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 合宿は四日間行われる。小さな体育館を借りて、演技の練習をしたり脚本を詰めたりしている。一日目までは雨が降っていた。その日までは、確かに梅雨が明けていなかった。

 私と木葉ちゃんは表面的な付き合いを続けていた。私が本を読まなくなっただけに、読者でいるスタンスも忘れてきて、木葉ちゃんに物言いすることも減っていった。

 私たちは夕食の食材を買いに、近くのスーパーへ出かけていた。メンバーは私、木葉ちゃん、西宮先輩、三園先輩だった。

 部屋は民宿で借りていた。なんでもうちのサークルのOBだそうで、色々と手を貸してくれる。しかし、食事は別、とのことだった。

「いやー、重たいねえ〜こういう時男がいると助かるよー」

 およそ四十人分の食材を抱えて、比較的三園先輩に重いもの─米とか─を持たせて、私たちは坂道を上っていった。起伏の激しい地形らしく、下り坂も上り坂も私たちを苦しめる原因になった。

「一日目の買い出しが一番きついんだよ。知らなかったのか」

 三園先輩が呆れながら言った。西宮先輩が、「だって今まで他の人に任せてたしぃ」と言い訳をする。

 朝から降っていた雨も夕方になると、雨脚は弱まっていた。それが好機だと言わんばかりに私たちは買い物に出たのだ。

 民宿に戻ると、何人かが外に出ていて、「これで花火をするぞ!」と楽しげに笑っていた。やるんなら海辺でやれ、とも怒られていた。

 今日一日、私はあったことを思い出していた。初めて話す先輩たちから学ぶことはとても多かった。

「先輩一緒に花火しましょう?」

 いいよ、と先輩は笑ってくれた。

 まずは四十人分の野菜を切って、それから肉を炒める。バケツリレー式の工程に身を任せて、指示されるまま私は動いた。思えば、一人暮らしを始めてから自炊をあんましていないなと反省した。

「みんな。カレー行き渡った?」

 芝の生えた広い庭先で、私たちはテーブルと椅子を出して食卓を囲んだ。

 私の隣に先輩が座ってくれる。出来るだけ木葉ちゃんと隣りあわないように、という配慮だった。

 先輩は私と木葉ちゃんの事情を知っていた。知っていた、というより聞かせたという方が近い。私は木葉ちゃんと気まずくなったことをぼかしながら泣きついた。何が正解かわからないということを。もちろん、彼女が秋風諷真ということは伝えていない。木葉ちゃん=秋風諷真という真実を知ってしまったことはとてつもなく重かったが、それを誰かに打ち明けることはそれ以上に重い罪だった。

 カレーが行き渡り、一人が音頭をとって乾杯をした。どこから持ち込んだのかスト缶を開けているやつもいた。男の先輩たちだった。西宮先輩も我先にとアルコールを口に入れている。

「雛ちゃーん」

 先輩は不必要に抱きついてくる。

「酔ってるんですか」

「まだ酔ってないよ〜〜〜」

 私は民宿の方から出された麦茶を口に含んでカレーをスプーンで掬った。

「食べづらいです」

「そっか」

 先輩がしゅんとする。

「その顔は卑怯ですよ。それにやるなら化粧を直してきてください」

「ははっ。その手はなしだよーーー」

「すみません」

 私は早々とカレーを食べ終えて、カレーか麦茶かわからなくなった後味のまま口元をティッシュで拭いた。先輩は二缶目を開けようとしており、初めて遭遇する酒癖の悪い先輩という像を西宮先輩と結んだ。

「そろそろ花火しに行かんか?」

 食べ終わった誰かがそう叫んだ。私は今日色々と動き回った疲れが今になってどっと出てきて、反応が遅れる。先輩は微睡んでいる。

「先輩、起きてください」

「お、おおお、おおおお」

「──なんですか、どうしたんですか」

「気持ち悪い──」

「トイレはあっちです!」

 無様な先輩を看病する気にもなれなかったので、適当にあしらった。口に手を当てて、先輩はよろよろと歩いていた。

 ──と、視線を動かした隙に木葉ちゃんの姿が入り込んだ。私は慌ててかぶりを振る。

「青井さん」

 木葉ちゃんは、私を呼び止めた。初めて「青井さん」と呼んでもらった時のような、淡い感情が私の胸をときめかせる。たった五文字の響きはいつにもまして耳に残った。名前を呼ばれることは、認識されることだと思う。

「なに? 木葉ちゃん」

 私が秋風諷真を呼ぶ言葉は最初から変わっていない。それは木葉ちゃんも一緒ではあった。

「ちょっと話をしよう。二人で」

「でも、もうすぐ西宮先輩が戻ってくる」

「見つからないところにいこう」

 彼女に言われるがまま私はついていく。彼女もどこに行こうとは考えていないと思う。自然とそう思った。

 小さい山を切り崩したみたいに道の脇にはたくさんの木が生えていた。たまに道の方まで伸びてきた枝葉が半袖の私の肌をかすめた。それが不快で、加えてどこに行くかわからない木葉ちゃんの背中を睨んだ。

「ここらへんでいいでしょう」

 私に言い聞かせるみたいに木葉ちゃんが呟いた。小さな公園だった。小さな小さな、ブランコとパンダの揺れる遊具があるだけの公園だった。

 彼女は流れる手つきでブランコに腰を預けた、すっと私に視線を寄越してくる。

 私は十年ぶりにブランコの吊るす鎖に触れた。きんと夜風に冷やされて冷たかった。

 彼女がタン、と地面を蹴った。私も地面を蹴って束の間の浮遊感を味わう。

 無言が続いた。ぎいぎい、と鎖が悲鳴をあげる時間だけが過ぎていく。私はブランコを漕ぐ木葉ちゃんを盗み見た。これ以上ないほど澄んだ顔をしていた。

「小説、書いてる?」

 私はそれに対する返答を逡巡した。それは本題なのだろうか。私はそれに答えるべきなのだろうか。

「書いてない」

「そっか」

 ぎいぎいー。

「小説は読んでる?」

「読めてない」

 私は少しずつ自分が冷静になっていくのを感じていた。あの頃よりずっと身長が伸びてしまったから、地面に近くなるにつれ余計足を曲げなければいけない。そんな自分を俯瞰的に見られている。

「小説家になる夢は諦めるの?」

「──何が言いたいの?」

「なんでも。青井さんに聞きたいこと」

「諦めたりなんかしない。そっちこそ新刊の方どうなってんのよ」

「私は──諦めた」

「は?」

「あれから文章が生まれない。テンプレートしか書けない」

「私は協力したのに?」

 一ヶ月前、本当に締切がやばいと言ってきた木葉ちゃんに、その時だけ耳を貸し色々手伝ってあげた。ボーリング大会の時に盗み聞いてしまった罪悪感から自分にできることは全てしようと考えていた。その時すでに小説を書けない体になっていたけれど。

 やったことは──秋風作品の模倣。私が見様見真似で秋風諷真の文章を書く。今まで考えたことはあっても一度も手につけなかった、ある意味一つの練習方法。

 文章を写経し、世界観を取り入れ構築し、模倣し、冒頭を木葉ちゃんに見せた。彼女はまあまあね、と言って受け取った。

「協力の仕方が悪かったとは言わないよ。流石に」

 どれだけ私が真似しようとも秋風諷真は秋風諷真なのだった。青井雛にはならない。

「……というか、企画書はどうしたの?」

 ネットの情報で、作家は企画書を提出することから始めると聞いたことがある。

「前に出したやつを適当に見繕ったの。時間がなくて流れちゃった企画」

 受験でね、と彼女は付け足した。

「へえ」

「私だってちゃんと受験したよ? 秋風諷真の名前は使えないし」

「諷真は男だからね」

 それから私たちは黙った。次の話題を探していたとも言える。

 蝉が鳴き出しているのに気づいた。鳴き止んでまた鳴いて、そんな周期が何度も回った。

「そろそろ帰ろうか」

「え、もう?」

 言いたいことはもうないのか、長かった沈黙の幕が上がったのに、期待はそれを下回った。

「あと私にもう期待しないで欲しいってことだけ言い添えておく」

「やっぱり自分勝手だよ。木葉ちゃん」

「私に何を求める? 私は一人の人間だよ。私は、私の作品がありのままの見方で評価されないならもう小説は書かなくていいやと思っている。さあ、帰ろう」

 これ以上私に何かを言わせるつもりはないらしい。彼女はブランコを飛び降りて、歩き出した。

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