが時計をふと見てみると、時間が意外にたっていることに気がついた朝人は急いで漫画を鞄に直して小説にクラスチェンジさせる。
誰かにチクられて没収なんてされたらその友達に合わせる顔がない。
時間がたつにつれて教室に人は増えて、騒々しくなる。
ある程度のグループに分かれては、それぞれがそれぞれで駄弁っている。
朝人は考えていた。
今日はどこのグループに居させてもらおうかなと。
右前では、サッカー部やテニス部などのグループが談笑していて、左前は華美な装飾を多くつけている女子たちがコスメ等の話をしている。後ろの方では少々オタクチックな人たちが集まって話をしている。あとはちらほらと個人で本を読んだり、誰かと同様話していたりとしている。
前列の方は無理だなと、考えていた。華美な女子のなかに入るわけもないし、男子たちのグループでは、テニス部の西崎という少年が陰で月見里っておもんねーよなという言っていたのを朝人は偶然聞いてしまっていたのでさすがに入りにくい。
ならばと、朝人は後ろのグループの方に入れてもらおうと行動した。
「おはようww」
当たり障りない挨拶で、できる限り笑顔に。それらを意識して、朝人は輪に入っていく。
少人数のところへは行かない。相槌を打てていれば困らない人数のところへ朝人はいつも行く。
朝人自身この行為自体に後ろめたさもあった。
いてもいなくても変わらないような存在。
それでも一人でいると言うことは彼の恐怖でしかなかった。
孤独は感じる。それでも恐怖は感じないからそれでよかったのだ。
そうして学校は終わっていく。
無難に授業を受けて、無難に友達と話して、無難に過ごす。
「んじゃ、やっといてな。ありがと」
「ww、おけ」
放課後。夏が深まったせいか日の落ちる時刻は遅くなりまだ青空が窓には広がっていた。
そんな中、朝人は一人で教室の掃除をする。
単刀直入に言ってしまえば押し付けだ。
掃除当番の班員を見て、朝人はこうなるだろうなとは察するような人員ではあった。
「やるか」
誰もいない教室で誰にも聞かれない言葉は響いた。
⭐︎
掃除を終えて、帰宅の準備をする。
その間にグラウンドから野球部の声が響いてきた。
ベランダに出てみてその様子を見ると、野球部だけではなくて陸上部やサッカー部、テニス部が汗を流しながら部活動に精を出していた。
この様子に少しの羨望の眼差しを朝人は向けている。
少しの間外を眺めていた、そんな折だった。
二人の生徒が体育館外の隅で何やら揉めているのを発見してしまう。
その二人はテニス部で一人は朝人と同級生で同じクラスの西崎で、もう一人は朝人の弟の
朝人は焦り、逡巡する。
どうすればこの状況を打開できるのか、考えれば考えるほど混乱は深くなる。そのせいで、もう何をしていいのか分からなくなった朝人は叫んでいた。
「あああああーーーーーーー!!!!」
自分で自分の行為に驚いた朝人はベランダの陰にとっさに身を隠す。
息が少し荒くなっていて、動悸がする。
そーっとあたりを確認すると数人の部活生が先の声の出所を探しているのかキョロキョロとこのあたりを見ていた。
焦った朝人は急いでこの場を後にした。その際あの二人が離れているのを傍目に確認し、少しの安堵が心に灯る。
家に帰り着いた。雲が少なく、日が照っていて急いで帰宅したせいで汗だくになっていた。
玄関に入り義母が居ることを確認すると、朝人は存在感を消して自身の部屋に入る。
すぐさま貸してもらった漫画を黒いリュックに入れて、出かける準備をする。
今日は漫画を貸してくれている友達と遊ぶ日だ。
彼とは遊ぶ日を曜日で決めている。水曜日と日曜日に朝人自身たちが作った秘密基地にて集まるのが彼らの通例だ。
準備を終え、外に出ようとすると廊下を歩いている継母と出くわしてしまった。
それだけで息が詰まる。
立ち止まってしまう。
対して相手の反応は冷淡だった。一瞥もくれずにまるでそこには朝人がいなかったようにただすれ違うのみ。
朝人は数秒だけ立ち止まって、自身の目的を思い出し玄関を出た。
錆びた古い自転車のペダルを踏みしめては目的の場所にいく。
蛇行した登り坂を欄干に沿って必死に漕ぐ。
その上り坂を登っている途中、欄干が途切れていてそのさきに森の中へと続く道がある。道と言ってもほとんど獣道で木々が生い茂っているが、自転車を押しその木々を掻き分けながら進むとそこに目的の場所はあった。
そこは不思議な場所だった。切り抜かれたように開けた場所で森の中にぽっかりと穴が開いているようなそんな場所だった。
当初、自身たちの秘密基地を作ろうと画策していたときこの場所を見つけたのだがそのときの感動は今も忘れるべくもない。
その真ん中に朝人たちは秘密基地を建てていた。木と段ボールで出来ているそれは、以外にも頑丈で中は広い。
彼ら自身、ここまでいいものができあがるとは想像していなかった。
朝人は自転車を木の陰におき、秘密基地の扉前の呼び鈴を鳴らす。
「宵のオオカミは」
中性的な声が扉の奥から響いてきた。
「...夢心地」
すこし気恥ずかしげに朝人は言う。
いわゆる合い言葉と言う奴で、彼らがはまっているヒーロー物の漫画の中で主人公とその友人が使っていた合い言葉だ。
朝人の友達はそれを好んで使う。お気に入りの言葉だ。この言葉を返さなかったら、彼はいつも少し不機嫌になる。
朝人は未だにこれに慣れないでいた。
キィー、と扉が開き友人が朝人を出迎える。
彼の名前は
そんな彼の様相はさながら少女のようだった。着ている服は男物だが髪の毛は長く肩に掛かっていて、華奢なこともあり外見はほぼ少女と言っても違和感がない。
ただ、このことにコンプレックスを抱えている節があるので、朝人はこのことに関して触れることはない。
髪を短くすればいいのにと思っていた事もあったが、なにやら事情があることも窺えていたので朝人はそれ以上何かを聞くことはなかった。
「25巻、よんだ!?」
そんな彼は表情を明るくして自身の貸した本についての感想を聞く。
「むっっっちゃくちゃ面白かった!ww」
そこからは彼らによる漫画の講評会が始まった。
あのシーンが良かった、あのセリフが良かった、あの展開は熱かった、白熱する講評会による賛美は止めどない。
そのあとは二人でゲームをする。何世代か前のポータルゲーム機で、春が二つ持っていたのでなんとか二人で同じカセットを古本屋にて購入しては遊んでいる。
ジャンルはアクションRPGで、二人でやるゲームは無限に楽しかった。
この時間だけが朝人を安心させる。楽しませる。生きていると言う実感をさせる。
ただ、遊べる時間は無限ではない。
「…そろそろ時間だな」
朝人は正直言って門限などはないが、春はあるらしいのでその時間に合わせて二人は遊ぶ。
「あ、そうだね」
ボロい置き時計を見ては残念そうな表情になって春は言う。
「…あの、さ」
躊躇いがちに春は口を開いた。
「どうした?」
「僕と…、ん、…また次の日曜日も来るよね?」
何かいいたげだったことを察してはいたが朝人は「あたりまえじゃん」と言うことだけに徹した。
そう言うと春は柔らかく笑う。それで少し安心する。
「うん、じゃあまた今度」
「おう、また今度」
⭐︎
朝人は帰途で少し考えていた。春のことだ。
春はあの容姿のせいか学校ではあまり上手くいっていないと言っていた。
今日の最後の態度、何か学校であったんだろうか。
何かしてあげたいが、どこまで踏み込んでいいのか朝人にはまだ少しわからない。
力にはなりたい。けれど学校が違うこともあってか自分ができることは春と会って遊ぶことしか出来ない。
それだけでも、彼の力になれていたらと西日が頬をオレンジに染める中静かに考えていた。
☆
変化は唐突だった。
いつものように早めに登校し、ウサギの餌やりをして教室に戻って時間がたつと雑多な教室となるので朝人は昨日の通りに後ろの方のメンバーのもとへといく。
「おはようww」
自身の中では当たり障りない笑顔を努めては近づくと、違和感を感じた。何故かみんな顔を見合わせては微妙な表情を呈する。
「あー! また月見里がシラけさせてんじゃん!」
声は教室の前方の方からした。朝人は振り返るけれど、その声の主はテニス部の西崎であることは分かっていた。
「...え?w」
この状況に心臓が跳ねる。
西崎はこちらの方に来ると、声を大にして言う。
「お前さ、気づいてる? シラけさせてんの。山田君も迷惑してるって言ってたぜ? な、山田君?」
山田君とは、このグループの中の人で比較的社交性のある生徒だ。彼はどこか居心地を悪そうにしては、朝人から視線を外して言う。
「...やっぱあんま入ってきて欲しくはないかなー、...とは思う。ご、ごめんな」
「ぇ、え?ww、こ、これってなんかのドッキリ?ww」
「じょ、冗談きついってwww」
「う、嘘だよね?ww」
一人で慌てふためけば、慌てふためくほど空気は冷めていき息が詰まる。
ただ、笑顔は絶やさずに居た。
そして、胸ぐらを唐突に掴まれては凄まれる。
「お前、まじで笑い方きめーよ?」
その胸ぐらを掴んでいた手を横暴に離しては、朝人は後ずさる。
西崎のグループからは嘲笑が聞こえて来る。
「おいおい、あんまいじめんなって」
「かわいそーじゃん」
笑いながら、言っている。
その日から朝人に居場所は無くなってしまった。
⭐︎
ただただ過ごしにくかった。
排斥するような雰囲気に包まれていて、早くこの場から去ってしまいたかった。
だから学校が終わりすぐに帰宅しようとしたのだが、西崎がそうはさせなかった。
にやにやと近づいてきては、朝人に向かって肩を無理やり組んでくる。
「なぁ、俺らと遊ぼうぜ。校舎裏来いよ」
否応もなかった。
朝人は無理矢理連れて行かれては、彼らにその校舎裏で殴られた。
彼らと言っても、殆どが西崎の暴力で「最近ボクシング始めたんだよ」と周りに衒(てら)いながら狡猾にもアザが目立つような顔は殴らずにボディを重点的に殴る。
意識が飛びそうになっていた折に声が聞こえた。
「西崎先輩、顧問の先生が呼んでましたよ…、なに、してるんすか?」
校舎の角から来たのは真広だった。西崎たちが校舎裏に行っていたと言う情報を聞きつけ、ここにやってきたのだ。
「…ちっ、興が冷めたわ」
西崎は帰ろうぜと言って周りを連れては真広の傍を無理やり通って姿を消していった。
真広は殴られていた朝人に近づき、何か言おうとするが踏みとどまっては踵を返した。
この反応に、正直朝人は助かった。何を言っていいかなんて分からないし、どんな顔をすればいいかなんてのも分からない。
朝人はそれに自分自身のせいで真広との間は少し気まずいとさえ思っていたので、殊更この反応には助かった。
痛いのと、暑いのと、惨めなので思考を放棄してしまいそうになる。
ただただ聞こえる蝉の声はどこか遠く感じられた。
朝人は立ち上がり、砂を払っては帰るために歩き出した。
△
真広は複雑な表情を湛えながら、テニスコートへと戻ろうとしていた。
兄が殴られていた。しかもあの西崎先輩に。
「どうしたの、そんな優れない顔して」
声を描けたのは美麗で長い黒髪をもつ
「...兄貴が殴られてた」
「誰に?」
「西崎先輩」
後ろめたそうな反応を示す真広に神代は口を開いた。
「何で真広がそんなに暗くなるの?」
「なんでって、そりゃ兄弟だし...」
「真広には関係ないじゃん。あの人に兄弟じゃないって言われたんでしょ?」
「それはそうだけど、西崎先輩が荒れているのって俺のせいもあるからさ」
テニスの上手い真広がテニス部に入ることによって、レギュラーから外された西崎はその自尊心の高さ故に真広にちょっかいをよくかけていた。兄にその被害がいくのは想像に難くはなかった。
「それに俺は兄弟だとおもってるからさ」
「真広は優しいね」
凜とした声で、彼女は優しく言う。
彼女は無条件で真広に優しい。それがどの感情から来ているのか真広には少し分からなかった。
そんなことない、小さな声で最後に彼は言った。
☆
『無能がお前で良かったよ』
初めてそう言われたのは、兄からだった。何をしても人並み以下だった弟に向けて彼は簡単にそう言う。
『ほんと、あんたが無能で良かった』
リビングで、義母にそう言われた。小学校六年生の時の記憶だ。通信簿を見てはそう吐き捨てたのを今も克明と覚えている。
『おまえって兄弟とくらべると無能だよな』
中学二年生に上がるとともに西崎にそう言われた。愛想笑いを返していたけれどうまく笑えていたかは自信がない。
そして最後に記憶のない情景が浮かんだ。
設楽春が、まるで感情のこもっていない目で満面の笑みになって言うのだ。
『君が無能だからだよ』
「!! 」
まだ部屋は暗く、夜中だと言うことだけ分かる。
上体を思わず上げては、顎から滴る汗を拭う。
嫌な夢を見た。
(大丈夫、大丈夫、大丈夫…)
明日は土曜日で、春に会う日だ。
春はあんなこと言わない。
明日になれば、春に会える。
そのあと寝付けない夜に、焦ったい暑さに、気が遠くなるように、なんとか目を閉じていた。
次の日、春は約束のあの秘密基地へは来なかった。
西日が出るまで待っていたが、ついぞ春は来なかった。
少し裏切られた気分を味わい、あの夢のことを思い出す。
また来週になれば会える筈だ。
不安は心に押し留め、蛇行した坂を自転車で下る。
けれど彼はその次の水曜日も、土曜日も姿を表すことはなかった。
そして朝人は春が自殺したと言うことを呆気なく知ることになる。
親に昼ごはん代として渡された500円玉を握って、訪れたコンビニ。
そこの新聞置き場にあった新聞の見出しに、「少年飛び降り自殺」と書かれたものが不意に見えてしまった。
嫌な、予感だった。
その見出しの新聞を手に取って、見慣れない新聞の文字を躍動する今の心臓のように飛び飛びで読む。
焦っていたのかもしれない。
午後三時二十分に少年が飛び降り自殺、
原因は凄惨な家庭環境や学校でのいじめ か、
彼に手を差し伸べる人は誰一人としていなかった、
そして、最後には設楽春の、目を隠した写真が掲載されていた。
それと、どこかに孤独という文字も書いてあるのを朝人は見た。
呼吸が、荒くなる。
いつのまにか肩で息をしていた。
その異常に気がついたコンビニの店員が彼に近づき、「大丈夫?」と問いかけてくれるが、朝人はひどい表情のまま、何も言えずにこのコンビニを出てしまった。
訳もわからずに、彼は走り出していた。走って、走って、大きく躓いては転がって足を擦りむきながらも、立ち上がっては走っていた。
自分が、どこを走っているのかも溺れるような感覚の中では彼には分からなかった。
(なんで、なんで、なんで、なんで、)
荒くなる息に、気持ち悪さを感じながらもただひた走った。
何かに縋るように、逃げるように。
春はもうこの世界に居ない。
それから朝人は三日間何も口に通らなかった。水しか摂取しない生活が続いた。
それでも関係なく続く西崎の暴力は、そんな朝人の体には酷だった。
いつものように放課後、西崎によって殴られてはボロボロになる。
頭の中はぐちゃぐちゃで、体はそれでも痛くて、どんな感情を抱けば分からないほど疲弊は彼を侵食していた。
「今日は、水曜日か…。」
春と会う日だ。
いつものように、蛇行した上り坂を錆びた自転車で上がり、欄干の隙間を通っては、あのポツンと秘密基地のある場所へと辿り着く。
呼び鈴を鳴らしても、彼の合言葉は飛んでこなかった。
一人静かにドアを開けては中に入る。
薄汚れ、少し破れているソファに、これまた傷だらけなホワイトボードに、下に敷いている所々穴の空いているカーペットに、全部春との思い出がある。
未だに春がこの世を去ったという実感が朝人には無かった。
実感したくも無かった。
思い出すのは、彼と共有していたあのヒーロー漫画だ。
そのヒーロー漫画の主人公はそれこそ朝人の理想のヒーロー像だった。悪には屈せず、どんな逆境でさえも諦めず、高潔な意思を待って彼は誰をも救う。
だから彼は頼られる、救いを求められる、そして救う。
俺はヒーローにはなれなかったんだな。
悔しさと悲しさがうちから湧き出ては、この床に溜まっていく感覚に朝人は襲われていた。
朝人はいつだってヒーローになりたかった。
それが理想だったから。
その理想は夏に溶ける。
「ふざけるな」
静かに、震える声で言った。喉は渇いていて、じっとりと熱い外気が朝人を包む。シャワシャワと蝉はなく。彼は静かに泣く。
辛くて、情けなくて、悔しくて、悲しくて。
そんな静かな場所に、爆発音は突如響いた。
朝人は初め、何が起きたのか分からなかった。
音とともに、そちらのほうを振り返り見上げると屋根はいつの間にか瓦解していて、青空が覗く。
そしてそこから、女の子が振ってきた。
ひでぶッ...! とおよそ女の子が出さないような声を出しながら落下してきた。
朝人はこの状況を瞬時に飲み込めない。疑問ばかりが頭を支配していた。
「え? は?」
ただただ戸惑う朝人だったが、とりあえずその少女の方へと近づくと、女の子は急にガバリと上体をあげるので朝人はびくつく。
「君さ、」
彼らの頭上を、影が覆い被さる。
何か少女が言っているのを分かっていた朝人だったが、見上げざるを得なかった。
「はぁ?」
そこには人と呼べないような、巨大な化け物が彼らを覗いていた。
「ヒーローにならない!?」
朝人の前の服を掴んでは唐突にそんなことを言ってくる。
上には、化け物。下には白いワンピースの少女。壊れた秘密基地。
いきなりヒーローにならないかと問われた。いつもならそんなことを言われたとしていきなりのことで言いよどんでいただろうし、この現状に疑惑だけを表に出していただろう。
けれど、今は違っていた。
友達が死んだ。
自分で死を選んだ。
それを救えなかった。
俺には頼ってくれなかった。
ヒーローには成れないのだと知った。
彼のヒーローでありたかった。
様々な思いが、気持ちが濁流として心を荒らしている。
「...ヒーローに、なりたい」
絞り出すような声で朝人は言い、ワンピースの姿の少女はそれを聞いて微笑み、上の怪物は攻撃しようと腕を振り上げていた。
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