6-5:一人はよくない
その後、衝撃が抜けきれずにふらつく私は部屋に戻って休むことになった。
校長は西の監視塔を修繕のためといって一時的に封鎖するという。おそらく無駄ではあるだろうけど、犯人が残した痕跡などがないか調べてくれるらしい。
犯人の心当たりについては、ハルがロベルトとジェニファーの名前を出した。もちろん、ロベルトと私の隠された関係は教えない。二人が嫌うハルと懇意にしている私が気に入らないのではないか、という理由でだ。
校長はそのことについて明確な感想は避けていた。けど、ロベルトとジェニファーが、今日の午後は自習用の個室使用申請を出していたことを教えてくれた。
つまりどちらも、こっそり西の監視塔に来ることができる。
「二人とも、そこまで酷いことをする生徒だとは思わないんだけどね」
「人はみかけによらないよ。……この間の
「あ、ああ。そうだったな」
ハルの静かな苛立ちを含んだ声に気付いたのか、校長はそれ以上は何も言わず、監視塔へ向かっていった。
ハルには、体調不良で困っていたところを助けられた流れで、という言い訳で宿舎の部屋まで送ってもらった。黒いコートは目立つけど気にする余裕はない。
夕食は部屋で食べられるようノアが手配しに行ってくれる。
彼が出て行くとき、ハルは「そういえば、今日の分を宿舎に忘れてきた」と言い、ノアが「はいはい、そっちもちゃんと持ってきますよ」と答えていた。言い方からして、おそらくまた差し入れだ。
それでも一応、会話の意味を聞いてみた。「今日は甘くないクッキーを厨房で特別に焼いてもらったよ」とある意味予想通りの答えが返ってくる。
彼にはどうにも私がお腹を空かせたかわいそうな逃亡者に見えたままらしい……。
ノアを待つ間、彼が戻ってきたら自分の宿舎に戻るよう促すと、ハルは渋る態度を見せた。
「一人で大丈夫なの? ここは隣が空室だし……僕が移っても大丈夫か校長に聞いてこよう」
「さすがにそこまでしなくてもいい、平気だってば」
助けられたときにも少し思ったけど、彼は校長にだいぶ気安い感じだ。名誉島民候補生となると、やりとりすることも増えるからだろうか。校長のほうも気にしていない様子だった
「意外と私、図太いの」
これでも、いざとなれば命のやりとりも覚悟しろと言われてきた王女の影武者なのだ。自分を立て直す術は身に着けている。
そう考えたところで、ああそうかと思いつく。
「仮にも一国の王女があんな危険な目に合うなんて一大事よね。わかってるわ。動揺させたんだと思うけど、むしろ立場のある人間の方が、いざというときの覚悟が決まってるものなのよ」
ちょっと苦しい言い訳だけど、信じてもらうしかない。
私は彼に断り机でささっと書きものをする。待つ間、彼は駄々をこねるようにひとりごちた。
「君がここに人を殺すためにきたなら、逆に君を殺そうとする相手だっているんじゃないかな」
一瞬、書きものをする手が止まる。
出会ったときに口にしてしまったあの戯言は、なかったことにしてくれないらしい。最初の一回以降、私からは匂わすこともなにも言っていないのに。
黙ったままの私に彼は重ねるように続ける。
「君は誰を殺しにきたんだろう」
「さあね」
「教える気はない、か」
「あなたが当てたいって言ったんじゃない」
書きものを終えた私は、それを彼に渡した。
「はい、今日のカード。約束の二日目ね」
「受け取って素直に帰れってこと?」
ハルは手を伸ばしかけ、しかし躊躇するように止まってしまう。
「やっぱり……隣の部屋に移る。代わりにカードをくれなくても、いい」
そう言って、欲しいものをぐっとこらえるように手を引っ込めて拳を握る。私は、なぜかハルがまるで一生懸命に意地を張っている小さな子供のように見えて、なぜか微笑ましい気持ちになってしまった。
「どうして笑うんだ」
「馬鹿にしてるんじゃないの。ただ……何かしら、これ」
彼は真面目なのに、口元が緩んでしまっては失礼だ。だけど監視塔でのショックから完全には立ち直りきれていない心には、彼のまっすぐな心配が心地よく感じてしまう。
……いや、彼の気遣いをそのまま私に向けてのものだと思ってはいけない。彼は私を第二王女だと思っているんだから。
その一生懸命な気持ちは本当の私に向けてじゃない。
冷静さをとりもどすために深呼吸する。
一方、ハルの眉間には皺が寄っていた。
「こんな嫌なことがあった日に、こんな誰もいないところで一人きりはよくないよ」
「危険な場所ではないわ。鍵もかけられるし。一人といってもこの階だけで、建物内にはたくさんいるわ」
「人がたくさんいたって、一人ぼっちにはなれる。危険じゃなくても、そういうのはよくないんだ」
「ハル?」
「……僕の経験談だよ」
どう答えるべきかわからなかった。
すぐに彼の家のことを思い浮かべてしまったからだ。理由にすぐ心当たりがついてしまったから、下手に何も言うことができない。
だけど彼は、私が黙っているところに自分で触れていった。
「キタシラカワ夫妻にとって、『ハル・キタシラカワ』は疎ましい存在だった。僕がどんな中身だろうと関係ない。前妻の子供のハルは疎ましい、それがすべてだったからね。それなりの間、僕はあそこで一人きりだった」
知っている。命の危険や酷い嫌がらせはなかったけど、ただあの家では存在の薄い子供だった。
だから私はノアが彼の元に行けるように手を回したのだ。
「一人きりはやめたほうがいい」
「でも、そんな特例みたいなこと……」
「この黒いコートと、実家が伯爵家というのはそれなりに使えるカードだ。多少の無理なんて通させよう」
急に笑顔になって踵を返した彼のコートを、私は慌てて掴んで引き留めた。
「だ、駄目! 待って、今はまだいい!」
「イリナ」
「たしかに強い交渉カードだろうけど、もうちょっと慎重に使いどころは考えて! 私は無駄にあなたの評判下げたくない」
絶対行かせないよう、コートを掴む腕に力を込める。頭だけ振り返ったハルと視線をぶつけたまま、しばらく無言の攻防を交わした。
やがて折れてくれたのはハルだ。
「使いどころは今だろ」
そんな風に言いつつも、部屋から出ようとしていた彼の体から力が抜けた。私も安心してコートから手を離す。
「もっと気軽に利用してくれていいんだけどな」
「私が嫌。……でも損より得のほうが勝ると判断したら、そのときは頼むわ」
「約束だよ?」
納得はいっていない雰囲気で言いながら、ハルは下ろしていた私の腕を優しく自分のほうへ持ち上げた。
「な、何……」
不意打ちに心臓が跳ねる。
彼は私の手の中から持ったままだったカードを抜き取った。言われた通りこの部屋から帰る。代わりにカードを受け取る、ということだ。
「何かあればすぐに呼んで」
「ええ、ありがとう」
「言葉の通り、声をあげるんだよ? ここは精霊の力の強い場所なんだ。親切な精霊が僕に教えてくれるかもしれない」
そして彼は手元の封筒を意味もなく裏返しては元に戻す。
「それから……午前中、講堂で絡まれたんだよね。僕を引き合いに出されて」
封筒を見たまま顔を上げない彼は、これ以上なく落ち込んでいるように見えた。
「ノアから聞いたんだ。ごめん。君を守りたいのに、これじゃ逆だね」
「私も船の中でジェニファーに喧嘩を売ったし、目はつけられてたわ」
「でも僕のことが付け込まれる隙になった。あんな子供じみた言いがかりを信じる者がいるなんてね……」
「あなたが婚約者に酷い態度を取ったり、黒いコートを着られるほど精霊に愛されてはいない、というやつ?」
「どちらも嘘だよ」
「でしょうね」
だけど嘘でもゴシップは娯楽の一つになり得るから、よく考えずに乗ってしまう者もいる。
「仲間内で勝手に盛り上がっているだけだろうと放っておいたけど、少し対処を考えるよ」
「お手柔らかに……」
研究学校内での彼や周辺の事情を詳しく知るわけではないから、どういう手を使うかはわからない。
ただ怒った彼は底知れない恐ろしさがある予感がして、ついそんなことを言ってしまった。
「ああ、そうだわ。婚約者と言えば聞いておきたいことがあったの」
「ん、なに?」
「タマキ・アカバネはあなたの新しい婚約者候補よね。あなたは彼女と婚約をする気はある? ない?」
下手な聞き方になってしまったのは、さっきの会話でくすぐったくなったり急に暗くなりかけたり、緩急激しかったのが悪い。ちょっと調子が狂っていたのだ。
「婚約する気があるのなら、表向き私は距離を置かないといけないけど――」
答えは聞かなくても伝わった。
……部屋の温度がわかりやすく下がったから。
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