第4話 清美

「本、ありがとう。面白かったよ」

俺は本を清美に返した。

「そう。なら良かったわ」

清美は柔らかく微笑むと、本をカバンにしまった。

「なあ、良かったら、これからお互いの本を貸し合いっこしないか? 俺のは電子書籍だけど」

「ええ、良いわよ」

「ありがとう。帰りもバスだろ? 一緒に帰ろうぜ」

「そうね」


 俺達は一緒にバスに乗ったが、しばらく黙って隣り合って座っていた。俺は何か話したかったが、話題を見つけられないでいた。ふと、例のホロスコープの事を話そうかと思ったが止めておいた。話したせいで、今の彼女との良い雰囲気を壊したくなかったからだ。


「読書が趣味なのか?」

俺は当たり障りの無い事を聞いてみた。

「そうよ。まあ、子供の頃から本の虫ね。海君は?」

「ふーん。俺は正直そんなに読んでないや。まあ、たまには読むけど。そうだ、貸してくれた本のお返しに……」

俺は携帯電話を取り出すと、電子書籍のストックを検索した。マルグリット・デュラスの『ラマン』を見付けると、清美にも携帯を取り出すよう促した。

「君の電子書籍ライブラリーのID教えてよ。送るから」

「分かったわ」

俺は彼女のライブラリーに電子書籍のデータを転送した。

「デュラスね」

「もしかしてこれ、読んだ事あったかな?」

「いいえ。デュラスの作品は読んだことあるけど、これは無いわ」

「そっか。なら良かった」

「『ラマン』て確か恋愛ものよね? デュラスの自叙伝的な」

「そうだよ」

「ふーん。ちょっと意外だわ」

「何がさ?」

「海君って、そういうの読む感じに見えないから」

そういって清美はクスリ、と笑う。桜色の唇から健康そうな白い歯がこぼれて、俺は思わず目を細めた。

「じゃあ、どんなの読みそうに見えるのさ?」

「そうねえ……歴史物とか、戦記物とか……とにかく、ディープな恋愛物に興味あるようには見えないわ」

「フフフ。少年の顔は一つじゃないんだぜ」

「プッ。ウフフ、それ、普通は女が言うセリフよ」


 俺は心の底から笑った。他人と一緒にいてこんなに幸せだった事は今までなかった。俺は清美との出会いを神に感謝した。もしかしたら彼女が、俺の悲惨な運命から俺を救ってくれるのかも知れない。


 それから俺達は毎日一緒に帰った。バスに揺られながら、貸し合った本について意見を交わすのが日課になっていた。『ラマン』を飲み終わった清美は、感想を話し始めた。

「恋愛物としては悲恋に当たると思うけど、良かったわ。でも、この話が主人公達が結婚して愛でたし愛でたし、だったら、きっと興醒めでしょうね」

「まあ、そうかもな。でも、俺が恋愛するなら、愛でたし愛でたしが良いよ」

「そう?」

「そうさ。俺は小説家になりたい訳じゃない。女の子と幸せになりたいさ。清美はどうなんだよ?」

「そうねえ……そりゃあ、やっぱり素敵な男性と幸せになりたいわよね」

「そうだろう? 普通はそうだよな?」

「ええ、そう思うわよ」

「な、ならさ……」


――俺と恋人同士になってみないか?


そう言いたかったが、俺の口はそこから動かなかった。例のホロスコープの画像が頭を過ったのだ。


「どうしたの?」

怪訝そうな表情で清美が俺の顔を見つめる。

「い、いや……何でもない」

そう答えた時にバスは清美が降りるバス停に着いた。

「じゃあ、また明日ね!」

清美はそう笑顔で言うと、軽やかにバスを降りて言った。


 俺は自室のベッドに仰向けに転がり、ホロスコープを眺めていた。このホロスコープ通りなら、仮に清美と恋人になれたとしても、やがては破局するのだろうか?


――嫌だ、そんなのは嫌だ!


まだお互い話すようになって日が浅いが、清美は性格の良い良い娘だ。このまま付き合ったからといって、破局に結び付きそうな要素は見付からなかった。清美が俺に惚れているかと聞かれれば、正直それは自信がないが、拒絶もされていない。このまま、二人の仲を暖めていけばやがて自然に結ばれる日が来るかも知れない。


 俺はその日が来ることを真に願った。高校を卒業したらどこかに就職して、職が決まったら清美にプロポーズする――そんな計画が頭に思い浮かんだ。ありきたりと言われればその通りだが、とにかく俺は早く結婚したかった。好きな女と結婚して幸せな家庭を築く――それが何よりの願いだ。出来れば子供ももうけて、親子で幸せになりたい。これは人間としてごく当たり前の、自然な願望ではないのか? ホロスコープ通りに生きるより、遥かに価値のある事ではないか。俺は清美と幸せになる。そう心に決めると、俺はホロスコープを机の引き出しにしまって鍵を掛けた。こんなものはもう見るまい――その時俺の中では、不安よりも未来への期待の方が上回っていた。

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