第72話 地上に降りた山の主

「アガァアアアッ!!」

「うぐぅっ!?」



牙と刃が接触した瞬間に火花が散り、赤毛熊は旋斧の刃に噛みつき、それをナイが抑え込む形となる。咄嗟にナイは剛力を発動させたお陰で食い止める事に成功したが、単純な力比べは赤毛熊の方が勝り、旋斧に噛みついた状態で赤毛熊はナイを押し返す。



「グゥウウウッ……!!」

「く、くそっ……!!」



剛力を発動してもナイは赤毛熊の力には敵わず、徐々に押されていく。剛力を一瞬でも解除すればナイは抑えきれずに赤毛熊に吹き飛ばされるだろう。


だが、やはり剛力の長時間の発動には肉体の負荷が大きく、徐々にナイ自身も堪え切れずに力が失われていく。このままでは耐え切れないと判断したナイは懐に手を伸ばし、常備している粉薬を取り出す。



「このっ!!」

「ウガァッ!?」



以前にも利用した事がある薬草の粉末の目潰しによって赤毛熊は視界を奪われ、悲鳴を上げて旋斧から口を手放す。この隙を逃さずにナイは後ろへと下がり、一方で混乱した赤毛熊は地面に倒れ込む。



(今のうちに逃げるしかない……!!)



赤毛熊の視界を封じられている隙にナイは逃げ出し、急いで距離を取る。だが、相手は馬よりも早く動ける生物のため、一刻も早く隠れる必要があった。


川原から離れてナイは隠れ場所が多い森の中に入り込み、身を隠せそうな場所を探した。しかし、探している間にも後方から赤毛熊の鳴き声が響き渡り、近付いてくる足音を耳にする。



(もう復活したのか!?くそっ……でも、視界は治っても鼻は封じられているはずだ!!)



薬草の粉末によって赤毛熊は視界が悪く、鼻も麻痺しているのは間違いなかった。薬草は意外と臭いがきつく、それを嗅覚が鋭い魔獣が浴びようものなら一時的に鼻は利かなくなるはずだった。


鼻が利かなければ赤毛熊はナイの匂いを辿る事は出来ず、視界に頼るしかない。その視界もまだ回復したばかりでは当てにはならず、十分に隠れてやり過ごせる可能性はある。



(ここに隠れるしかない……見つからない様に音を立てない様にしないと)



もう粉薬は残っていないので先ほどの目潰しは行えず、ナイは自分が隠れるほどの大きさの樹木の陰に身を隠し、様子を伺う。やがて赤毛熊が近付いてくる足音が鳴り始め、目元を細めながらも移動を行う赤毛熊が視界に入った。



「グゥウッ……ガアアッ!!」



苛立ちを隠せない様子で赤毛熊は周囲を振り返り、隠れているナイの姿を探す。ナイは決して気づかれない様に息を潜めて音も立てないように気を付けるが、徐々に足音は近づいてきた。


視覚と嗅覚が碌に当てにならない状態ながら赤毛熊はナイが隠れている場所に近付き、どうやらナイの気配を頼りに移動している様子だった。近付いてくる足音にナイは顔色を青ざめ、もう駄目かと思われた時、ここでナイはある事を思い出す。



(待てよ、そういえば技能の中に……)



ナイは赤毛熊に見つかる前に水晶の破片を取り出すと、彼は赤毛熊が接近する前に破片を照らし、光の文章を地面に照らす。そしてすぐに未収得の技能の中からこの状況を打破する技能を見つけ出した。



(これだ!!)



急いでナイはSPを消費して技能を習得すると、再び身を隠す。既に赤毛熊の気配は間近にまで迫っており、遂には赤毛熊はナイが隠れている樹木の傍まで辿り着く。



「ガアッ……!?」



赤毛熊は唐突に立ち止まると、戸惑った表情を浮かべて忙しなく首を動かす。先ほどまでは僅かに感じられた気配が消え去った事に赤毛熊は混乱し、やがてナイが身を隠している樹木にも視線を向ける。



「ウガァッ!!」



樹木の裏側に赤毛熊は顔を覗き込むが、そこにはナイの姿は存在せず、赤毛熊は拍子抜けする。確かにこの場所に彼の気配を感じたのだが、肝心の姿が見当たらない。


視界と嗅覚を封じられた赤毛熊は聴覚を頼りにここまで移動してきたが、耳を澄ませても獲物が逃げる様な足音さえも聞こえず、困惑したように周囲を捜索する。しかし、いくら探しても赤毛熊はナイを見つけ出す事は出来なかった――





――時は同じくしてナイは森の中を駆け出し、赤毛熊の姿が見えない距離まで移動する事に成功していた。全身から汗を流しながらもナイは川原にまで引き返すと、川の中に顔を突っ込んで水を飲む。



「……ぶはぁっ!!し、死ぬかと思った……!!」



水を飲んだ事でナイは落ち着くと、後方を振り返って赤毛熊が追っていない事を確認する。どうやら上手く撒く事に成長したらしく、安心しきったナイはその場に座り込む。


どうやってナイは赤毛熊から逃げ切ったのかというと、彼が覚えた新しい二つの技能のお陰だった。ナイは水晶の破片を取り出し、改めて覚えた技能の確認を行う。

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