第2話 日常

毎朝の日課は、海岸を歩きながらのビーチコーミング。身支度を済ませてアパートを出て海岸線まで徒歩5分程。4月の半ばの朝はまだ少し肌寒いので、日焼け防止をかねてパーカーを羽織って、ゴミ袋とゴミ挟みと軍手の入ったトートバッグと研究用のパソコンや筆記具の入った鞄を提げて、ぶらぶらと海岸線を歩いていく。ちなみにビーチコーミングとは、まぁ、簡単に言えば“ゴミ拾い”のようなものと思ってくれて構わない。私達研究者にとっては、海岸の波打ち際は宝の山で、研究材料の宝庫だが、傍目に見れば“毎朝ゴミ拾いする奇特な人”でしかない。打ち上げられたプラスチックゴミからでも、海流の向きや流れかたが推測できるし、波打ち際の海藻や流木にも、珍しい種類の生き物が付着しているのを発見することもある。春先には、産卵のために浅瀬にきて、そのまま打ち上げられたイカやフグなどを巡って、トンビとカモメが争奪戦を繰り広げていたりと、なかなかに賑やかでもある。私の住んでいる静岡県S市は、日本有数の水深を誇る駿河湾に面していて、たまにはかの有名な深海魚である『リュウグウノツカイ』が打ち上げられていたりもすることがある。有名じゃなくても、私の職場では“有用な”深海魚が見つかったりすれば、その日の研究材料が手に入るので、私の通勤の毎日の日課になっている。

海岸線をそのまま岬の先端に向けて歩いて20分程で、勤務先の研究所兼水族館が見えてくる。いつもならばひとしきりめぼしいモノを拾い集めてそのまま出勤するのだが、今日は海岸線がやけに騒がしい。

『………何だろう?』視線の先でカモメとトンビがバトルを繰り広げているようだ。波打ち際には何かしらの黒っぽい生き物らしき姿が見えてくる。大きめな深海魚かなにかが打ち上げられたのを巡って争っているようだ。

『…………結構な大物だなぁ…』遠目にもシルエットが見えてくるということは、手持ちのゴミ袋では到底拾えない大きさだということになる。さらに近くに寄っていくと、ふと、独特の臭いが鼻を突いた。

『……うわ、これはキツいなぁ……』もちろん海岸線に打ち上げられた生き物が臭わないわけはないので、ある程度は耐性がついている。いわゆる『磯臭い』のには慣れっこだ。しかし、今日のはそれとは違う『独特な臭い』。例えるなら、金属イオンと……ニンニク?の混じりあったような……。控えめにも食欲のわく匂いではない。私が近付くと、さすがにカモメ達は警戒して、付近の松の枝に止まって様子を見ている。

「………あぁ、やっぱりねぇ。大きいと思った。……写真にしとくか。」打ち上げられていたのは、深海ザメの一種らしい。かなりカモメ達につつかれた後のようで、あちこち損傷が激しいが、後で種類の同定に必要な場所を選んで写メっていく。

『………?結構傷だらけだなぁ…』内心で謝りながら爪先を打ち上げられた生き物の下に入れて、勢いをつけてひっくり返す。腹側を下にして打ち上げられたのだから、カモメ達につつき回された背中側に比べて腹側はキレイだろうと予想していたのだか、それは見事に裏切られてしまった。

『……うわぁ……結構エグい傷が沢山だぁ。』腹側には、ちょっとじっくり見たくないような傷が沢山ついている。じっくり見たくないといいつつ、研究者の習性が顔を出して、つい、角度やズームをいろいろにしながら結局腹側につけられたすべての傷跡を撮影してしまった。携帯のメモリーを気にして画面を見た時に、時間がかなり差し迫っているのに気がついて、私は慌てて立ち上がり、職場へと早足で転がり込んだ。通用門から守衛さんの所で入館者名簿を殴り書きし、名札を受け取って首にぶら下げて、通用口から搬入用エレベーターで三階へ。『院生室』とマジックで殴り書きした紙を張り付けた部屋に飛び込んでパーカーを放り出して、作業服をつかんだままで、研究室へ。

「ふぇー。間に合ったぁ?」時計をみると9時5分前。壁際のコーヒーメーカーで毎朝の日課のコーヒーを淹れていた、私の担当教官の田邊教授が、お得意の片眉を上げた表情で肩をすくめる。この人は、妙にこうしたバタ臭い仕草が様になる。

「……ギリギリセーフですね。今日は何を見つけたんです?」院生として、田邊ゼミに入って今年で二年目、私が遅刻ギリギリになるときは、大抵何かしら変わったモノを見つけた時だとわかって来ているようだ。食器棚から私が自分のマグカップを出してくると、教授はちゃんとそっちにもコーヒーを淹れて渡してくれる。

「今朝はなかなかの大物でしたー。」早速携帯のアルバムフォルダを開いて、先ほど撮影した写真を自分のパソコンに飛ばし、スライドショーに設定して、田邊教授のほうに画面を向けて再生する。

「………ふぅむ。………確かに大物だなぁ。……深海性の鮫の仲間だねぇ。」田邊教授は腕組みしながら自分のデスクに行き、深海生物図鑑を取り出して戻って来る。

「……うーん……コレ…だろうねぇ。」開いたページにあるのは、『オンデンザメ』という深海性のサメだ。しかし図鑑に載っているデータでは、体長4㍍とある。実際に測ったわけではないが、私の身長が155㌢で、パッと見それよりも小さい個体であったと記憶している。

「オンデンザメの幼生体…じゃないかな。」

確かに生まれた時から4㍍なはずはない。どんな生き物でも子供のうちは小さなものだ。当たり前といえば当たり前だが。確かに図鑑の特徴と、写真の個体の特徴はよく一致する。と、そこでスライドショーが腹側の画像に切り替わった。

「……ふぅむ。……こんなに腹部に傷が……」

「そうなんです。腹側を下にして打ち上げられていたので、ひっくり返して驚きました。」田邊教授は唸り声をあげながら、画像を一旦停止したり、ズームしてみたりしながら何度も確認する。画像で改めて見直すと、本当に真円に近い形の傷口に、手前から奥に向かって螺旋状に筋目のようなラインが入っているのが見えてくる。定規までは用意していなかったが、目算で傷口の直径は約5㌢ほど。しみじみ奇妙な傷口にみえる。

「……うーん……サメはこんな囓り方をしないかな。鳥のクチバシにしては太いねぇ。……刺し傷ならば周辺組織が寄せたら整合する筈。……どうみても“丸いモノ”が抉りとって出来た傷口に見えるが、そんな口の形をした生物は……思い当たらないねぇ……」

独り言のような声量で呟きながら、教授は最後までスライドショーを再生する。

「……まだ、海岸線に残っているかな。」パソコンを閉じて立ち上がる田邊教授に、万一ここまで運んで来ることになるかもしれない想定をして、教授に付き添いがてら外のプレハブにたむろしている学生を連れて先ほどの現場に向かうことにする。

「えー。海岸の打ち上げですか?うへぇ…」

ぶつぶつ文句をいいながらも、学生達も興味津々でついてくる。これでも海洋学部の学生だ。多少のことには動じない位には場数を踏んでいるものが多い。裏門から海岸線に向かって少し歩くと、トンビとカモメが沢山騒いでいる所が、見えてくる。

「……あー。これはもう駄目だねぇ。」遠目にみてもサメの形を留めていないのがみて取れる。トンビもカモメもお腹いっぱいだろう。私は学生達とスコップを取りに戻り、近隣住民から異臭の苦情が出る前に、海岸に穴を掘って『オンデンザメ』を砂浜に埋葬する。学生達と私とで総勢四人、午前中一杯かけて、砂浜の深い所にサメを埋め、水族館の担当生物の給餌にとりかかる。私の所属している研究所は、大学付属の水族館と研究所を兼ねており、学芸員でもある職員と、実習を目的としたゼミ生が手分けして魚類の管理を行っている。実際に現場を多く経験することで、各地の水族館にとっては即戦力になる人材を育成しているようだ。国内だけでなく、卒業生は世界中の水族館にいて、研究の面でもデータの収集に事欠かないという、非常に恵まれた環境にある。

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