第八章「落蕾」
8-1「斎場」
海沿いの斎場を訪れる弔問客は少なかった。
だだっ広いホールに並べられた椅子の半分以上が空席となっている上、残りの半分に座っているのも故人と直接縁のなさそうな中高年がほとんどだった。
間もなく午後四時から、この斎場で故人の通夜が執り行われる予定となっていた。
故人――沢本遥が自宅マンションの屋上から転落して帰らぬ人となってから、五日が経過している。すぐに葬儀ができなかったのは行政解剖が行われたからで、それでもさほど日を待たずに通夜の式を迎えたのは、早期に自殺と断定されたからだった。
わたしは一般席の隅に座って、ステージ正面に掲げられた大きな写真を見やった。中学の卒業アルバムで使われたものをそのまま引き延ばしたのだろう。中学指定のセーラー服姿で睨むように目を細める沢本は、発酵する前のワインのように刺々しい感じがした。
――せめて高校に入ってからの写真を使えば良かったのに。
心の中でそう呟いてから、かぶりを振る。どんなに良い写真を使おうが、意味などないということに気がついたのだ。
「タツキちゃん」
ふいに後ろから肩をつつかれて振り返ると、見知った顔が座っていた。
「林堂さん……来てくれたんですね」
「当たり前じゃない。タツキちゃんこそ、わざわざ教えにきてくれてありがと」
通夜の式に先立って、わたしは二人の人物に直接会って、沢本の訃報を伝えることにした。その内一人が、沢本が懇意にしていたこの化粧品店の店員だった。
「渡したいものがあるから、式が終わった後でちょっと待っててもらえる?」
「わたしに?」
無言でうなずいて、林堂さんは視線をわたしから外した。つられて前の方に向き直ると、ちょうど黄色の袈裟を着たお坊さんが袖からステージに向かって歩き始めたところだった。
すぐに通夜の式が始まった。お坊さんが何やらありがたいお経を読んでいる間、わたしは自分の膝を見つめながら、事件があった日のことについて考えていた。
――あの日、黄色いテープをくぐり抜けようとして警官二人に取り押さえられたわたしは、そのままマンションの管理人室に連行され、みっちり三十分お説教を食らった後で、沢本の友人として事情聴取を受けることになった。
「最近、沢本さんがどんな悩み事を抱えていたか、君、知ってる?」
はじめに髪の毛を茶色く染めた若作りの刑事が、軽薄な口調でそう尋ねてきた。
「死にたくなるほどの悩みなんてなかったと思います。一緒に県大の農学部を目指して頑張ろうって約束したばっかりだったし」
「受験勉強のストレスってことですかね?」
相棒の若いスキンヘッドが言うと、チャラ男もすかさず「かもな」とうなずく。ダメだこいつら。ハナから自殺と決めつけてやがる。
「成績はわたしより余程良かったはずですよ。そんな理由だったら、先にわたしが死んでるんじゃないですかね」
わたしの言い方がカンに障ったのだろう。チャラ男はこめかみの辺りの血管を震わせながらスマートフォンを取り出して、わたしの前に突き出した。
「……深山さんだっけ? 亡くなった沢本さんはマンションの自分の部屋で、こんなものを栽培してたみたいなんだけど、見たことある?」
画面に映っていたのはもちろん沢本が部屋の中で育てていた土喰いだ。ついさっき撮影したばかりなのだろう。以前見た時よりずっと大きくなっている。
「日曜に剣名川の河原で大規模なサボテンの伐採作業があったってニュースでやっていたけど、それと関係があるのかな? 深山さんが本当に沢本さんと親しくしていたんだったら、きっと何か知っていることがあると思うんだけど、どうかな?」
チャラ男の目に嗜虐的な光が宿る。明らかな挑発だった。
「確かに沢本が部屋で育てていたサボテンと、剣名川の河原に群生していたサボテンは関係がありますけど、そのこととあなたたちが信じたがってることとは無関係だと思いますよ」
チャラ男とスキンヘッドが顔を見合わせてせせら笑いを浮かべる。罠だ。そんなことはわかりきっている。だが、わたしは我慢できずに言ってしまう。わたしと沢本が剣名川の河原でサボテンを育てていたこと。伐採にショックを受けていたのはわたしの方で沢本はそこまででもなかったこと。そして、いつかきっと、人の手では切り倒せないほど強いサボテンを作ろうと決めたことを――。
返す返すもバカなことをしたものだ。わたしのそうした証言はむしろ沢本が自殺したという説を補強する材料となってしまったのだから。
「間違いないな」「ああ」
わたしから必要な証言を引き出したチャラ男は「君たち二人がやっていたことは違法性が高いが、今回は特別に見なかったことにしてあげよう。今日のところは帰りなさい」と言って退室を迫った。わたしが抗うと、スキンヘッドはわたしを羽交い締めにして管理人室から引っ張りだし、そのまま非常口からマンションの外へと放り出したのだった――。
「続きまして一般参列者の皆様のご焼香です。前列の方から順にご起立ください」
斎場のアナウンスで我に返る。いつの間にか、読経タイムが終わっていたようだ。わたしは抹香を焚いて戻ってくる間に、さりげなく参列者の顔を確認する。わたしが直接沢本の訃報を伝えたもう一人が来ていないのは当然として、わたしの事情聴取を担当した二人の姿もない。警察としては、沢本の死は自殺と言うことで完全に決着したということなのだろう。
焼香が済み、喪主である黒田さんのあいさつが終わると、ようやくわたしは沢本の遺体と対面する機会を得た。
棺の中の沢本は、エンバーミングによって、あの惨たらしい最期が嘘だったかのように美しい姿をしていた。
けれどその美しさは見せかけだけのものに過ぎなかった。フランス人形に例えられる彼女の本当の魅力は、爛と光る瞳や、不敵に笑う口元に宿る生命力そのものだったのだと、改めて気づかされてしまう。
「深山さん――」
沢本の棺に背を向けて歩き出したわたしに声を掛けたのは黒田さんだった。
喪主は型どおりの挨拶を交わした後で、何か言いたげな表情を浮かべたようだったが、親族らしい老人に「麻里さん、ちょっと」と声を掛けられ、会釈だけをして後ろに引っ込んでしまった。
わたしは黒田さんの背中にお辞儀をしてホールを出ると、廊下のソファに腰を下ろした。
「あ、いたいた。ここにいた」
間を置かず林堂さんが廊下に姿を現し、わたしを見つけてくれる。
「隣、良い?」
「もちろんです」
林道さんは「ありがと」と言ってソファに座り込むと、小さくため息をついた。はじめて会ったときよりも老け込んで見えるのは、喪服に合わせて彩りを抑えた化粧をしているからというだけではないだろう。
「……未だに実感がわかないんだよね。最後に会ったときはとても楽しそうにしていたから、どうしても死んだだなんて思えなくて。ハルちゃん棺の中なのに。もう目を覚ますことはないのに」
そこまで言って、ふいに林堂さんは上を向いた。涙がこぼれ落ちないようにしているのだ。
「あーもうダメね。こらえ性がないんだから」
「林堂さんのお店に来るときはいつもあんな風だったんですか?」
「うーん、どうだろう。どっちかって言うと、雪乃さんのお化粧の仕方を教えてくれって気負う感じが先行してたかな。高校に入ってからは楽しんでもいたと思うけど」
「雪乃さんの流儀を林堂さんが?」
思わず聞き返すと、林堂さんはこちらを向いてこくりとうなずいた。
「多分ね、雪乃さんはハルちゃんに自分のやり方を真似して欲しくなかったんだと思う。私のお店に連れてくるくらいだから、娘がお化粧をすること自体ダメってわけではなかったんだけどね。聞いた話だと、学生時代はほとんど化粧をしなかったって言ってたし、きっと自分の化粧テクをお店ではたらくためのものだと捉えていたんじゃないかな」
わたしははっとして、黙り込んでしまう。
「ああいうお店ではたらいてた割りには薄化粧だったし、ハルちゃんがお手本にしたって全く問題ないと私なら思うけど、雪乃さんにとっては、そういう問題じゃなかったんだろうね」
それからしばらくの間、わたしたちは黙り込んで廊下を行き来する人々を眺めていた。到着が遅くなったことについて言い争いをしながらホールへと向かう老夫婦。隙あらば走り出そうとする子どもの手を引いて苦笑いみたいな表情で外に向かう親子連れ。めそめそと泣きながらわたしたちの前を通り過ぎていく南女の制服を着たグループ……。
「そう言えば、高校は別々だったんだ」
「ああ、はい。中学が一緒だったんですよ」
それから林堂さんは低い声で「よし」と言って、立ち上がった。
「ちょっと気持ちが落ち着いてきた。なので本題に入るね。タツキちゃんにこれを受け取って欲しいの」
林堂さんの手には、一本の口紅が握られていた。
「遥ちゃんが大学に合格したら上げようと思っていたものだから、タツキちゃんに似合うかどうかはわからない。でも、大事にして欲しいの」
沢本の代わりに、ということなのだろう。もしかしたら、沢本と同じ道を辿らないでくれという祈りも込めているのかもしれない。
「……わかりました。ありがとうございます」
「落ち着いたらまた、私のお店にも来てね」
そう言って林堂さんは、わたしがさよならを言うよりも早く斎場を去って行った。
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