第33話 出発

「おはようございます。……ちゃんと寝れました?」静岡の新幹線改札口に集合するやいなや、京極君にそう言われて、思わず唇を尖らせていわゆる『アヒル口』になってしまった。結局真夜中まで荷造りにかかったというのは、当然秘密だ。そして、どうせここから新横浜までは、各駅停車のこだまで行くのだから、道中寝て行かれると思っているのもどうやら京極君には、お見通しのようだ。小型キャリーカートを網棚に乗せてもらいながら田邊教授は私と京極君のやり取りをニコニコ見守っている。

「大丈夫。新横浜まで寝るから。」どうせ見透かされているなら、開き直ってしまおう。

新横浜からは、横浜に向かい、京浜急行電鉄で金沢八景まで。そこから吉邨の車が迎えに来るらしい。 そこで最終ブリーフィングを行って、いよいよ調査航海のスタートになる。ちょっとワクワクしすぎて眠れなかっただけなのだ。寝不足が、船酔いに繋がりやすいというのは、身をもって知っている。

「こっからは、ちゃんとして下さいよ。テレビ局さんも来るんですからね?メイクも手を抜かないでください。」最近京極君がだんだん世話焼きになって来た気がする。田邊教授が生暖かい眼で見ているような気がするが、気づかないふりをしておこう。新幹線は比較的空いていて、時間帯が早いせいか、出張のサラリーマンが、ポツポツ座っている程度だった。

「……はじめさん。もうすぐ到着ですよ。」肩を揺すられて目を覚ますと、車内アナウンスが停車駅のお知らせをしているタイミングだった。

「……あれ。一瞬だったね」思わずそう呟くと、田邊教授が苦笑いしながら

「そりゃ、座って、発車のメロディ鳴る時には寝てる状態だからねぇ。よく眠れたね。」という。電車の揺れは、催眠効果がてきめんだから、仕方ないということにしておこう。とりあえず降車の準備を済ませて列車がホームに停車するのを待ってから、三人で新横浜駅に降り立つ。私以外はこの駅の利用が初のようで、地元民の私が乗り換えの先頭をきる。横浜駅からは、京浜急行電鉄で一本だから、以外とJAMSTECの横須賀本部は近いような気がしてきた。

「…あ、来た来た。お疲れ様。はい、乗って乗って。」金沢八景の駅前ロータリーに到着すると、そこには既に四駆タイプのロゴマーク入りの送迎車両が到着していた。素早く降りてきた吉邨が、それぞれの荷物を要領よく後部ドアから積み込むと、田邊教授を助手席に、私達を後部座席に案内して、出発する。

海沿いの道を少し走っていくと、海を挟んで向かい側には遊園地らしきものが見え、さらに行くと、工事地帯の間を通りぬけて、研究所らしき建物が見えてくる。車では正味15分程の道のりだが、バスなどか通っていないルートのためか、住宅などがないせいか、人気はなく、閑散としている。

「はい、到着です。この後ブリーフィングを午前中に一本、昼食しながら打ち合わせして、午後からは、設備説明するからね。とりあえず荷物は受付で預かるから。」吉邨はそれだけ言って、私達を正面玄関に下ろして車を停めに行ってしまった。

「……だってさ。さ、行こうかな。」受付というからには、建物の中にあるのだろう。三人それぞれ荷物を持って、飾り気のないビルの一階から中に入る。

「あ、お待ちしてました。遠い所、お疲れ様です。風間です。荷物のなかに、貴重品とか、ブリーフィングの資料なんかはありますか?あるなら、この後ブリーフィングするので、それ以外の荷物をお預かりします。」入ってすぐの所で、待機していたらしい職員さんに案内されて、とりあえずソファーで荷物の仕分けをしてから受付に預ける。

「それじゃ会議室は3階なんで、移動しながらこれからの予定について説明しますね。」どこかであったような気がする馴れ馴れしさで、エレベーターに乗り込みながら本日の予定と、明日の出港までの確認事項なんかを話してくれた風間氏。三階に到着してからも、そつなく案内役をこなしていく。

「……あの、お会いしたこと、ありました?」思わず口から本音の質問がこぼれてしまった。

「あ、直接はないですね。ただ、毎回ウェブ会議をパソコンでフォローしてるの僕なんで。カメラには写ってないんですけど、毎回会議には参加してるんですよ。」言われて初めてリアルには初対面だということに気がついたらしい。突然会議準備の手を止めて、風間君は、名刺を取り出して田邊教授から順に配っていく。順にとはいえ、立ち位置からか私は最後に回されて、名刺交換のあとに何故か握手までするはめになってしまった。

「………なにやってんの?風間。どさくさに紛れて。」駐車場から戻ってきたらしい吉邨が、会議室の扉にもたれて呆れたような顔で言う。

「いやぁだって、テレビに出てる有名人だからさ、つい。」単なるミーハーだったらしい。私も苦笑いでかえすことにする。

その後三々五々入って来た関係者と、ひとしきり挨拶を交わしてから、それぞれの名札が置いてある席に着席して、調査航海ブリーフィングが始まる。各自の担当分野や、調査のスケジュール等の確認と、調整などを話し合って散会となる。

「あ、机の上の名札は、航海の間ずっと使用して下さいね。」会議室から出るときに、まだ片付け作業をしながら、風間君が声をかけてくれた。先刻の会議によると、吉邨と、川崎氏、私がしんかい6500に搭乗するメンバーで、風間君はそれに先立って行うハイパードルフィンのオペレーターをするらしい。気さくな雰囲気の持ち主だが、調査航海のきちんとしたメンバーになる以上、かなり優秀な人材なのだろう。

「お疲れ様。この後は、二階の食堂で昼食がてら今回の同行するテレビクルーとの顔合わせがあるから。」追いかけてきた吉邨が、私達を追いこしながら案内役をしてくれる。

「……うぇぇ。テレビかぁ。」先日の一件もあり、テレビには、どうしても苦手意識が拭えない。観覧者が増えて、売り上げがアップするのは、経営的に有難いが、普段来館しないような客層の、観覧マナーの悪さには辟易する関係者も多いのではないかと思っている。フラッシュ撮影して、驚いた魚が激しく動くのを面白いと思うような観客が増えるのだから。どうせなら、観覧マナーに関してもコメントして欲しいくらいなのだが。

「まあまあ、仕方ないだろ。番組タイアップだと、予算が付きやすいし、広報にもなるからさ。頼むよ『イケメン学芸員さん』。」吉邨が、こちらを軽く拝むようにしながらエレベーターを降りて、食堂へと先導してくれる。

「あ、こんにちは。先日はどうも。」部屋に入ってすぐのテーブルに、見覚えのある男性が、国営放送のロゴ入りジャケットを着た一群と名刺交換をしていた。

「ああ。お疲れ様です。今回もよろしくお願いします。」とっさに名前が出て来なくて、とりあえず無難な返答を返しておく。そのままの流れで、そこにたむろしていたテレビクルーとの、名刺交換会が始まる。ひとしきり名刺を受け取り挨拶を済ませると、テーブルに各自のお弁当が配布されて、一番奥の壇上に吉邨がテレビクルーを引き連れて上がり、関係者全員が揃った所でそれぞれを紹介していく。

「さっき最初に会った人ってさぁ…」隣の京極君にこっそり小声で確認してみる。

「僕も名前わすれましたけど、ハタの解剖の時に撮影してくれたカメラマンさんじゃ、ないですか?なんか参加するって言ってた気がしますし。」どうりで見覚えがあるはずだ。

「こらこら。名前くらい、覚えてあげなさいよ。緒方さんだよ。」田邊教授に小声で嗜められて、慌てて前の自己紹介に、改めて耳を傾ける。どうやら今回同行するのは、TV局スタッフ5名となるようだ。ロン毛をちょんまげにしたいかにも業界人な男性がディレクターの中田氏、隣の猫背気味で、眼鏡の女性がADの古川氏、こ洒落た眼鏡にアゴヒゲの男性が、カメラマンの太田氏、隣の華奢なお団子ヘアーの女性がアシスタントの滑川氏、最後に水中カメラマンとして、ご存知緒方氏というわけだ。それぞれ名前と、担当する業務内容だけのシンプルな自己紹介を終えて、手元のお弁当を食べ終わると、吉邨が、テレビクルーの女性陣二人を連れて近づいてきた。

「…おー。よろしくな。今回の航海な、実は女性がお前含めてこれで全員なんだわ。」

さすがにテレビクルーともなれば、面の皮一枚で特に動揺しないらしく、二人とも黙って一礼しただけで、特にリアクションはなさそうだ。

「…それで?」私が先を促すと、

「だから、女性陣三人で、一室使ってもらうことになるから。よろしくな。」吉邨が、ニヤリと笑いながら余計な一言をつけ加える。

「まあ、ちょっと見には、イケメンと女子二人だけどな。」残念ながら女性陣二名には、あまりいいリアクションは見られなかった。肩透かしをくった吉邨の爪先を踵で踏みにじりながら、一応握手を求めると、二人とも愛想笑いをするくらいには、処世術を知っているようだ。

「学芸員の橘朔です。よろしくお願いします。」そういうと、先刻渡した名刺をもう一度見直している。表は漢字表記だが、裏には、ローマ字表記で読み仮名が入っている。さっきの紹介の時も、風間氏は私のことを『はじめさん。』と呼んでいた気がするのだ。もう、いっそのこと名刺の表記もHAJIMEでいいかもしれない。芸名的なかんじで。半ばやけくそでそんなことを考える。

その後食後の休憩を挟んで岸壁に接岸している母船よこすかに乗り込んで、船内設備の案内をしてもらうことになり、やはり搭載されている研究機材のグレードの良さに、溜息をつく。

「……やっぱり独立行政法人は、規模が違うんですね。」思わず呟いた京極君に、案内をしていた吉邨がニヤリとしながら、

「やっぱりウチで研究するか?」といいながら京極君の肩を抱きながらこちらを挑発的にみる。

「ちょっとぉ、うちの若手ホープに手ぇ出さないでよ!」軽く吉邨の腹にパンチを入れてから、京極君を引っ張り返してやる。何故か嬉しそうになすがままにされている京極君を、生暖かい目で見ている田邊教授にもなんだか若干イラッとしてしまった。今晩の宿泊に関しては、本部内にある宿直室や浴室などの設備を使わせてもらうことになったようだ。思う存分水が使えるのは今日がラストだ。船の中では出来るだけ節水が基本となる。女性はそこまで言われないが、基本的に身体は洗面器一杯の水で洗えるように、訓練されていく。船の周りは一面の水だが、海水で身体を洗うことは出来ない。真水は船上では貴重なのだ。広々と手足を伸ばして眠るのも、しばらくお預けとなる。翌朝の日の出と共に出航となるから、早々にテレビクルーの女性陣にもその辺を説明して、休むことにする。

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