第27話 解析

「では、先ほどの調査解剖の結果からの検討会を行います。」いつもの教授室の休憩スペースに、スクリーンを立てて、カーテンを閉め、先ほど緒方氏から預かった画像を再生しながら各自昼食を摂り始める。ここにいる面々で、食欲が視覚情報に左右されるような繊細さのある人物はいないので、それぞれ画像からの気付いた点や、計測データからの疑問点等を食べながら言い合う。魚体が、採取水域としては比較的大型な個体になるというのが、ハタ類の専門家としての日置さんの見解のようだ。ハタの仲間は“根付き”といって、決まった縄張りを持っているものが多いので、体が大きくなる個体は、いい餌場のある縄張りを持っていることを示しているそうだ。漁師もその性質は知っているので、『一度ハタをとった水域には、何年間か間を開ける』というのが原則らしい。つまり今回の魚体は、ある程度の歳月をかけて決まった縄張りを維持していたということになり、縄張りというのは、ハタの場合海底の小ぶりな岩礁を示すものなので、漁師に確認すれば推定水域がかなり絞り込めるという訳だ。

「つまり、焼津の漁師さんに確認すれば、被害水域の推定にかなり確定的な情報が得られるということですね?」ついでにこのサンプルがいつ揚がったかも確認すれば、直近での被害水域位置情報が手にはいるという訳だ。

JAMSTECの母船よこすかは、文字通り横須賀を基地として活動している。横須賀港から焼津までは、頑張って日帰り可能だが、潜水調査の時間を考えると、前日に焼津港まで移動、停泊して、早朝から調査開始するのが、一番効率がいい。さらに、調査水域が絞られていれば、集中的に調査の網が掛けられることになる。

「…じゃあ明日にでも、もう一度焼津に問い合わせしてみます。」サンプルを提供してくれた漁師さんの連絡先は直接は知らないが、もらった名刺には、漁協の事務長という肩書きが入っているから、連絡をつないでもらうことは、可能だろう。

「……つぎに、さっき魚体内部の損傷部位から発見したモノに関してですが……」テーブルの上に置いていたシャーレを、京極君に渡して回覧してもらう。紛失しないようにきっちり蓋をしたままで、田邊教授や日置さんが、それぞれ上下左右から透かし見たりしながら首を傾げる。

「……損傷部位から発見されたんなら、歯かもしれないと思ったけどなぁ……」それについては、私も一応研究者の端くれだ。違和感には気付いていた。

「……歯、にしては、ずいぶん柔らかそうだなぁ…」案の定日置さんが、ぼそっと呟く。通常、魚類の“歯”も哺乳類と同様エナメル質で表面を覆われているのが当たり前だ。エナメル質は基本的には透光性のほとんどない、不透明な物質だが、コレは最初肋骨かと思ったほどに半透明で、薄く柔軟性がある。

「……キチン質?どちらかというと、たしかに肋骨みたいだよね。」エビカニ専門の鈴村さんも、質感について、見た目からの感想を述べてくれる。甲殻類の殼を構成するキチン質は、エナメル質とは異なり、薄い部分は柔軟性があり、透明度もあることが多い。

「これが謎生物の手がかりになることは、間違いないけど……これだけしかないから、分析に廻すわけにもいかないねぇ。」検体の組成を調べるには、どうしてもサンプルをとらなくてはいけないので、貴重な手がかりだが、あっさり検査に出すことは出来ないというジレンマがある。

「組成分析が、難しいなら、顕微鏡でくまなく撮影して、片っ端から生き物の歯と比較していくしかないですかね。」私がそう呟くと、そこにいたほぼ全員が、顔をしかめた。

パソコンが普及したおかげで、資料写真の山との格闘はなくなったものの、パソコン画面上での種類同定作業は、目、肩、腰に地味にくる。たまに持ち込まれる魚類の同定作業でも、確認しなくてはいけないポイントが、鰭の棘の本数やら鰓爬という鰓の根元の本数やら尾びれ背鰭の本数なんかだと、なかなか終わらない画面とのにらめっこにぐったりすること極まりない。新種発見というのは、こうした地味な努力の上にあるものなのだ。

「…とりあえず出来るのはそれくらいだね。あとは、他の水族館に、ガスクロマトグラフィーの提案と、標本残ってる所に写真資料送付して、同じような例がないかどうか確認してもらっておこうか。」田邊教授が愛妻弁当を食べ終わりながら総括する。

「……そうですね。では、今日は各所連絡と、検体の撮影をしておきます。」それぞれ食事も順調に片付き、解散となる。

「…はじめさん、あとで僕資料室で、参考になりそうな資料さがしてきますね。」研究室に戻りながら京極君が言う。パソコンが普及したとはいっても、資料やデータ等のデジタル化にはまだ道半ばなので、どちらにしても紙の資料との格闘になりそうだ。

「……そうだね。硬骨魚類だけじゃなくて、一応軟骨魚類のカテゴリと、まぁ、一応念のために棘皮動物と、甲殻類、環形動物まで視野に入れておこうか。」傷の形状が、通常の魚類の噛み跡とは明らかに違っている以上、ここは、視野を広げて考えたほうがいいと思っている。当然検索する資料も、比較対照するサンプルも膨れ上がることになるのはわかっているが、研究者としての第六感のようなものが、働いているのだ。研究室に戻って一旦サンプルを冷蔵庫にしまい、多分京極君一人では持ちきれない量になるであろう資料を、二階の資料室に一緒に取りに行く。

「……えーっと、電気のスイッチは……あ、ありましたね。」温度と湿度を管理するために、資料室は二重扉になっている。外扉を開けて明かりを点け、きちんと閉めてから内扉を開ける。中は閉架式書庫が半分と、液浸標本、乾燥標本などの置いてある棚が半分という構成になっている。この、『乾燥標本』が、何より取り扱いに細心の注意が必要で、いうなればいわゆる『干物』に近いものなので、虫害が何より恐ろしい。空調で完全に外部と遮断してはいるものの、人間が出入りすればどうしても靴や服にまぎれての虫の侵入は防ぎきれない。年に一度、必ず室内全て丸ごと『勳烝』して、維持管理に務めているのだ。あまり一般的に知られていないようだが、実は水族館も『博物館』の一種であり、

“社会的教育施設”として、『資料の保管、保全』の義務があるのだ。様々な問い合わせ等に対して、資料を元に調査して、回答するのも、博物館の重要な業務なのだから。飼育している生物の維持管理をして、自分たちのそれぞれの担当の専門分野の研究も行って、かつ来館者への、解説文やパネルの作成、そしてそうした質問や問い合わせ等にも回答する。他の美術館博物館は知らないが、学芸員というのは基本的に多忙を極めているものだ。というと単に言い訳にしかきこえないかもしれないが、なかなか資料のデジタル化が進まないのは忙し過ぎるせいだと思っている。出来ることならば、所蔵資料に関する問い合わせくらいはデータベース化してしまいたいのだが。そんな事をつらつらと考えながら、閉架式書庫のハンドルを回してそれぞれの棚から資料を運び出す。

「………あ、これ二往復要りますね。」入り口付近のテーブルの上に積み上がった資料の山をみて、京極君が思わずため息まじりに呟く。私も苦笑いして、壁際にぶら下がったノートを、指差す。

「運び出す資料のタイトルを、このノートに日付と私の名前と一緒に記入しておいて。…

台車持ってくるわ。」何回も扉を明け閉めすれば、それだけ虫害の危険性が増すので、一度で運び出すほうがマシだろう。そして、資料室の膨大な資料を管理するのも私達の重要な業務だ。何の資料を、何月何日、誰が使ったのか、面倒でもきちんと記入していかないと、収拾がつかなくなるのは目に見えている。これだけでも、せめてバーコードて管理出来れば、楽なのだが。

「……ふぅ。あとはこの資料の中から該当しそうな生物の“歯”に関する写真をピックアップして、スキャンしてデータベースにしますね。」簡単そうに京極君が言っているが、その後の検証も含めて費やす膨大な時間にくらくらする。そもそも私はパソコンは何とか使えるものの、いわゆる『画像処理関係』がまだうまくない。苦手な作業が山積みかと思うと、げんなりしてくる。

「………そうだね。……」ため息まじりの私の返答に、京極君が苦笑いしながら振り返る。

「大丈夫ですよ。スキャンも、データベース化もファイリングも僕やりますから。はじめさんは、資料からのピックアップをお願いします。」そうだった。去年までは一人ですべてこなしていたものが、今年は分担してくれる相手がいるのだ。思わず満面の笑みで京極君の顔を覗きこんで、お礼を言う。

「…ありがとね。頼りにしてるよ。」

「……反則です。……」意味がよくわからなかったが、京極君が、あっという間に茹で蛸みたいになった。そのままハムスターのように真っ赤な顔面をごしごししながら資料を台車に積み込みはじめる京極君。よく見ると耳まで赤くなっている。黙々と積み込み作業をして、研究室へ向かい、資料を机の一角に積み上げて台車を戻して帰ると、既に京極君は立ち直ってパソコンの作業を開始している。

「……早くスキャンする資料選んで下さい。」照れ隠しか、いつもより低い声でボソッと一言。普段あまり“照れてる男子”というものを観察したことがないので、思わずまじまじと見てしまった。

「早くしないと、はじめさんに画像処理やった貰いますよ。」赤い顔で睨まれてもまったく迫力に欠けるが、苦手を盾にとられては、仕方ない。

「はいはいはぁーい。…今すぐやりますよぉ。」あわてて手近な資料の山から一冊取って、作業を始める。夕方の閉館作業までに、賞味三分の一ほどの資料から、魚類の『歯』に関する資料をスキャンデータにすることが出来た。作業の合間に息抜きを兼ねて焼津漁協と、各水族館への連絡も済ませたので、かなり作業がはかどった感じがする。

「さてと、閉館作業して帰るとしますか。」

館内アナウンスを合図に立ち上がって伸びをすると、京極君もパソコンをシャットダウンして、立ち上がる。顔色もすっかり元通りだ。

「…晩御飯、何にしますか。」余りからかったから、このまま帰ってしまうかと思っていたので、予想外に嬉しくなってしまった。

「…五郎十の、わらじメンチかな。」

「いいっすね!じゃあそれで。」にやりと笑う京極君に、何となく気恥ずかしさを感じて、珍しく自分の顔が赤くなったのを自覚する。『……なんだこれ?』気にしないようにして、素知らぬ顔でいつも通り閉館作業を完了する。結局何故か、五郎十のわらじメンチを、私が奢る形になった。

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