3-4 「本棚」

 ぼくの馴染みの本屋――蛍雪堂は郊外によくあるタイプの大型書店だ。コミックやライトノベルのスペースを大きくとっていて、ラインナップも売れ筋中心。専門書やサブカル本の棚は奥の方に申し訳程度にあるくらいなので、本好きには不評だが、ぼくのような読書エンジョイ勢にはこれくらいがちょうど良い。


 まだオープンしたばかりの店内にはほとんど客の姿がなく、レジの後ろの店員たちも雑談混じりに予約本の確認をしている。


 とりあえず呪術廻戦の新刊を手に取って――相変わらず攻めてる表紙だ――そのまま流れでコミックの本棚をチェックする。


 MAJOR 2ndっていつの間にか結構な巻数出てたんだとか、あだち充は未だに全く衰えを見せないよなとか、最近おお振りの刊行ペース落ちてるっぽいけど作者さん大丈夫かなとか、ついつい野球漫画のタイトルばかり追いかけてしまうのは順平とキャッチボールをした直後だからだろう。


 野球に未練はない。でも、野球の二文字はぼくにとって今でも特別なのだ。


 きっと、これからも。


 コロコロコミック系の棚を通り過ぎたところで、ぼくは小さくため息をつく。ドラベースの在庫がなかったからではなく、行く手に参考書の棚が見えてきたからだ。


「……この配置、どうにかなんないもんかね」


 蛍雪堂の数少ない欠点は、漫画コーナーのすぐ近くに受験対策のコーナーが設けられていることだ。店としては、客層が重なっているからという理由でそうしているはわかるけど、漫画を買いに来た受験生にしてみれば「汝のを忘れるな」と警告されてる気分になる。


 苦手な数学。不得意な英語。壊滅的な物理。眠りを誘う古典漢文。結果にコミットしない世界史……とりあえずのところ進学を希望しているぼくだが、成績は芳しくない。それでもいずれ何とかなるだろう。そんな空虚な楽観主義でこれまではやってきた。これからはそうはいかなくなる。


「そんなことはわかってるんだけど、さ」


 結局、何冊かの参考書を手に取ってぱらぱら捲った後でそう呟くと、ぼくは大学受験過去問集――赤いカバーでおなじみのやつだ――のカタログ小冊子(無料)を握り込んで、受験対策の棚に背を向けた。通りがかった文庫コーナーで、前から気になっていた円居挽のデビュー作を手に取り、呪術と一緒にお会計。ケセラ・セラ。


「ありがとうございましたー」


 店員の声に見送られて本屋を出ると、すぐに強い日差しが降り注いでくる。ぼくは間近に迫った夏の気配に追い立てられるように駐輪場へと向かった。


「約束したのにどうして勝手に出かけたの!」


「約束なんかしてません。麻里まりおばさんが家に来たいと連絡してきただけですよね」


 と、自転車を押し歩いて本屋の敷地を出ようとしたところで、往来から言い争う声が聞こえてきた。


「都合が悪いならそう言えば良いじゃない!」


 一方は、四十台後半くらいの細身の女性。真っ白なボブヘアがよく似合うご婦人、という印象だが、ややつり目ぎみな細目に性格のきつさが顕れている感じがする。怒っているからそう思うだけなのかも知れないけれど。


「麻里おばさんにとってはその方が良いんでしょうけど」


 もう一方は、ぼくと同じくらいの年格好の小柄な少女だった。背筋をまっすぐに伸ばして、ポニーテールも真っ直ぐに垂らして、"麻里おばさん”と真正面から向かい合っている。ぼくの位置からでは表情が見えないけれど、こちらもかなり殺気立っている様子だ。


「こっちの都合も聞かずに一方的に日時を決めて『家に行くから時間を空けておきなさい』だなんて言ってくる人に聞く耳があるとは思えなかったので」


 少女が語尾に冷ややかな笑い声を重ねた。まるで沢本みたいなやつだ、と思ってから声の正体に気づく。


 沢本だった。

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