9-2「改築者」

「……どこかで見たことがある顔だと思ったら、雪乃の姉貴じゃないか。この三年で随分老けたな」


 クラフトテープで手際よく黒田さんを拘束し、その口にもテープを貼り付けた後、秋田川さんは思い出したように言った。


「前に会ったのは雪乃さんの葬儀のときですか?」


 わたしが尋ねると、秋田川さんは「ああ」と言って、黒田さんの頭を見やった。


「あのときは髪の毛も全然真っ黒だった気がする」


 秋田川さんの度重なる暴言にもかかわらず、黒田さんは瞼を伏せてじっと屈辱に耐えている。もはや抵抗する気力もないのかもしれないが、不思議とその姿には気品のようなものが感じられた。


「いや、そんなことはどうでもいい。今わたしが知りたいのは、この女が一連の事件の真犯人――ハンマーキラーってことで良いのかどうかだ」


「難しいことを聞きますね」


「ああん? どういうことだそりゃ」


 秋田川さんとしては当然イエスという答えが返ってくると思っていたのだろう。わたしのすっきりしない言い草にやや不満顔だ。


 ――仕方がない。この際だから先に伝えておこう。



 わたしはきっぱりそう言い切ると、一瞬、黒田さんが瞼の奥に潜ませていた瞳を露わにした。その瞳の奥の光は、わたしの推理を裏付けるものだった。


「おいおい待てよ。この女が無実だって言うんなら、何だってこんな無法なことをしたんだ。これじゃあ私たちはただのならず者じゃないか」


 クラフトテープでああも迅速に人を拘束できる人は弁解の余地なくならず者だと思うが、殺人犯を捕らえるためにためらいなく恐喝犯を装うわたしも弁解の余地なくならず者なので、秋田川さんの言葉を聞き流して「そう結論を焦らないでください。これから順を追って説明していくので」と返すことにする。


「むぅ。まぁ、タツキがそう言うんなら」


 不承不承ではあったが、秋田川さんはわたしの説明を聞くことを優先することにしたようだった。


「ありがとうございます」


 わたしは秋田川さんに軽く頭を下げた後で、ピッチャーマウンドに立つ自分を心の中でイメージする。二点リードで迎えた最終回。フォアボールの連発で自ら招いた満塁のピンチ。なのに、少しの負い目も感じることなく、少しの迷いも抱くことなく、キャッチャーミットめがけてボールを投げ込んでいく、そんなイメージ。


「三年前、この街で女性だけを狙った連続殺人事件が発生しました。金槌のようなもので撲殺するという残忍な手口から、俗にハンマーキラーと呼ばれた凶悪犯の犠牲者は五人。その内の一人が雪乃さんでした」


 緊張が消えたのを実感すると、わたしは事件の真相について語り始めた。


「ご存じのように、雪乃さんが殺害された第五の事件を最後にハンマーキラーの凶行はストップしますが、これは事件の際にハンマーキラーが犯した致命的とも言えるミスが原因でした」


「致命的なミスぅ? 何だよそりゃあ」


「一つにはターゲットを仕留め損なったことです」


「わけのわからないことを言うなよ。雪乃は殺されたんじゃないか」


「雪乃さんはターゲットではなかったんですよ。ハンマーキラーが仕留め損なったターゲット――それはわたしでした」


「タツキが?」


 秋田川さんがぽかんとした顔で言った。その足下で、黒田さんは眉間に皺を寄せて、押し寄せる感情の波と戦っていた。


 それからわたしは沢本に話したときと同じように、事件の夜に自分が体験したことを語った。


 はじめは半信半疑どころか一信九疑くらいの態度で聞いていた秋田川さんだったが、一人の女性がハンマーキラーからわたしを庇ってくれたあたりまで話が及ぶと、急に顔つきが変わった。 


 わたしは構わずにその後に起きたことを話した。女性に言われるまま、後ろを振り返らずに逃げ出したこと。家に帰って明け方まで布団の中でガタガタ震えていたこと。そして、朝のニュース番組で、ハンマーキラーの新たな犠牲者が出たのを知ったこと等々――。


「ちょっと待て。雪乃はタツキのせいで殺されたと、そう言ってるのか?」


 わたしが一通り話し終えると、秋田川さんは体をぶるぶると震わせながら言った。秋田川さんの雪乃さんに対する思い入れを考えれば、当然の反応だった。


「結果としては、そういうことになります」


 わたしはだから、あえて煽るような言い方をした。


「タツキ、てめえ!」


 胸ぐらを捕まれると、あっさり靴が地面から浮き上がった。黒田さんも意外な力の持ち主だったが、秋田川さんはその比ではない。このまま怒りに任せて地上まで投げ飛ばされやしないかと不安になるが、わたしはその不安を抑え込んで、秋田川さんを静かに見返す。


「……クソッ。今てめえをぶん殴ったところで、答えには行き着かねえ。さっさと続きを話しやがれ」


 やがて、秋田川さんは吐き捨てるようにそう言うと、乱暴に手を離した。


「秋田川さんはいつも化粧をしてませんよね」


 わたしは襟を直しながら、ぼそりと言った。まだ激情冷め切らぬ秋田川さんの気勢を削ぐ――それだけが目的ではなかった。


「化粧品の臭いを嫌がる牛もいるんでな。顔に塗るのは紫外線対策の日焼け止めくらいのものだ。って、何の話だ」


「雪乃さんも昔は化粧っ気がなかったそうですが」


 わたしは秋田川さんの突っ込みを無視して、雪乃さんの話を振ってみる。


「理系の研究者なんて大体そんなものだろう。雪乃は器用だから、夜の仕事を始めてすぐに、こなれた化粧をするようになったがな」


 秋田川さんはそう応じてから、不機嫌そうに「そんなことよりさっさと本題について話せよ」と言った。


「わかりました。当時の新聞報道によると、雪乃さんはコンビニエンスストアに夜食の買い出しに行く途上で奇禍にあったということになっています。沢本の話では、事件当夜、雪乃さんはオフだったそうですし、普段から『夜中に化粧もしないで部屋着で出かけて、買ってきたカップラーメンをベランダで食べるようなところもあった』ということなので、さしておかしなところはないよう思えます」


「どうせ家に帰って食べるんだったら、明るいうちにスーパーか何かで買いだめしておけば良かったのにと、文句の一つも言いたくはあったがな」


「それだけですか?」


「それだけ? どういうことだ?」


「よくよく考えてみると、雪乃さんに行動にはおかしな点があるんですよ」


 秋田川さんは少し考えてから、かぶりを振って「わからん。説明してくれ」と言った。


「……雪乃さんの職場は藤見原駅からたった二駅のところにある接待飲食店です。常連客の中に藤見原の住人がいたとしても、何ら不思議はありませんよね? となれば、市内で勤め先の客とばったり鉢合わせてしまうということも起こりえますよね。客の行動パターンを考えれば、日が変わる前後の時間帯はむしろ思いがけない邂逅の確率は高まると言っても良いくらいです。その確率は決して高いものではありませんが、この際重要なのは、たとえ低い確率であっても充分に想定しうるシチュエーションだということです」


「かも知れないが、それが何だ?」


「……前に秋田川さんは言ってましたよね。雪乃さんは沢本を妊娠したことで大学を去らなければならなかったのだと。旦那さんが亡くなった後、復学せずに接待飲食店ではたらくことになったのも沢本がいたからなのだと。それはつまり、雪乃さんが逆風の中にあっても、沢本の母親として責任を全うしようとしていたということに他なりません。その雪乃さんがたとえ低い確率であっても、とは思いませんか?」


 雪乃さんはお店で働いているときには当然化粧をしていたはずだ。しかもプロからも賞賛されるような化粧を。沢本と同様に雪乃さんも化粧をしていなくとも充分以上に美しかっただろうが、すっぴん&部屋着姿を常連客に目撃されたとして、その客が以前と変わらず好意を抱き続けてくれるかどうかは微妙なところだ。少なくとも雪乃さんがその微妙な可能性にベットするとは考えにくい。


 ――化粧してるのか?


 ふと、雪乃さんの行動に違和感を抱くに至ったきっかけの一つである、旧友の台詞が脳内で再生される。


 ――似合ってるぞ。


 そう言われてあまり良い気分がしなかったのは、羞恥心を刺激されたためではなかった。沢本や林堂さんが『なりたい自分になるための技術』として教えてくれた化粧が、旧友に褒められたことで、急に『女として当然やらなければ義務』のように思えてきてしまって、なのに自然と『もうすっぴんで学校に来ることはなさそうだ』などと考えてしまう自分が殺してやりたいくらいに不快だったのだ。


 誰に強制されたわけでもない義務感。まだ化粧をはじめたばかりのわたしでも――腹立たしいことに――その義務感に抗いがたいものを感じるのだ。沢本を育てるという責務を果たすことを目的として化粧をはじめた雪乃さんが、習慣的にすっぴん&部屋着で出かけていたというのは、雪乃さんのパーソナリティから言って明らかにおかしい、本来ならありえない行動だった。


「だが、現に雪乃は化粧をしないで夜食を買いに行っていたんだろう?」


「ええ。だからわたしはこう考えます。雪乃さんには夜の外出の際に、


「タツキ、お前は一体何を――」


「聞いたところによると、雪乃さんはパウダータイプのファンデーションを愛用していたそうです。このタイプのファンデーションは、ふんわりと柔らかい印象を作ることができる一方で、いくつかの短所もあるようです。例えばリキッドタイプに比べて化粧持ちがよくないこと。例えばあれこれ道具も用意しないといけないこと。例えば粉末状の素材を使うので、


 んぐっ、とくぐもった音が聞こえた。音がした方を向くと、黒田さんが潤んだ瞳でわたしをじっと見つめていた。


「仮に雪乃さんの外出の本当の目的が、別のところにあったとするなら。そして、その目的を達成するにあたって、ノーメイクで常連客と鉢合わせになること以上に大きなリスクを負うとしたら――」


「おいタツキ、お前まさか」


「そのまさかです。藤見原市を恐怖のどん底に陥れたハンマーキラーの正体――それは雪乃さんだったんですよ」

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